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ウィンザー通信

アメリカ東海岸の小さな町で、米国人鍼灸師の夫&空ちゃん海ちゃんと暮らすピアノ弾き&教師の、日々の思いをつづります。

核の呪縛から解き放たれるその日を、わたしたち地球人は、必ず実現してみせる!

2016年08月13日 | 日本とわたし
1週間ほど前の8月4日のお昼過ぎに、友人の歩美ちゃんから、こんなメールが届きました。

『実は8月6日の朝、私はメガバスに乗って、オルバニーに出発しなければいけないのです。
グラフトン道場の法要で、藤井グルジのお言葉の翻訳と、オバマの広島訪問と、私たちが抱えている核兵器問題について話さねばならないのです。

私が行けないので、同じ日にあるNJ Peace Actionが主催する会の、折り紙指導要員が足りないのです。
そこで、まうみさんにお願いしたいのです』

歩美ちゃんは、1年365日、自分の仕事もこなしつつ、世界の平和の実現のために祈り、声を上げ、手を振り上げる平和活動家です。
わたしより一回りも若いとはいえ、もうギリギリいっぱいのところで活動している人なので、
千羽鶴の折り紙指導ならわたしにもできるだろうと、歩美ちゃんの代わりに行くことにしました。

場所は、うちから車で30分強の町にある教会。
NJ Peace Action主催の『広島デー』の中の、プログラムの最後に、折り鶴指導があったのでした。
そこには、たくさんの学生が参加していました。
慌てて行ったのでカメラを持って行くのをすっかり忘れてしまい、携帯で撮ったのですが、ピンボケばかりでちょっと残念。

パネルディスカッションのバネラーの顔ぶれを見て、ああアメリカらしいなあと思いました。


ムスリムの人たちがたくさんいて、ヒジャブを被った女性たちがとてもきれいでした。


原爆のこと、核兵器のこと、軍の暴力のこと、軍に投入される莫大なお金のことなどに対する質問を受け、パネラーたちが自分の意見を順に述べていきます。



原爆は、戦争犯罪の最たるものである。
戦争のない、核に脅かされない世界を願うことを、笑う人がいる。
そんなこと不可能に決まっている、現実を直視しろと、くってかかってくる人がいる。
でも、現実っていったいなんなんだろう。
わたしたちはどこまで理解できているのだろう。
世界が変わることを強く願い、信じて、平和を希求することをやめない。
そうでないと、人間として生きている意味が無い。
イスラム教徒の人も、キリスト教徒の人も、仏教の人も、ヒンズー教の人も、無宗教の人も、みんな人間なのだ。
人間として、戦争という名のもとに人殺しをしない、核兵器を作らない、環境を汚さない。
地球をこれ以上傷つけないことを誓う人が、世界中にどんどん増えていくように、これからも手を取り合って頑張ろう!
そして、体に負担をかけて申し訳ないけれども、被爆者の方々にぜひまた来ていただいて、あのキノコ雲の下でいったい何が起こっていたのか、そのことを話してもらおう。
わたしたちは知らなければならない。
知ること、想像すること、そして寄り添うこと、それを基に行動すること。
この世から、核と戦争が無くなることを目指して、行動し続けること。

そんな励まし合いを最後に、みんなで記念撮影しました。


会場で多くの人たちが口にした『平和教育』の必要性。
でもわたしは、もう一歩踏み込んで、『戦争教育』を徹底してもらいたいのです。
特に、戦争を起こした国は。
その最たる国がここアメリカ。
建国以来ずっと、戦争をし続けている国です。
どんな大義名分があるにせよ、よその国の町や自然や文化を破壊し、人や動物の命を奪い、その後また、復興のためなどといって、その国のアイデンティティを引っ掻き回すのが戦争です。
自分たちが戦争という名目のもとに、いったいどのように破壊や殺人をしたのか、それをきちんと公の場で伝える。
戦争というものの暴力を振るった者は、そこに生きる人や生き物や自然を、どのように破壊し殺したのかを、自分の声で話させる。
たとえそれが、上からの命令であったとしても、兵士でなければ、それが戦争でなければ、当然罪に問われるべき行動なのですから。
そういう声を、メディアはちゃんと取材し、それに基づいて検証し、戦争の本当の姿を世に伝える。
日本は、原爆こそ使わなかったけれど、さまざまな地で暴力を振るってきました。
だから日本も、戦争教育をきちんとしなければならない国のひとつです。


さて、折り鶴指導は、折りたい人が続出して大変でしたが、なんとか無事に終えることができました。
はっきり言って、折り紙が初めてという人には、折り鶴は難しい…。
でも、ジョークを交えてやってると、みんなすごく楽しそうで、教える方も嬉しくなりました。
まあ、端っこが全然ぴったり合って無い鶴だらけではあったんですが…。

いったいこれをどうやって、千羽もつなげるんだ?と、みんな不思議そうだったので、
じゃあ、ちょっくら百羽ほど折ってつなげて見せちゃろうと、またまたお節介な考えがふつふつと湧き出てきて、
気がついたら、折り紙の束を手に、これ、わたしが折りますからと、持ち帰ってしまいました。

それからというもの、千羽鶴折りに精を出しまくり。
さらには、悪性の脳腫瘍と闘う友人ルーのためにも折りたくなって、さらに折り紙が高々と積まれています。


話が逸れてしまいました。

週が明けて、グラフトン道場の法要から戻ってきた歩美ちゃんが、とても興味深い話をしてくれました。
それを彼女が簡単にまとめてくれたものを、以下に紹介します。

・現在が、第二次世界大戦後、一番危険な時期であると言われている。
・ロシア・中国の封じ込めで、ヨーロッパとアジアに核兵器が配備されていて、危機が即発しかねない状況である。
・沖縄や済州島(韓国)の非暴力サティヤグラハが、その危機を打開する闘いの先駆けである。

そんな中、純さん(平和を祈願し世界中を歩いておられるお坊さま)は、オバマ大統領が自らの手で折り、広島平和祈念ミュージアムに寄贈した折鶴(そのうち二つは学生に渡した)について、
「鶴を折るって、そんなに簡単じゃないんです。折る、行為自体に祈りが込められていると思います」とお話しされた。

8月4日付のワシントンポストは、
「オバマが大学時代から取り組んできた核廃絶に、任期の最後の6か月で本気で取り組んでいる」ことを伝えた。


専門のチーム、アドバイザーを集め、彼の任期期間、ことごとく議会によってつぶされた「CTBC(包括的核実験禁止条約)の締結」を、議会を迂回して実現化すべく、「国連決議に提案する」というのだ。
全く矛盾しているようなオバマの動き。
ただの役者なのだろうか?
人は誰でも、善と悪というような、様々な相反する要素を持ち合わせている。
グルジは、「IBow to the Buddha in you」と話されていた。
信じるとはまた違う、オバマの中の光(仏性)に向かって、ただ祈る

オバマは、30年間で、1兆ドルの核兵器最新鋭化に計上し、Modernizeした核兵器20基を、NATO軍の駐屯するロシア国境に配備すると言っています。
http://www.globalresearch.ca/guess-where-the-us-will-house-its-new-modernized-nuclear-weapons-arsenal/5539984

その反面、ワシントンポスト(政府スポークス紙)は、こう報じています。
『Obama Plans major nuclear policy changes in his final months』
https://www.washingtonpost.com/opinions/global-opinions/obama-plans-major-nuclear-policy-changes-in-his-final-months/2016/07/10/fef3d5ca-4521-11e6-88d0-6adee48be8bc_story.html?utm_term=.d2170609fe55

・CTBT (包括的核実験禁止条約)を、国連決議にする。

・START (戦略的核兵器削減条約)の、ロシアとの交渉期間の延長。

・1兆ドルの核兵器の、最新鋭化予算を削減する。


そして、CTBTの締結が出来ないので、議会を迂回して国連決議にしようとしている、という記事はこちら。
https://www.washingtonpost.com/news/josh-rogin/wp/2016/08/04/obama-will-bypass-congress-seek-u-n-resolution-on-nuclear-testing/

敵の目(ネオコン)を欺こうとしているのか、
それとも、核のない世界を望む私たち市民の眼を欺こうとしているのか、
それとも、自分でもどっちにいったらよいか分からないのか…。

ミステリーですが、
「敵の眼を欺くには、先ず味方から」

私は、彼が、彼自身が折った折鶴に、願いを託してみます。
佐々木雅弘さんが、ハワイ、真珠湾に寄贈した妹、禎子の鶴を、ハワイ出身のオバマ大統領は知っていたのではないか。
だから、禎子の鶴を見に来てくれ、そして。4羽の折鶴を寄贈してくれたのではないか、
http://www.huffingtonpost.jp/yasuhiro-inoue/post_5699_b_3979257.html

例え、オバマのしていることが、ただの『パフォーマンス』だとしても、
そのパフォーマンスに心を動かされた人々が動きだし、オバマの意図とはまた違うムーブメントを起こす可能性もあるのではないか。

そう祈っています。

平和への祈りをあらたに
歩美 拝



【広島平和宣言】

1945年8月6日午前8時15分。
澄みきった青空を切り裂き、かつて人類が経験したことのない、「絶対悪」が広島に放たれ、一瞬のうちに街を焼き尽くしました。
朝鮮半島や、中国、東南アジアの人々、米軍の捕虜などを含め、子どもからお年寄りまで、罪もない人々を殺りくし、その年の暮れまでに、14万もの尊い命を奪いました。

辛うじて生き延びた人々も、放射線の障害に苦しみ、就職や結婚の差別に遭(あ)い、心身に負った深い傷は、今なお消えることがありません。
破壊し尽くされた広島は、美しく平和な街として生まれ変わりましたが、
あの日、「絶対悪」に奪い去られた川辺の景色や暮らし、歴史と共に育まれた伝統文化は、二度と戻ることはないのです。

当時17歳の男性は、
「真っ黒の焼死体が道路を塞(ふさ)ぎ、異臭が鼻を衝(つ)き、見渡す限り火の海の広島は、生き地獄でした」と語ります。
当時18歳の女性は、
「私は血だらけになり、周りには、背中の皮膚が足まで垂れ下がった人や、水を求めて泣き叫ぶ人がいました」と振り返ります。

あれから71年、依然として世界には、あの惨禍をもたらした原子爆弾の威力をはるかに上回り、地球そのものを破壊しかねない、1万5千発を超える核兵器が存在します。
核戦争や核爆発に至りかねない、数多くの事件や事故が明らかになり、テロリストによる使用も懸念されています。

私たちは、この現実を前にしたとき、生き地獄だと語った男性の、
「これからの世界人類は、命を尊び、平和で幸福な人生を送るため、皆で助け合っていきましょう」という呼び掛け、
そして、血だらけになった女性の、
「与えられた命を全うするため、次の世代の人々は、皆で核兵器はいらないと叫んでください」との訴えを受け止め、更なる行動を起こさなければなりません。
そして、多様な価値観を認め合いながら、「共に生きる」世界を目指し、努力を重ねなければなりません。

今年5月、原爆投下国の現職大統領として、初めて広島を訪問したオバマ大統領は、
「私自身の国と同様、核を保有する国々は、恐怖の論理から逃れ、核兵器のない世界を追求する勇気を持たなければならない」と訴えました。
それは、被爆者の、「こんな思いを他の誰にもさせてはならない」という心からの叫びを受け止め、
今なお存在し続ける、核兵器の廃絶に立ち向かう「情熱」を、米国をはじめ、世界の人々に示すものでした。
そして、あの「絶対悪」を許さないというヒロシマの思いが、オバマ大統領に届いたことの証しでした。

今こそ、私たちは、非人道性の極みである「絶対悪」を、この世から消し去る道筋をつけるために、
ヒロシマの思いを基に、「情熱」を持って「連帯」し、行動を起こすべきではないでしょうか。
今年、G7の外相が、初めて広島に集い、核兵器を持つ国、持たない国という立場を超えて、
世界の為政者に、広島・長崎訪問を呼び掛け、包括的核実験禁止条約の早期発効や、核不拡散条約に基づく核軍縮交渉義務を果たすことを求める、宣言を発表しました。
これは、正に、「連帯」に向けた一歩です。

為政者には、こうした「連帯」をより強固なものとし、信頼と対話による安全保障の仕組みづくりに、「情熱」を持って臨んでもらわなければなりません。
そのため、各国の為政者に、改めて、被爆地を訪問するよう要請します。
その訪問は、オバマ大統領が広島で示したように、必ずや、被爆の実相を心に刻み、被爆者の痛みや悲しみを共有した上での決意表明につながるものと確信しています。

被爆者の平均年齢は80歳を超え、自らの体験を生の声で語る時間は、少なくなっています。
未来に向けて、被爆者の思いや言葉を伝え、広めていくには、若い世代の皆さんの力も必要です。
世界の7千を超える都市で構成する平和首長会議は、世界の各地域では、20を超えるリーダー都市が、また、世界規模では、広島・長崎が中心となって、若者の交流を促進します。
そして、若い世代が、核兵器廃絶に立ち向かうための思いを共有し、具体的な行動を開始できるようにしていきます。

この広島の地で、「核兵器のない世界を必ず実現する」との決意を表明した安倍首相には、
オバマ大統領と共に、リーダーシップを発揮することを期待します。
核兵器のない世界は、日本国憲法が掲げる、崇高な平和主義を体現する世界でもあり、
その実現を確実なものとするためには、核兵器禁止の法的枠組みが不可欠となります。
また、日本政府には、平均年齢が80歳を超えた被爆者をはじめ、放射線の影響により、心身に苦しみを抱える多くの人々の苦悩に寄り添い、
その支援策を充実するとともに、「黒い雨降雨地域」を拡大するよう、強く求めます。

私たちは、本日、思いを新たに、原爆犠牲者の御霊に、心からの哀悼の誠を捧げ、
被爆地長崎と手を携え、世界の人々と共に、核兵器廃絶と世界恒久平和の実現に向けて、力を尽くすことを誓います。

平成28年(2016年)8月6日
広島市長 松井 一實



【長崎平和宣言】

核兵器は、人間を壊す残酷な兵器です。

1945年8月9日午前11時2分、米軍機が投下した一発の原子爆弾が、上空でさく裂した瞬間、
長崎の街に、猛烈な爆風と熱線が襲いかかりました。
あとには、黒焦げの亡骸(なきがら)、全身が焼けただれた人、内臓が飛び出した人、無数のガラス片が体に刺さり苦しむ人があふれ、長崎は地獄と化しました。

原爆から放たれた放射線は、人々の体を貫き、そのために引き起こされる病気や障害は、辛うじて生き残った人たちを、今も苦しめています。

核兵器は、人間を壊し続ける、残酷な兵器なのです。

今年5月、アメリカの現職大統領として初めて、オバマ大統領が、被爆地・広島を訪問しました。
大統領は、その行動によって、自分の目と、耳と、心で感じることの大切さを、世界に示しました。

核兵器保有国をはじめとする、各国のリーダーの皆さん、そして世界中の皆さん、長崎や広島に来てください。
原子雲の下で、人間に何が起きたのかを、知ってください。
事実を知ること、それこそが、核兵器のない未来を考えるスタートラインです。

今年、ジュネーブの国連欧州本部で、核軍縮交渉を前進させる法的な枠組みについて、話し合う会議が開かれています。
法的な議論を行う場ができたことは、大きな前進です。
しかし、まもなく結果がまとめられるこの会議に、核兵器保有国は出席していません。
そして、会議の中では、核兵器の抑止力に依存する国々と、核兵器禁止の交渉開始を主張する国々との対立が続いています。
このままでは、核兵器廃絶への道筋を示すことができないまま、会議が閉会してしまいます。

核兵器保有国のリーダーの皆さん、今からでも遅くはありません。
この会議に出席し、議論に参加してください。

国連、各国政府及び国会、NGOを含む市民社会に訴えます。
核兵器廃絶に向けて、法的な議論を行う場を、決して絶やしてはなりません。
今年秋の国連総会で、核兵器のない世界の実現に向けた、法的な枠組みに関する協議と、交渉の場を設けてください。
そして、人類社会の一員として、解決策を見出す努力を続けてください。

核兵器保有国では、より高性能の核兵器に置き換える計画が進行中です。
このままでは、核兵器のない世界の実現が、さらに遠のいてしまいます。

今こそ、人類の未来を壊さないために、持てる限りの「英知」を結集してください。

日本政府は、核兵器廃絶を訴えながらも、一方では、核抑止力に依存する立場をとっています。
この矛盾を超える方法として、非核三原則の法制化とともに、核抑止力に頼らない安全保障の枠組みである、「北東アジア非核兵器地帯」の創設を検討してください。
核兵器の非人道性をよく知る、唯一の戦争被爆国として、非核兵器地帯という、人類のひとつの「英知」を、行動に移すリーダーシップを発揮してください。

核兵器の歴史は、不信感の歴史です。

国同士の不信の中で、より威力のある、より遠くに飛ぶ核兵器が、開発されてきました。
世界には未(いま)だに、1万5000発以上もの核兵器が存在し、戦争、事故、テロなどにより、使われる危険が続いています。

この流れを断ち切り、不信のサイクルを、信頼のサイクルに転換するためにできることのひとつは、粘り強く信頼を生み続けることです。

我が国は、日本国憲法の平和の理念に基づき、人道支援など、世界に貢献することで、信頼を広げようと努力してきました。
ふたたび戦争をしないために、平和国家としての道を、これからも歩み続けなければなりません。

市民社会の一員である私たち一人ひとりにも、できることがあります。
国を越えて人と交わることで、言葉や文化、考え方の違いを理解し合い、身近に信頼を生み出すことです。
オバマ大統領を温かく迎えた広島市民の姿も、それを表しています。
市民社会の行動は、一つひとつは小さく見えても、国同士の信頼関係を築くための、強くかけがえのない礎となります。

被爆から71年がたち、被爆者の平均年齢は、80歳を越えました。
世界が、「被爆者のいない時代」を迎える日が、少しずつ近づいています。
戦争、そして戦争が生んだ被爆の体験を、どう受け継いでいくかが、今、問われています。

若い世代の皆さん、あなたたちが当たり前と感じる日常、例えば、お母さんの優しい手、お父さんの温かいまなざし、友だちとの会話、好きな人の笑顔…。
そのすべてを奪い去ってしまうのが、戦争です。

戦争体験、被爆者の体験に、ぜひ一度、耳を傾けてみてください。
つらい経験を語ることは、苦しいことです。
それでも語ってくれるのは、未来の人たちを守りたいからだ、ということを知ってください。

長崎では、被爆者に代わって、子どもや孫の世代が、体験を語り伝える活動が始まっています。
焼け残った城山小学校の校舎などを、国の史跡として、後世に残す活動も進んでいます。

若い世代の皆さん、未来のために、過去に向き合う一歩を、踏み出してみませんか。

福島での原発事故から、5年が経過しました。
長崎は、放射能による苦しみを体験した街として、福島を応援し続けます。

日本政府には、今なお、原爆の後遺症に苦しむ被爆者の、さらなる援護の充実とともに、
被爆地域の拡大をはじめとする、被爆体験者の一日も早い救済を、強く求めます。

原子爆弾で亡くなられた方々に、心から追悼の意を捧(ささ)げ、私たち長崎市民は、世界の人々とともに、
核兵器廃絶と恒久平和の実現に、力を尽くすことを、ここに宣言します。

2016年(平成28年)8月9日
長崎市長 田上 富久



米国内でも昔とは違い、教育現場においては、原爆についての教え方が変わってきています。
まだまだ原爆が戦争を終わらせたという観念が、広く深く刷り込まれている人たちが半数以上いる中で、
原爆というものの狂気と暴力について学ぼうとする人たちが、徐々に増えてきていることも事実です。

その中でも、本に書いたり写真を展示したりして、人々の認識を新たにしようと行動している人たちもいます。
これは去年の記事ですが、この作家の女性もその中のひとりです。

戦後70年
全米で核問う本出版 米国人作家、被爆者にインタビュー /長崎

【毎日新聞】2015年12月2日 地方版
http://mainichi.jp/articles/20151202/ddl/k42/040/292000c

米国人の女性作家が、長崎の被爆者にインタビューを重ねて書いた本が7月、全米で出版された。
11月に長崎市を訪れた、著者のスーザン・サザードさん(59)=アリゾナ州テンピ市=は、
「原爆の与える影響がどれほど大きいか、米国人をはじめ、多くの人に理解を深めてほしい」と語った。
【竹内麻子】

書名は「NAGASAKI〜LIFE AFTER NUCLEAR WAR(ナガサキ〜核戦争後の生活)」。
米大手ペンギン・ランダムハウス社から出版された。

サザードさんは、
長崎原爆被災者協議会会長の谷口稜曄(すみてる)さん(86)
▽永野悦子さん(87)
▽和田耕一さん(88)
▽堂尾みね子さん(2007年に死去)
▽吉田勝二さん(10年に死去)−−の5人にインタビュー。

奇形児が生まれることを恐れ、結婚を避け続けた思いや、今も心身に後遺症が残っていることなどをつづり、
軍需産業を育てた長崎の歴史や地図、被爆直後の写真などの資料も盛り込んだ。

高校時代に日本に留学経験があるサザードさんは、1986年、谷口さんがワシントンで講演した際に、通訳を務め、2日間同行した。
その際、谷口さんと多くの話をし、「自分は被爆者について何も知らないと感じた」と言う。

背中に大きな傷を負いながら、勇気を持って体験を伝える谷口さんの姿に、感銘を受けたサザードさんは、被爆者に関する本の執筆を決意。
03年から11年までに、計5回長崎を訪問し、被爆者や専門家らに取材を重ねた。
被爆体験の証言集も読み込み、戦後70年の今年、完成させた。

米国では、被爆者の暮らしに焦点を当てた本は、ほとんどないという。
サザードさんによると、読者からは、「原爆が戦争を終わらせた」など、本に批判的な意見のメールが寄せられる一方、
新聞各紙の書評には、「我が国の核兵器使用における倫理的な問題を考えさせる力がある」といった、肯定的な批評も載った。

サザードさんは、
「きのこ雲の下で何があったのか、米国人をはじめ、世界の人々がきちんと認識すべきだ。
私は、政府の政策に、直接影響を与える立場ではないが、多くの人に本を読んでもらうことで、社会に変化をもたらしたい」と話している。

全389ページ。
米国、英国の他、デンマークでの出版も予定されている。
電子書籍でも販売中。
〔長崎版〕



原爆をアメリカ人に伝え続けるアリ・ビーザーさん
「被爆者という単語を知ってほしい」

【HUFF POST】2016.08.08
http://www.huffingtonpost.jp/2016/08/05/story_teller_n_11360884.html?utm_hp_ref=japan

一部引用はじめ:

キノコ雲の下で、何が起きていたのかを教えない
ーー今回の動画は、被爆者の語っている部分以外は、全て英語ですね。日本語にはされなかったんですか。


私のこの動画を制作した目的は、アメリカ人に、日本側の原爆の話を、しっかり聞いて欲しいからです。
ご存知かもしれませんが、アメリカでは、原爆の話を、まったく違った角度で捉えています。
それは、勝利の歴史です。
第二次世界大戦の勝利は、私たちアメリカ人に、国民的アイデンティティーを形成しましたし、
その勝利で、一つの国として、さらに団結をしたのです。

そこに日本人がやってきて、「自分たちが犠牲者だ」と言い出しても、一体何人のアメリカ人が、話に耳を傾けるでしょうか。
恐らく、誰も同情しない上に、話も聞いてくれないでしょう。
私は、そのやり方で伝えたくはありません。
私はまず、日本人がなぜ、自分たちを犠牲者だと考えるかを、アメリカ人に知って欲しいのです。
それを知ることさえできれば、きっと、当時の戦争がなぜ起こってしまったのかを、理解できるはずなのです。


ーー当時の「原爆」を振り返りたくない思いが、アイデンティティーにまで染み付いてしまっているアメリカ人に、被爆者の話をすることは、相当大変ですね。

アメリカ人は、キノコ雲の下で何が起きたのか、という教育は受けていません。
キノコ雲の上で何が起きたのかは、よく知っていたとしてもです。
既に、そのような歴史教育になっているのです。
本当は、そこから変えていかなくてはいけないのです。


以上、引用おわり


ビーザーさんのおじいさんは、広島に原爆を落とした飛行機に乗っていました。
原爆投下を許可したトルーマン大統領の孫のダニエルさんも、核廃絶の実現に向け、行動しています。
長崎の原爆投下後の記録を撮った軍のカメラマン、オダネルさんの息子タイグさんも、同じく核廃絶に向け、行動をしています。
そのことについて書いた記事はこれ↓です。
『あなたはこの、『焼き場に立つ少年』の写真を見てもまだ、戦争はしょうがないと思いますか?』
http://blog.goo.ne.jp/mayumilehr/e/c45f9793732aa7e8116d123f503b3dd9



そして今日、ロシアが、広島原爆投下の関係者の裁判を要請した、というニュースを見つけました。

ロシアが、広島原爆投下の関係者の裁判を要請
http://japanese.irib.ir/news/latest-news/item/56965

ロシアが、広島への原爆投下の関係者の裁判を、要請しました。

イルナー通信によりますと、ロシアのナルイシキン下院議長は、アメリカによる広島と長崎への原爆投下を調査するための、国際裁判の開廷を求めました。

ナルイシキン議長は、広島と長崎の原爆投下70周年に際し、モスクワの国際関係大学で、
「国際的な司法関係者、哲学者、歴史家、軍事問題の専門家は今も、1945年のアメリカの原爆投下と、この行為の合法性について議論を行っている」と述べました。

さらに、
「アメリカが1945年に使用した、原爆投下という方法は、人道的な基盤に基づくものではなく、それを行うための軍事的な必要性は、一切存在しなかった」としました。

また、
「アメリカが、自らの計画について、第2次世界大戦の同盟国であったソ連に、情報を与えようとしなかったことは、
アメリカが、ソ連からの情報なしに、原爆を製造したことを示していた」としました。

ナルイシキン議長はさらに、
「残念ながらアメリカは、現代において、冷戦後のロシアの信用と、9.11同時多発テロにおけるアメリカへの人道的共感を、悪用している」と述べました。

ナルイシキン議長は、少し前にも、ロシアの歴史協会の理事会で、国際レベルでの、日本への原爆投下の法的な評価の必要性を、強調していました。
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