今年のクリスマスは、夫の姉の家で祝った。
イヴの日の昼過ぎに家を出て、クリスマスの夜に家に戻る予定で、今回初めて自動餌やり器なるものを買って、猫たちの世話を誰にも頼まずに家を留守にした。
家から車で5分ぐらいの高速に乗った瞬間、フロントガラスの向こうに広がった光景。
イヴディナーは、前年と同じインディアンレストランに、夫の両親、姉一家、姉の義弟、それからバージニアからやってきたうちの長男くんと我々夫婦の9人が集まった。
それぞれの近況を、と言いたいところだけど、ついひと月前に感謝祭で会って話したばかりなので、真新しい話はあんまりない。
クリスマス当日はよく晴れた。
けれども寒い!マジで寒い!
暖炉が大活躍。
とうとうティーンエイジャーになったエメラだけど、まだまだクリスマスが嬉しい女の子。
クリスマスというとこれ、エグノグ(卵、ミルク、砂糖、シナモン、たまにラム酒などを混ぜて作った飲み物)。
クリスマス特別おやつを待つソニア。
わたしの今回の主要作業は栗の皮むき。
平らな側に十字の切れ目をつけた栗を熱湯で湯がき、熱々の時に剥いていくのだけど、なぜかこれだけの栗を剥くだけで30分以上もかかってしまった…。
この栗は、ブラッセルスプラウトとシャロットと一緒に炒め、タイムと塩コショウで味付けした。
今回はターキーではなくハム。
今年は次男くんが欠席したので、切り役を仰せつかった長男くん。
夫とポール。
でっかいオーブンが2台あると、こういう日の料理には超便利。
そろそろ出来上がり。
いただきまーす!
グルテンフリーバージョンのパイもある。
クリスマスといえば贈り物。
だから、クリスマスが近づいてくると、商店街近辺の路上駐車は軒並み無料になる。
さあ、どんどん買い物してくださいよーと、パーキングメーターにまで呼び込まれているような気がする。
以前は、周りの興奮にすっかり巻き込まれて、最後の方なんかはどうでもいいような物を買ってしまうことがあったのだけど、
ある年から、家族以外は送る人ともらう人を決めて、プレゼントはその人の分だけを60ドル以内で買うっていうルールになってからは、超〜シンプルな買い物になって大助かり。
疲れ切った顔をして、両手に荷物を抱えながら、それでもなお何かを買おうとしている人を見ると、余計なお世話だけれど、みんなもそうすればいいのに、なんて思ってしまう。
家に戻って真っ先に、台所の自動餌やり器を点検しに行くと、エェ〜!?器の中にドライフードがてんこ盛り?!
な、なんで…?
空も海も、とりあえず無事な様子だけど、この餌の残り様は異常だ。
セットしたにも関わらずめちゃくちゃ多い量が出てしまったのか、それともドライフードだけというのが気に入らなかったのか。
空はともかく海は、目の前にあったらあっただけ食べてしまう大食らいなのに…。
とりあえず様子を見ることにしたのだけれど、二匹とも機嫌がすこぶる悪い。
追いかけっこをした挙句に、どちらからともなく飛びかかる寸前の一触即発状態。
黒猫の空は、暗がりではよく写らないのでわかりにくいのだけど、後ろに回って飛びかかろうとしている海をけん制して、思いっきり睨みつけている。
やっぱり世話をお願いするべきだったか…。
年末年始も仕事と受験勉強があるからと、さっさとバージニアに帰ってしまう長男くんと、1年に1度のすき焼きパーティ。
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10月の末に親友のルエルが亡くなって、カナダとここを二往復した。
そのあと生徒の発表会が近づいてきて、平常時のレッスンに臨時のレッスンが加わり、そこに発表会の準備作業が重なって疲れが溜まっているところに、高校生の生徒たちが数人、急に出られないという知らせが入った。
どの子も皆、一から教えてきた子たちで、それぞれ上手になってそれなりの曲を弾く予定だったので、プログラムが寂しくなってがっかりした。
そこに、今回わたしとデュエットを弾いてくれるはずの友人からのドタキャンがあり、急遽ソロで弾く曲を選ばなくてはならなくなった。
それで、ずっと頭の中で歌っていた曲を弾こうと思い、楽譜を探したのだけどもどうしても見つからなくて困っていたら、ピアノ教師の友人が助け舟を出してくれた。
彼女が届けてくれた楽譜のコピーを譜面台に置いて、練習を始めたのが発表会の3日前。
曲はショパンのノクターンの遺作。
発表会の最後に弾くにはちょっと暗い曲想なのだけど、わたしはどうしてもこの曲が弾きたかった。
発表会は、当日までのストレスが一気に解消されるような、気持ちの良い会になった。
会場の教会の係りの伝達が悪くて、発表会の準備が全くされてなかったばかりか、前に行われたであろう行事のゴミや物が散乱していたことを除いては…。
すごく疲れたけれども、心地よい満足感に浸りながら、夫が運転する車の助手席に座っていると、
「あの曲は、ルエルのことを想って弾いたんだろう」と、夫がポツンと言った。
それを聞いて初めて、あの曲がずっと頭の中に流れていた理由がわかったような気がした。
発表会の後の1週間は、身体を支えているはずの骨がスポンジになったみたいで、立っていても座っていても、同じ姿勢を続けるのが辛かった。
疲弊した時に決まってやってくる膀胱炎も始まった。
腎臓結石を患った時に感じた背中の痛みもやってきた。
さすがにこれはかなりヤバいかもと思い、徹底的に休むことにした。
なのに、休んでも休んでも、一向に元気が戻ってこない。
膀胱炎と結石は、重い症状になる前に退散させることができたけど、今度は夕方になると微熱が出てくるようになった。
体が弱ったから心も弱ったのか、心が弱ったから体も弱ったのか。
いずれにせよ、ほんの少しの無理もできなくなった、というより、したくなくなった。
けれども、音楽家協会の役員会議に出かけたり、3月のコンサートのための舞台慣れになるからと、パートナーのエリオットと一緒にコンサート兼パーティに出演したりした。
芸術家であり市民運動家でもある素敵な女性の家のパーティに誘われて、出かけて行ったこともあった。
そこで出された料理は、デザートの和菓子に至るまで全てその女性の手作りで、本当に美味しくて素晴らしかった。
そのどちらのパーティも、わたしは写真を撮っていたのだけれど、ブログに載せることができないまま時間が経ってしまった。
こんなことは本当に初めてで、自分のことながら、一体どうしてしまったんだろうと思うのだけど、その答がいつまで経っても出てこない。
時間が解決してくれるのかと思ったけれど、2ヶ月近くも経っているというのに一向に見つからない。
このことは書きたいと思い、いろいろと関連する記事や写真を探しては、それをパソコンの画面上に残しているのだけども、書けないまま時間が過ぎてはゴミ箱に移動させるということの繰り返し。
でも…。
大丈夫やで。
そう思えるとこまで戻ってきた。
いや、もしかしたら、戻ってきたんじゃなくて、新しい自分に向かってるのかもしれない。
弱ってるのじゃなくて、自分で自分に無理を強要しない人に変わろうとしてるのかもしれない。
いずれにせよ、ブログの記事を毎日書くことがとても重要なことだと思って、書くことを自分に課してきた6年半だった。
それは、家族との時間や身の回りの始末を蔑ろにしたり、疲れている自分を無視し続けてきた6年半でもある。
夫婦ともにとても親しく付き合ってきた二組のカップルの、いずれも夫が続けざまに亡くなり、残された二人の妻の悲しみと喪失感の深さを目の当たりにして、妻としての自分自身の在り方を思い直した。
それと同時に、40代50代の時と同じように考えて、無理をし続けていても良いのかどうかも考えた。
ペースが落ちるかもしれないけれど、これからも書いていくつもり。
外はずっと零下が続いている。
日中でもマイナス7度ぐらい。
朝晩はマイナス11度になる日もある。
だから外に出ると、まるで巨大な冷凍庫の中に入ったような気になる。
なのに、我が家の猫たちは外遊びをやめない。
さすがに長い時間出っ放し、ではないけれど…。
温かな部屋を失ったホームレスの人たちは、シェルターや教会に避難している。
ホームレスではなくても、お金が払えなくなって、部屋を暖められない人たちもいる。
寒さが厳しくなるたびに、そういう大変な状況に陥っている人たちや、野生で生きていかなければならない動物たちのことを考える。
わたしはいくら感謝してもし足りないくらいに恵まれているのだ。
1年が終わり、1年が始まる。
無事に生かされていることに感謝することは、その恵みを自分以外の人に配ることだ。
今はまだ、元気よくはできないけれど、もしも中に、同じように元気を失っている人がいたら、その人に言ってあげたい。
大丈夫やで。