静慈彰 「くるま暮らし」読了
山奥ニートの次はワンボックスカーで自由に暮らす僧侶の話だ。この人も高野山に実家があるという。和歌山にはこういう人が多いのだろうか・・。
確かに自由に生きるということと和歌山はよく似合いそうだ。NHKだったと思うが、車の中で生活している僧侶のドキュメントがあり、多分この人のことだったのだと思う。(こんな人は日本ではふたりといないだろう。)そのことが記憶の片隅にあり、この本を手にとってみた。
著者は煩わしい人間関係が嫌になりワンボックスで旅をしながら暮らす道を選んだ。ただの放浪ではなく、僧侶としての仕事しながらだ。
実家は高野山の塔頭のようだが、父親は徳島のお寺が実家であり、自らは滋賀県のお寺の住職をしているらしい。基本的にはこの3か所を拠点に車で旅をしながら暮らしている。
車で暮らすというとホームレスのような印象を受けるが著者は僧侶としてきちんと収入を得ながら社会貢献もして生活をしている。各地で葬式や法事の法務を請け負い、瞑想教室も開く。そうしながら自分が住職をしているお寺の檀家も増やしていく。
前半は車で暮らすことのノウハウ的な内容だが、最後の2章は著者が生きてきた半生と車の中に寝泊まりするようになった経緯が書かれている。その内容は壮絶でまた、共感できる部分もある。
中学生時代の親からの勉強の強制。高校時代の寮生活での暴力と教師たちがとった顛末。宅浪して大学に合格。アトピーの苦痛。大学時代は面白おかしく暮らしたが3年の時に友人関係のトラブル、失恋から引きこもり。卒業したのち父親の勤める高野山大学大学院へ入学するが学問のための学問になじめず中退。西成で音楽活動。手伝いをしていたお寺のおかみさんに勧められて開教師としてアメリカへ渡る。破天荒な布教活動と信者を集めすぎたためクビになる。裸体に般若心経を書いてアート雑誌に発表したところ現地の主幹の逆鱗に触れたらしい。真言宗的にはこれもありだと思うのだが・・。信者を集めすぎてクビというのも本末転倒のように思う。しかし、これが組織。ひとと違ったことをすると煙たがられる。そして組織に所属していることに対する苦痛と矛盾を感じる。
東京の寺に養子に行くも住職の色恋沙汰に巻き込まれ養子縁組を解消。僧侶派遣で食いつなぐ。
その後結婚。妻の束縛に耐えられずに友人が暮らすニュージーランドへ逃げる。その友人はホンダオデッセイの中で妻と暮らしており、その魅力に気づく。
帰国後、自分も日産キャラバンの中古を購入しくるま暮らしを始める。
僧侶という、心を鍛える修行をしていなければとても耐えられそうにない人生の荒波に見えるが、家がしっかりしているからできる自由な生き方のようにも見える。
そして、僧侶としての特殊な職業であることがこういう生活を可能にしているのだろうが、何でも自由にできるということがうらやましい。専門的な技術を持っているということは強みだ。
何も自分磨きをしてこなかった自分が恨めしい。ただ、そういった糧があったとしてもはたして自分にこんな生き方ができるかというとそれはないだろう。自由にお金が稼げて社会からも必要とされるとなるとそれで満足しきってしまいそれ以上のことは望まない。
著者は自分自身のことを社会不適合者として生きているという。その理由は、「忖度抜きで、おかしい時にはおかしいと言える自由な立場が欲しい。そのためには、自立していなければならない。依存すると、自由がなくなる。」ということだ。ここのところはよくわかる。
会社もしくは会社というところはおかしなところだ。(僕が務める会社だけかもしれないが。)時にクレーマーを相手にすることがあったが、そんなとき、上司たちはどんな理不尽な要求を言われても事を荒立ててそのことが上の人の耳に入ることだけを恐れていた。「どうして一緒に戦ってくれないんですか。」と聞くと、「会社には迷惑をかけられない。」そんな答えが返ってきた。僕たちはクレーマーの侮辱に必死で耐えるしかなかった。それでも僕は耐えられないからひとりになっても戦っていると、上司たちは、いい加減にしろと僕を悪者にした。僕はただ、自分の部下を守りたかっただけだった。
新規事業を提案するときでも、これからはネットでの情報発信です。こうやって会員を集めましょうとこれから使う経費と同じくらいの額でやれますと発言したときも、じゃあ、その情報を手にしたひとが他店で買い物をしたらこっちが損するだけじゃないか。とそんなことを言う上司がいた。まあ、これは少し時代が早すぎたということもあったかもしれないが、この人、アホとちがうかと思った。でも、僕のほうが放り出された。今、その分野ではわが社は完全に後れをとっている。
そして友ヶ島の海岸に散らばっている浮遊ゴミのように流れ着いたのが今の部署だ。ゴミみたいな仕事(仕事というのもおこがましい)をやっている。同じ部署の人たちは誇りをもってこんな業務にいそしんでいるのだろうかと疑問に思う。まあ、こんなことをしていても給料をくれるのだからありがたいといえばありがたいけれども・・。
そんなだから、僕もこの社会と会社は生きづらいところであるといつも思っている。
著者はそういう人に対して、「愛する家族や信頼できる仲間に囲まれて、信頼できる社会の中で生きることができれば、それはとても幸せなこと。でも、もし僕のように生まれついてしまったら、あるいは後天的にそうなってしまったら仕方がない。どんなに自分がイタくても、家族や仲間や恋人から心無い言葉をかけられても、自分だけは自分の味方でいてあげることだ。」と語りかける。
著者はインドを旅したとき、ある瞑想法を覚えたという。これはお釈迦様もおこなっていた修法だったそうだが、著者はその瞑想の中で自分が生きてきた歩みを振り返りそれを肯定してみた。そうすると、死ぬほど苦しかったアトピーの発作が急に治まり気持ちも楽になったという。
自分を肯定するという行為。これが大切であると結んでいる。
くるまの中で旅をしながら暮らしているというとちょっとお気楽な人かヒッピーかと思い、前半はただのノウハウ本かと思うような展開であったけれども、最後の最後に56歳のおじさんにも考えさせられる内容であった。
無駄な消費が経済を回しているのだというが、ゴミのような仕事をしながらそれに加担するというのも悲しい。
残りのサラリーマン人生を終えた後、この会社にも雇用延長の制度があるけれども、おそらく今と同じ業務かコンビニ店員しか仕事はもらえないだろう。こんな仕事では雇用延長に応じたいとも思わない。
幸いにして、今のところ借金はない。その分、自由に生きたい。アルバイトでもしながら叔父さんに畑を借りて耕す生活はどうだろう。できればそれを売って少しでも収入を得るこができれば本望だと、ささやかな希望をつぶやいてみるのだ。
山奥ニートの次はワンボックスカーで自由に暮らす僧侶の話だ。この人も高野山に実家があるという。和歌山にはこういう人が多いのだろうか・・。
確かに自由に生きるということと和歌山はよく似合いそうだ。NHKだったと思うが、車の中で生活している僧侶のドキュメントがあり、多分この人のことだったのだと思う。(こんな人は日本ではふたりといないだろう。)そのことが記憶の片隅にあり、この本を手にとってみた。
著者は煩わしい人間関係が嫌になりワンボックスで旅をしながら暮らす道を選んだ。ただの放浪ではなく、僧侶としての仕事しながらだ。
実家は高野山の塔頭のようだが、父親は徳島のお寺が実家であり、自らは滋賀県のお寺の住職をしているらしい。基本的にはこの3か所を拠点に車で旅をしながら暮らしている。
車で暮らすというとホームレスのような印象を受けるが著者は僧侶としてきちんと収入を得ながら社会貢献もして生活をしている。各地で葬式や法事の法務を請け負い、瞑想教室も開く。そうしながら自分が住職をしているお寺の檀家も増やしていく。
前半は車で暮らすことのノウハウ的な内容だが、最後の2章は著者が生きてきた半生と車の中に寝泊まりするようになった経緯が書かれている。その内容は壮絶でまた、共感できる部分もある。
中学生時代の親からの勉強の強制。高校時代の寮生活での暴力と教師たちがとった顛末。宅浪して大学に合格。アトピーの苦痛。大学時代は面白おかしく暮らしたが3年の時に友人関係のトラブル、失恋から引きこもり。卒業したのち父親の勤める高野山大学大学院へ入学するが学問のための学問になじめず中退。西成で音楽活動。手伝いをしていたお寺のおかみさんに勧められて開教師としてアメリカへ渡る。破天荒な布教活動と信者を集めすぎたためクビになる。裸体に般若心経を書いてアート雑誌に発表したところ現地の主幹の逆鱗に触れたらしい。真言宗的にはこれもありだと思うのだが・・。信者を集めすぎてクビというのも本末転倒のように思う。しかし、これが組織。ひとと違ったことをすると煙たがられる。そして組織に所属していることに対する苦痛と矛盾を感じる。
東京の寺に養子に行くも住職の色恋沙汰に巻き込まれ養子縁組を解消。僧侶派遣で食いつなぐ。
その後結婚。妻の束縛に耐えられずに友人が暮らすニュージーランドへ逃げる。その友人はホンダオデッセイの中で妻と暮らしており、その魅力に気づく。
帰国後、自分も日産キャラバンの中古を購入しくるま暮らしを始める。
僧侶という、心を鍛える修行をしていなければとても耐えられそうにない人生の荒波に見えるが、家がしっかりしているからできる自由な生き方のようにも見える。
そして、僧侶としての特殊な職業であることがこういう生活を可能にしているのだろうが、何でも自由にできるということがうらやましい。専門的な技術を持っているということは強みだ。
何も自分磨きをしてこなかった自分が恨めしい。ただ、そういった糧があったとしてもはたして自分にこんな生き方ができるかというとそれはないだろう。自由にお金が稼げて社会からも必要とされるとなるとそれで満足しきってしまいそれ以上のことは望まない。
著者は自分自身のことを社会不適合者として生きているという。その理由は、「忖度抜きで、おかしい時にはおかしいと言える自由な立場が欲しい。そのためには、自立していなければならない。依存すると、自由がなくなる。」ということだ。ここのところはよくわかる。
会社もしくは会社というところはおかしなところだ。(僕が務める会社だけかもしれないが。)時にクレーマーを相手にすることがあったが、そんなとき、上司たちはどんな理不尽な要求を言われても事を荒立ててそのことが上の人の耳に入ることだけを恐れていた。「どうして一緒に戦ってくれないんですか。」と聞くと、「会社には迷惑をかけられない。」そんな答えが返ってきた。僕たちはクレーマーの侮辱に必死で耐えるしかなかった。それでも僕は耐えられないからひとりになっても戦っていると、上司たちは、いい加減にしろと僕を悪者にした。僕はただ、自分の部下を守りたかっただけだった。
新規事業を提案するときでも、これからはネットでの情報発信です。こうやって会員を集めましょうとこれから使う経費と同じくらいの額でやれますと発言したときも、じゃあ、その情報を手にしたひとが他店で買い物をしたらこっちが損するだけじゃないか。とそんなことを言う上司がいた。まあ、これは少し時代が早すぎたということもあったかもしれないが、この人、アホとちがうかと思った。でも、僕のほうが放り出された。今、その分野ではわが社は完全に後れをとっている。
そして友ヶ島の海岸に散らばっている浮遊ゴミのように流れ着いたのが今の部署だ。ゴミみたいな仕事(仕事というのもおこがましい)をやっている。同じ部署の人たちは誇りをもってこんな業務にいそしんでいるのだろうかと疑問に思う。まあ、こんなことをしていても給料をくれるのだからありがたいといえばありがたいけれども・・。
そんなだから、僕もこの社会と会社は生きづらいところであるといつも思っている。
著者はそういう人に対して、「愛する家族や信頼できる仲間に囲まれて、信頼できる社会の中で生きることができれば、それはとても幸せなこと。でも、もし僕のように生まれついてしまったら、あるいは後天的にそうなってしまったら仕方がない。どんなに自分がイタくても、家族や仲間や恋人から心無い言葉をかけられても、自分だけは自分の味方でいてあげることだ。」と語りかける。
著者はインドを旅したとき、ある瞑想法を覚えたという。これはお釈迦様もおこなっていた修法だったそうだが、著者はその瞑想の中で自分が生きてきた歩みを振り返りそれを肯定してみた。そうすると、死ぬほど苦しかったアトピーの発作が急に治まり気持ちも楽になったという。
自分を肯定するという行為。これが大切であると結んでいる。
くるまの中で旅をしながら暮らしているというとちょっとお気楽な人かヒッピーかと思い、前半はただのノウハウ本かと思うような展開であったけれども、最後の最後に56歳のおじさんにも考えさせられる内容であった。
無駄な消費が経済を回しているのだというが、ゴミのような仕事をしながらそれに加担するというのも悲しい。
残りのサラリーマン人生を終えた後、この会社にも雇用延長の制度があるけれども、おそらく今と同じ業務かコンビニ店員しか仕事はもらえないだろう。こんな仕事では雇用延長に応じたいとも思わない。
幸いにして、今のところ借金はない。その分、自由に生きたい。アルバイトでもしながら叔父さんに畑を借りて耕す生活はどうだろう。できればそれを売って少しでも収入を得るこができれば本望だと、ささやかな希望をつぶやいてみるのだ。