場所:紀ノ川河口
条件:中潮 3:14干潮 9:44満潮
釣果:タチウオ 12匹
ここ数日、一気に涼しくなった。これくらいの気温になったらそろそろタチウオの燻製も作れる。今日は燻製の素材を確保するための釣行だ。
と、いうのも、ボウズの回数を減らすためには釣りに行かないことだということが薄々わかってきた。特に加太へは。釣りに行かないと魚は手に入らないけれども絶対にボウズにはならない。まことに消極的な考えだが、まったくそれほどに僕のボウズの回数はひっ迫している。なんとも情けない。今日も紀ノ川方面からはたくさんの船が出撃していったが僕はそれを尻目に紀ノ川河口をウロウロしていた。ここではよほどのことがない限りボウズになることはないだろう。
夜明けの時間も遅くなり、午前5時47分が日の出の時間だ。そういえば今日は秋分の日だ。なんだか時の経つのが異常に速いような気がする。そういうことを気にせずに今日も午前3時半には家を出てきたが確かに真夜中だ。
東の空のオリオン座は少し位置が高くなってきている。時は間違いなく進んでいるのだ。その星座を構成する星のひとつ、オリオンの右肩にある1等星ベテルギウスだが、去年から明るさが異常に暗くなっていると話題になり、ひょっとしたら超新星爆発するのではないかという噂まで流れたが今年は少し明るさを取り戻したようだ。僕の目でも明らかに明るくなったことがわかる。すでに球形を維持できずゆがんだ形になっているということがわかっているので、ひょっとしたら僕が死ぬまでに超新星爆発を見ることができるのではないかと思ったがどうも無理らしい。
(ブログの縮小画像では星が判別できない・・)
日本に記録が残っている超新星爆発についての記述は藤原定家の「明月記」が有名だが、定家が肉眼で見たのは彗星(1230年)だったらしい。しかし、陰陽師が残した過去の記録として1006年、1054年、1181年に観測されたものを記録として書いているそうだ。
これを見てみると、大体50年から150年に1回観測されたという感じだが、これ以降肉眼で明らかに明るい星として観測されたのは世界中をみても1604年が最後で合計2回だけらしい。素人が見てすぐにわかる超新星爆発はおそらく300年~400年に1回という計算だ。そして超新星爆発を起こす星の寿命は太陽よりもはるかに短いとはいえ数百万年から数千万年ある。そんなに簡単に見ることはできないということだ。僕のボウズの回数もこれくらいの頻度ならありがたいのだがと港に向かう道中星空を眺めるのである。
そしてその道中、えらく風が吹いている。屋根のついている僕のバイクもあおられるような風だ。いつも渡る二つの川の川面もかなり波が立っている。あらら、出港できるのかしらと思ったが風は少し東に向いているので港の中は穏やかだ。渡船屋も営業しているのでこれは大丈夫と出港。午前4時半に船を出すと真っ暗だ。
風も心配なので港内から流す。
さすがに暗い間はアタリがない。やっとアタリが出たのはキャビンの電灯を消しても手元がわかるくらいになってからだ。
しかし今日も小さい。そしてアタリがある範囲も狭い。青岸の灯台の前を外すとまったくアタリがない。型も小さく群れも小さい。燻製を作るには魚が小さいほうがいいけれども、釣りをするには寂しい。今日も20匹くらいは釣って小さいのは燻製、大きいのは煮つけか焼き物だと思っていたが、大きいのは1匹だけ。叔父さんの家に持っていったら燻製を作る分しか残らなかった。太陽が顔をのぞかせる頃にはアタリはなくなってしまった。まったく、数が釣れない典型的なパターンだ。
叔父さんの家に持っていくには時間が早すぎるので新々波止の南側に出てもうひとつの禁断の仕掛けを流してみたが、こっちも不発だ。防波堤のルアーマンたちは大きなハマチやサワラを上げているのだが、禁断の仕掛けには見向きもしてくれない・・。
そしてこのくらいの時間になると、朝の強風が嘘のように海面は穏やかだ。夜明け前に加太に向かった船の釣り人たちはきっと今日もたくさんの釣果を上げていることだろう。
しかし、今日の目的はあくまでも燻製用の素材の確保だ。そういう意味では目的を達したことになる。
家に帰って魚を捌きながらソミュール液を作り(ボウズだと捨ててしまわなければならないので出発前に作っていなかった。)さっそく漬け込んだ。鮮度だけは保証付きだ。
少し早いが乾燥時間を考えて夕方に乾燥台のうえに広げた。
次の休みに燻してみるのだが、さて、今回の出来栄えはどんなものだろう。
条件:中潮 3:14干潮 9:44満潮
釣果:タチウオ 12匹
ここ数日、一気に涼しくなった。これくらいの気温になったらそろそろタチウオの燻製も作れる。今日は燻製の素材を確保するための釣行だ。
と、いうのも、ボウズの回数を減らすためには釣りに行かないことだということが薄々わかってきた。特に加太へは。釣りに行かないと魚は手に入らないけれども絶対にボウズにはならない。まことに消極的な考えだが、まったくそれほどに僕のボウズの回数はひっ迫している。なんとも情けない。今日も紀ノ川方面からはたくさんの船が出撃していったが僕はそれを尻目に紀ノ川河口をウロウロしていた。ここではよほどのことがない限りボウズになることはないだろう。
夜明けの時間も遅くなり、午前5時47分が日の出の時間だ。そういえば今日は秋分の日だ。なんだか時の経つのが異常に速いような気がする。そういうことを気にせずに今日も午前3時半には家を出てきたが確かに真夜中だ。
東の空のオリオン座は少し位置が高くなってきている。時は間違いなく進んでいるのだ。その星座を構成する星のひとつ、オリオンの右肩にある1等星ベテルギウスだが、去年から明るさが異常に暗くなっていると話題になり、ひょっとしたら超新星爆発するのではないかという噂まで流れたが今年は少し明るさを取り戻したようだ。僕の目でも明らかに明るくなったことがわかる。すでに球形を維持できずゆがんだ形になっているということがわかっているので、ひょっとしたら僕が死ぬまでに超新星爆発を見ることができるのではないかと思ったがどうも無理らしい。
(ブログの縮小画像では星が判別できない・・)
日本に記録が残っている超新星爆発についての記述は藤原定家の「明月記」が有名だが、定家が肉眼で見たのは彗星(1230年)だったらしい。しかし、陰陽師が残した過去の記録として1006年、1054年、1181年に観測されたものを記録として書いているそうだ。
これを見てみると、大体50年から150年に1回観測されたという感じだが、これ以降肉眼で明らかに明るい星として観測されたのは世界中をみても1604年が最後で合計2回だけらしい。素人が見てすぐにわかる超新星爆発はおそらく300年~400年に1回という計算だ。そして超新星爆発を起こす星の寿命は太陽よりもはるかに短いとはいえ数百万年から数千万年ある。そんなに簡単に見ることはできないということだ。僕のボウズの回数もこれくらいの頻度ならありがたいのだがと港に向かう道中星空を眺めるのである。
そしてその道中、えらく風が吹いている。屋根のついている僕のバイクもあおられるような風だ。いつも渡る二つの川の川面もかなり波が立っている。あらら、出港できるのかしらと思ったが風は少し東に向いているので港の中は穏やかだ。渡船屋も営業しているのでこれは大丈夫と出港。午前4時半に船を出すと真っ暗だ。
風も心配なので港内から流す。
さすがに暗い間はアタリがない。やっとアタリが出たのはキャビンの電灯を消しても手元がわかるくらいになってからだ。
しかし今日も小さい。そしてアタリがある範囲も狭い。青岸の灯台の前を外すとまったくアタリがない。型も小さく群れも小さい。燻製を作るには魚が小さいほうがいいけれども、釣りをするには寂しい。今日も20匹くらいは釣って小さいのは燻製、大きいのは煮つけか焼き物だと思っていたが、大きいのは1匹だけ。叔父さんの家に持っていったら燻製を作る分しか残らなかった。太陽が顔をのぞかせる頃にはアタリはなくなってしまった。まったく、数が釣れない典型的なパターンだ。
叔父さんの家に持っていくには時間が早すぎるので新々波止の南側に出てもうひとつの禁断の仕掛けを流してみたが、こっちも不発だ。防波堤のルアーマンたちは大きなハマチやサワラを上げているのだが、禁断の仕掛けには見向きもしてくれない・・。
そしてこのくらいの時間になると、朝の強風が嘘のように海面は穏やかだ。夜明け前に加太に向かった船の釣り人たちはきっと今日もたくさんの釣果を上げていることだろう。
しかし、今日の目的はあくまでも燻製用の素材の確保だ。そういう意味では目的を達したことになる。
家に帰って魚を捌きながらソミュール液を作り(ボウズだと捨ててしまわなければならないので出発前に作っていなかった。)さっそく漬け込んだ。鮮度だけは保証付きだ。
少し早いが乾燥時間を考えて夕方に乾燥台のうえに広げた。
次の休みに燻してみるのだが、さて、今回の出来栄えはどんなものだろう。