場所:水軒沖
条件:小潮 5:16干潮
釣果:ボウズ
昨日、自宅の最寄り駅を出ようとしたとき、昔の同僚に声をかけられた。彼は地元の事業所に勤務していた頃の同僚で、上下関係があったわけでもないし直接一緒に仕事をしたことはなかったのだがなぜか僕を慕ってくれていた。
大阪の事業所に異動になっていたのだがこの春、また地元に戻ってきたらしい。
しかし、その異動先は、彼がそれまで経験してきた仕事とはまったく畑違いのところらしく、3ヶ月経った今でも戸惑い続けているそうだ。
昨日の「らんまん」で、万太郎はこんなことを言っている。
万太郎:「岩下さん、さっきの話なんですが、わしは、消えんと思います。彫り師や摺り師、かつて、腕を競うた、技を誇った方々が、その場所から散っていったとしても、それは消えたがじゃない。新たな場所に、根づいて、そして、芽吹いていくがじゃと思います。」
岩下:「芽吹く?」
万太郎:「磨き抜かれたもんは決してのうならん。新しい場所に合うた形で、変化し、もっと強うなって、生き抜いていく。それが、生きちゅうもんらあの、ことわりですき。」
とはいえ、今の時代は時代遅れの企業とはいえ、業務が高度に細分化されてしまっているので幹細胞のようにいつでも新しい働き方に順応できるほど簡単ではないし、会社の働き方や社員教育のシステムについても対応しきれていないように思う。会社も生き物だから世界の動きに合わせて対応しなければならならず、部品としての社員もあちこちに付け替えていかざるを得ないというのもわからないではないが、体勢がないまま駒を動かされては動かされるほうはたまったものではない。世の中のすべてのひとが万太郎のようにポジティブな性格ではないのである。
僕もそんな捨て駒にされたほうなので彼の気持ちはよくわかる。僕は幸いにして残り少ないサラリーマン人生を流していけばいいだけなのだけれども、彼にはまだ10年以上残っている。身勝手な考えだが、矛盾に満ちているような気がする。
サラリーマンというのは、植物に例えると万太郎のセリフのように前向きにも考えられるのだろうが、ネガティブに考えると、無造作に引き抜かれて放り出される雑草のようなものであるとも思えるのである。
まあ、こんなことを思っているから自らがはじき飛ばされることになるのだろうなとは自覚はしている。そうでしか生きられないのであきらめるしかないのである。
3週間前に不発に終わったチョクリ釣りだったが、いくらなんでももう魚の群れは水軒の沖に到着しているだろうと思い、再度出撃してみた。あまり暑くなってくると燻製作りもできないので今日がリミットだ。
気合を入れて午前4時に出港したが辺りはすでに明るくなっていた。週末ごとに天気が悪くて釣りに行けなかったので気がつけば再来週はもう夏至である。
大雨の後の流木に警戒しながら船をゆっくり進めるが塗りたての船を運転しているとついついスロットルを開け気味になってしまう。水面を滑っていくという感覚は気持ちがいいのだ。
時々魚探の反応を見てみるが影も形もない(魚探の反応だから、あっても影だけなのだが・・)。
とりあえずは前回アタリがあった水深45メートル付近で仕掛けを下ろしてみる。
今日も船の影は見えない。そして、魚探への反応はまったくない。前回はアタリがなくても時々は反応が出ていたが、状況は余計に悪化しているように見える。
まだ午前5時を少し回った頃だが、嫌けが差してきた。このままここで群れを待つか、もっと沖を目指すか・・。
今日は家に戻っても何の予定もないし、船のパフォーマンスは今がピークなのでクルージングのつもりでもっと沖を目指すことにした。沖ノ島を越えてさらに沖を目指すと船の影が見えてきた。
目を凝らすとこれはまさしくチョクリ釣りの船だ。それも5隻ほどが散開している。
これは期待が持てるかもしれないと思ったけれどもここでもアタリはなく、前方にいたチョクリ船もすぐにどこかに移動してしまった。
もう、これ以上釣りを続けたとして、魚が釣れたとしてもほんの数匹だけだろうと考えて午前7時に終了。
港に戻り、小船のエンジンを回しがてら紀ノ川の様子を見てきた。線状降水帯がもたらした豪雨から1週間、川上から流れてくる水の色は濁ったままだ。
こういう状況が悪いのかどうかはわからないが、菊新丸さんに聞いてみると、今年はいまだマルアジとサバの群れは見えないそうだ。数日前に宮崎の鼻の沖で釣れたという情報があったそうだが今日はまた不発だったらしい。シラス漁も振るわず、今年はひと月遅れの水揚げだったそうだ。
気持ちが沈んでいるから釣れないのか、釣れないから気持ちが沈むのか、鬱陶しい梅雨の天気と相まって、嫌な空気が僕の周りを取り巻いている・・。
条件:小潮 5:16干潮
釣果:ボウズ
昨日、自宅の最寄り駅を出ようとしたとき、昔の同僚に声をかけられた。彼は地元の事業所に勤務していた頃の同僚で、上下関係があったわけでもないし直接一緒に仕事をしたことはなかったのだがなぜか僕を慕ってくれていた。
大阪の事業所に異動になっていたのだがこの春、また地元に戻ってきたらしい。
しかし、その異動先は、彼がそれまで経験してきた仕事とはまったく畑違いのところらしく、3ヶ月経った今でも戸惑い続けているそうだ。
昨日の「らんまん」で、万太郎はこんなことを言っている。
万太郎:「岩下さん、さっきの話なんですが、わしは、消えんと思います。彫り師や摺り師、かつて、腕を競うた、技を誇った方々が、その場所から散っていったとしても、それは消えたがじゃない。新たな場所に、根づいて、そして、芽吹いていくがじゃと思います。」
岩下:「芽吹く?」
万太郎:「磨き抜かれたもんは決してのうならん。新しい場所に合うた形で、変化し、もっと強うなって、生き抜いていく。それが、生きちゅうもんらあの、ことわりですき。」
とはいえ、今の時代は時代遅れの企業とはいえ、業務が高度に細分化されてしまっているので幹細胞のようにいつでも新しい働き方に順応できるほど簡単ではないし、会社の働き方や社員教育のシステムについても対応しきれていないように思う。会社も生き物だから世界の動きに合わせて対応しなければならならず、部品としての社員もあちこちに付け替えていかざるを得ないというのもわからないではないが、体勢がないまま駒を動かされては動かされるほうはたまったものではない。世の中のすべてのひとが万太郎のようにポジティブな性格ではないのである。
僕もそんな捨て駒にされたほうなので彼の気持ちはよくわかる。僕は幸いにして残り少ないサラリーマン人生を流していけばいいだけなのだけれども、彼にはまだ10年以上残っている。身勝手な考えだが、矛盾に満ちているような気がする。
サラリーマンというのは、植物に例えると万太郎のセリフのように前向きにも考えられるのだろうが、ネガティブに考えると、無造作に引き抜かれて放り出される雑草のようなものであるとも思えるのである。
まあ、こんなことを思っているから自らがはじき飛ばされることになるのだろうなとは自覚はしている。そうでしか生きられないのであきらめるしかないのである。
3週間前に不発に終わったチョクリ釣りだったが、いくらなんでももう魚の群れは水軒の沖に到着しているだろうと思い、再度出撃してみた。あまり暑くなってくると燻製作りもできないので今日がリミットだ。
気合を入れて午前4時に出港したが辺りはすでに明るくなっていた。週末ごとに天気が悪くて釣りに行けなかったので気がつけば再来週はもう夏至である。
大雨の後の流木に警戒しながら船をゆっくり進めるが塗りたての船を運転しているとついついスロットルを開け気味になってしまう。水面を滑っていくという感覚は気持ちがいいのだ。
時々魚探の反応を見てみるが影も形もない(魚探の反応だから、あっても影だけなのだが・・)。
とりあえずは前回アタリがあった水深45メートル付近で仕掛けを下ろしてみる。
今日も船の影は見えない。そして、魚探への反応はまったくない。前回はアタリがなくても時々は反応が出ていたが、状況は余計に悪化しているように見える。
まだ午前5時を少し回った頃だが、嫌けが差してきた。このままここで群れを待つか、もっと沖を目指すか・・。
今日は家に戻っても何の予定もないし、船のパフォーマンスは今がピークなのでクルージングのつもりでもっと沖を目指すことにした。沖ノ島を越えてさらに沖を目指すと船の影が見えてきた。
目を凝らすとこれはまさしくチョクリ釣りの船だ。それも5隻ほどが散開している。
これは期待が持てるかもしれないと思ったけれどもここでもアタリはなく、前方にいたチョクリ船もすぐにどこかに移動してしまった。
もう、これ以上釣りを続けたとして、魚が釣れたとしてもほんの数匹だけだろうと考えて午前7時に終了。
港に戻り、小船のエンジンを回しがてら紀ノ川の様子を見てきた。線状降水帯がもたらした豪雨から1週間、川上から流れてくる水の色は濁ったままだ。
こういう状況が悪いのかどうかはわからないが、菊新丸さんに聞いてみると、今年はいまだマルアジとサバの群れは見えないそうだ。数日前に宮崎の鼻の沖で釣れたという情報があったそうだが今日はまた不発だったらしい。シラス漁も振るわず、今年はひと月遅れの水揚げだったそうだ。
気持ちが沈んでいるから釣れないのか、釣れないから気持ちが沈むのか、鬱陶しい梅雨の天気と相まって、嫌な空気が僕の周りを取り巻いている・・。