イレグイ号クロニクル Ⅱ

魚釣りの記録と読書の記録を綴ります。

「江戸前の釣り」読了

2020年09月24日 | 2020読書
三遊亭金馬 「江戸前の釣り」読了

この本のことはかなり前から知っていたけれども、著者がどんな人かも知らず、また江戸前というと僕には粋すぎて、また、和歌山の地元の釣りの風景からもかなりかけ離れているだろうから読んでもあまり共感はできないだろうと読もうとも思わなかった。
しかし、「釣りの名著50冊」を読んでみて三遊亭金馬というひとのことが少しわかってくると読んでみたいと思うようになった。

三遊亭金馬についてざっと書いておくとこんな人であったそうだ。
『1894年10月25日生まれ 1964年11月8日没
東京府東京市本所(現・東京都墨田区本所)生まれ。初代三遊亭圓歌の門下だが、名人と呼ばれた初代柳家小せんや、橋本川柳(後の3代目三遊亭圓馬)にも多くを学んだ。読書家で博学。持ちネタの幅が広く、発音や人物の描き別けが明瞭で、だれにでもわかりやすい落語に定評がある。』
人情に厚く、こんなエピソードがある。
『お気に入りの釣竿(和竿)があり、それを作る名職人(江戸竿師)「竿忠」の娘が海老名香葉子であり、幼いころから家族ぐるみの交流があった。香葉子は、太平洋戦争の東京大空襲で一夜にして父を含む家族のほぼ全員(三兄の中根喜三郎はただ一人空襲を生き延びている)を失い、みなし子となった。竿忠の安否を気遣って焼け跡に探しに行った金馬は、生き残った香葉子を見つけ、「ウチの子におなりよ」と声をかけ、連れ帰った。』
香葉子はのちに林家三平の嫁になる人である。
こんな本を書く人だからもちろん魚釣りは大好きで、
『スケジュールを本業の落語より優先させ、例えば禁漁解禁日などの釣りにおける重要な日には欠かさず釣り場に現れた。その日の高座を抜いたことは言うまでもないが、寄席に来る客も、「本日休演」と書かれていても、ああ、釣りに行ったかと笑って済ませていた.』とか、1954年には、
『千葉県佐倉市へタナゴ釣りの帰りに総武線の線路を歩き、鉄橋を渡っているときに列車にはねられそれが元で左足を切断するというような事故にも遭っている。』
講演先では合間を見ては地元の名人たちと交流し釣行を繰り返している。この本にもそんなエピソードがたくさん綴られている。

この本は1962年の出版なのでその思い出話をまとめたもののようだ。

最初の章は1年を通しての季節ごとの釣りについて書いている。著者はこの魚一筋ではなく、季節に応じて多彩な釣りを楽しんでいたということがこの章を読むとよくわかる。
1月のタナゴ釣りから始まり夏のキス、秋はハゼ釣りという感じだ。10月にボラ釣りというのが入れられているのもうれしい。

江戸前は浅瀬が多いから当時は小船での釣りになる。キス釣りも船の上から手ばね竿で釣るのだが、僕も小さいころのキス釣りを思い出した。
多分小学校の低学年のころだったと思う。その頃の片男波海岸には多分砂浜が痩せるのを防ぐためなのだろう、海岸線に垂直に何本もテトラの護岸が伸びていた。
手前から1番、2番と番号が振られていて一番釣れるのが1番テトラだった。ただ、そこは渡るのが困難で、潮が引いたときに大人の人がバカ長を履いてやっと渡れるようなところだった。父親は僕を肩車してそこまで運んでくれるのだ。そしてリール竿を使わずに、延べ竿でウキをつけて釣るスタイルでキスを狙った。小さな子供が肩車されて乗り込んでくるので、周りの大人も珍しがって、たくさん声をかけてくれたのを微かに覚えている。
今ではそれも撤去されてしまい、そのせいか、痩せた砂浜を維持するため客土工事を繰り返すものだからすっかりキスが釣れなくなった。

それ以外は大半が淡水の釣りについて書かれているので上記のキスの釣りくらいしか僕にとってはなかなかなじみがないのだが、水郷地帯の狭い水路にしゃがみこんで釣るマブナやタナゴの釣りというのはずっと面白そうだと思っている釣りだ。特にタナゴ釣りというものには釣りの楽しみの粋が集まっているのではないかとずっと思っている。これも江戸の“粋”の文化がなせる業なのだろうが、贅をつくした道具と繊細な仕掛けは見ていても飽きない。
まだ、紀ノ川の田井ノ瀬辺りの河原が無茶苦茶な工事をされる前、あの周辺は湿地帯になっていた。タナゴもたくさんいて、それを釣りたくて針を探すが、さすがに和歌山にはタナゴを釣る文化がない。一度、がまかつにそんな手紙を送ったら郵便で針を送ってくれたことがあった。その針を使い、自分で短い竿を作って目の前に群れるタナゴを釣ったのも懐かしい思い出だ。ただ釣っていただけで、そこには粋というものはなかったが・・。
就職してたまに東京に出張するようになると、さすがだ。渋谷にある釣具店にはタナゴ針が売られていた。それを使う当てなどないのだが、陳列されている全種類の針を買って今でも大事にとってある。竿はさすがに安くても2万円もして、いつかは買いに来ようと思っているうちに東京出張などには縁のない部署に来てしまったのでその夢はかなわなかった。



古い本を読むと懐かしい思い出がよみがえってくる。
著者自身は腕前は一流らしくたくさんの魚を釣っているが、決して釣果だけを求めてガツガツしている風でもない。そこは江戸の粋を残した世代の人であったということだろう。
自分のために誂えた(終戦後間もなくくらいまでは自分の竿を特注であつらえるということは普通のことであったらしい。)竿で伝馬船に乗っかりゆったり釣りをする。そして船宿で一杯ひっかけて一日を終える。なんとも優雅だ。
著者はこんなことを書いている。
『裏の竹藪から自分好みの竹を切り、木綿糸をつけ、針金を曲げて焼きを入れて釣り針をつくりきりの下駄をつぶしてウキをつくり、ごみための下からミミズを掘り出し、それで魚が一匹でもどんなに楽しみであろうか。』
たしかにこれが釣りの原点だと思う。そんな境地に入り込んでみたいと思いながらも他人のクーラーの中が気になって仕方がないのだ・・。
師匠の境地に至るまでにはまだまだ険しい道のりがありそうだ。
コメント
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