父の誕生日パーティが終わり、その日初めて父の家を訪れたという、フィラデルフィアからの姪夫婦に、家の案内ツアーをすることになった。
まずは、別棟にある母の陶芸スタジオを見学しようと家の外に出ると、ガレージ前のアスファルト一面に『お姫様』と『けんけんぱ』の絵が、所狭しとチョークで描かれていた。もうすぐ6才になるエメラが描いたのだ。上手だなあ。
こちらの『けんけんぱ』は四角くてくっついている。□の中には数字が描かれていて、これをどんなふうに使って遊ぶのかは知らないけれど楽しそう。
日本のはこれ。
新しい最新式のガスの焼き釜を、本当に誇らし気に紹介する母。陶芸を学び始めて30年。今はアメリカを代表する壁掛け作品の陶芸家となっている。
けれども、それはあくまでも自分だけの趣味だからと、贅沢をせず、今までずっと古い釜でコツコツ焼いてきた母の嬉しそうな横顔を見ていると、胸が詰まった。
さて、一通りの質疑応答(大げさ?)も一段落、スタジオを出て、皆で家の方に戻る途中で、先を歩いていたわたし、どうしても『けんけんぱ』がしたくなった。
はじめの□の前に立ち、片足になって「けんけん」えっ
「ぱ」を言うつもりが……口から出ていたのは「イッタァ~」
おばちゃん、ど派手にこけましたです、はい。それも、みぃ~んなの前で。息子達ふたり、とっても複雑な顔して、「おかん……」とつぶやいていた。
駆け寄ってきてくれた人達に起こされ、立ち上がってみると、右の膝小僧の所に五百円大の穴がぽっかり空き、そこから覗くと血が吹き出ていた。
「ああまうみ、大変よ。歩ける?大丈夫?早く治療しなきゃ」と、母が必死の形相でわたしの腕をとった。
かっちょ悪いにもほどがあるけど、背に腹は代えられない、けっこう痛い。なので、おとなしく言うことを聞くことにした。
母専用のバスルームに入り、便器の蓋の上に座るように言われ、日本のユニクロで買ったばかりのスリムパンツを脱いだ。
消毒液や痛み止めのオイル(母のお手製)、それから抗生物質入りのクリームを探す母。
水で洗う時に、「痛いよねえ、そりゃ痛いはこれは」とブツブツ言いながらコットンで傷をぬぐってくれる母の姿を見て、小さかった頃の自分を思い出した。
赤ん坊の時、股間脱臼をして上手に歩けなかったわたしは、文字通り、3歩歩くとバッタンとこける女の子だった。
なので、膝小僧は年がら年中傷だらけ。おまけに膿み易い体質だったから、傷が治りかけては膿み、また治りかけては膿みで、一生傷になっている。
わたしの母は、そりゃもう厳しい人だったけれど、傷を負った時にはきちんと処置をしてくれた。もちろん、「痛いよねえ、可哀想に」などとは一言も言ってくれなかったけれど、その甲斐甲斐しさが嬉しかった。
「今日は一日、できるだけ静かにしてるのよ。それから、帰りの車の中で、氷で冷やすこと。20分冷やして少し休憩。それからまた20分。わかったわね」
一昨年、両膝の外科手術を受けた母は、膝についてはかなり蘊蓄がある。旦那も旦那で言いたいことがあったが、この時は母をたてることにした。
バッタンこけた時、がっしりと両手をついたことを自画自讃するわたし。しかも、手のひらの皮が少し剥けたけど、指は全く大丈夫。さすが
いや、そういうレベルの問題ちゃうで。そもそも、50過ぎたら、ちょっと勾配のあるとこに描かれた『けんけんぱ』はせえへんのとちゃう?
しかも、その時履いていたサンダルはサイズが少し大きめで、指先がかなり余っていて、普段歩いている時もよくつっかえて転けそうになっていたのに……。
と、密かに激しく反省していたことを最後に記しておこう。
まずは、別棟にある母の陶芸スタジオを見学しようと家の外に出ると、ガレージ前のアスファルト一面に『お姫様』と『けんけんぱ』の絵が、所狭しとチョークで描かれていた。もうすぐ6才になるエメラが描いたのだ。上手だなあ。
こちらの『けんけんぱ』は四角くてくっついている。□の中には数字が描かれていて、これをどんなふうに使って遊ぶのかは知らないけれど楽しそう。
日本のはこれ。
新しい最新式のガスの焼き釜を、本当に誇らし気に紹介する母。陶芸を学び始めて30年。今はアメリカを代表する壁掛け作品の陶芸家となっている。
けれども、それはあくまでも自分だけの趣味だからと、贅沢をせず、今までずっと古い釜でコツコツ焼いてきた母の嬉しそうな横顔を見ていると、胸が詰まった。
さて、一通りの質疑応答(大げさ?)も一段落、スタジオを出て、皆で家の方に戻る途中で、先を歩いていたわたし、どうしても『けんけんぱ』がしたくなった。
はじめの□の前に立ち、片足になって「けんけん」えっ
「ぱ」を言うつもりが……口から出ていたのは「イッタァ~」
おばちゃん、ど派手にこけましたです、はい。それも、みぃ~んなの前で。息子達ふたり、とっても複雑な顔して、「おかん……」とつぶやいていた。
駆け寄ってきてくれた人達に起こされ、立ち上がってみると、右の膝小僧の所に五百円大の穴がぽっかり空き、そこから覗くと血が吹き出ていた。
「ああまうみ、大変よ。歩ける?大丈夫?早く治療しなきゃ」と、母が必死の形相でわたしの腕をとった。
かっちょ悪いにもほどがあるけど、背に腹は代えられない、けっこう痛い。なので、おとなしく言うことを聞くことにした。
母専用のバスルームに入り、便器の蓋の上に座るように言われ、日本のユニクロで買ったばかりのスリムパンツを脱いだ。
消毒液や痛み止めのオイル(母のお手製)、それから抗生物質入りのクリームを探す母。
水で洗う時に、「痛いよねえ、そりゃ痛いはこれは」とブツブツ言いながらコットンで傷をぬぐってくれる母の姿を見て、小さかった頃の自分を思い出した。
赤ん坊の時、股間脱臼をして上手に歩けなかったわたしは、文字通り、3歩歩くとバッタンとこける女の子だった。
なので、膝小僧は年がら年中傷だらけ。おまけに膿み易い体質だったから、傷が治りかけては膿み、また治りかけては膿みで、一生傷になっている。
わたしの母は、そりゃもう厳しい人だったけれど、傷を負った時にはきちんと処置をしてくれた。もちろん、「痛いよねえ、可哀想に」などとは一言も言ってくれなかったけれど、その甲斐甲斐しさが嬉しかった。
「今日は一日、できるだけ静かにしてるのよ。それから、帰りの車の中で、氷で冷やすこと。20分冷やして少し休憩。それからまた20分。わかったわね」
一昨年、両膝の外科手術を受けた母は、膝についてはかなり蘊蓄がある。旦那も旦那で言いたいことがあったが、この時は母をたてることにした。
バッタンこけた時、がっしりと両手をついたことを自画自讃するわたし。しかも、手のひらの皮が少し剥けたけど、指は全く大丈夫。さすが
いや、そういうレベルの問題ちゃうで。そもそも、50過ぎたら、ちょっと勾配のあるとこに描かれた『けんけんぱ』はせえへんのとちゃう?
しかも、その時履いていたサンダルはサイズが少し大きめで、指先がかなり余っていて、普段歩いている時もよくつっかえて転けそうになっていたのに……。
と、密かに激しく反省していたことを最後に記しておこう。