この写真ほど、沖縄の人々の思いを語るものはないと思います。
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沖縄は、戦争が終わってもなお、ずっとずっと傷つけられています。
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慰霊の日、沖縄の怒り 知事「辺野古阻止へ不退転」
【中日新聞】2017年6月24日
沖縄県は23日、太平洋戦争末期の沖縄戦で犠牲になった、24万人以上をしのぶ「慰霊の日」を迎えた。
72年前のこの日、旧日本軍は、組織的な戦闘を終えたとされる。
最後の激戦地となった、糸満市摩文仁(まぶに)の平和祈念公園で、恒久平和を誓う「沖縄全戦没者追悼式」(県など主催)が営まれた。
翁長雄志(おながたけし)知事は、平和宣言で、就任以来3回続けて、米軍普天間飛行場(宜野湾市)の名護市辺野古移設問題に触れて、基地を巡る国民の議論を促した。
式典には、遺族や安倍晋三首相らも参列した。
平和宣言で、翁長氏は、昨年12月に、普天間飛行場の新型輸送機オスプレイが、名護市の浅瀬で不時着し、大破した事故などに言及。
国内の米軍専用施設の約70%が、今なお沖縄に集中していることを強調し、「負担軽減と逆行している」と訴えた。
今月12日に、92歳で死去した大田昌秀元知事が、敵味方の区別なく戦没者名を刻む、「平和の礎(いしじ)」を摩文仁に建立したことにも触れ、
「平和の尊さを大切にする思いを、次世代へ継承する」と誓った。
辺野古移設問題では、
「民意を顧みず、工事を強行しており、容認できない。辺野古に新たな基地を造らせないため、不退転の決意で取り組む」と表明。
国民には、「沖縄の現状を、真摯(しんし)に考えてほしい」と求めた。
式典後、記者団に、
「本土の方に、実態を知っていただかなければならない。平和の礎は、穏やかには実現できない」と語った。
沖縄は、1972年に日本本土へ復帰するまで、米国の施政権下に置かれ、米軍基地が次々と建設された。
式典で、翁長氏の後にあいさつした首相は、昨年末に実現した、米軍北部訓練場(東村など)の部分返還を、「本土復帰後最大」とアピール。
「これからも、できることは行う。負担軽減に全力を尽くす」と述べた。
参列を終えて、記者団に、「普天間飛行場の固定化は、絶対に避けなければならない」と強調した。
激しい地上戦となった沖縄戦では、多くの民間人が巻き込まれた。
平和の礎には今年、新たに判明した54人が加えられ、総数は24万1468人となった。
式典の参列者は、約4900人。
正午に1分間、黙とうをささげ、県立宮古高校3年の上原愛音(ねね)さん(17)が「平和の詩(し)」を朗読した。
******* ******* ******* *******
【誓い~私達のおばあに寄せて】宮古高校3年 上原愛音
今日も朝が来た。
母の呼び声と、目玉焼きのいい香り。
いつも通りの
平和な朝が来た。
七十二年前
恐ろしいあの影が忍びよるその瞬間まで
おばあもこうして
朝を迎えたのだろうか。
おじいもこうして
食卓についたのだろうか。
爆音とともに
この大空が淀んだあの日。
おばあは
昨日まで隠れんぼをしていたウージの中を
友と歩いた砂利道を
裸足のまま走った。
三線の音色を乗せていた島風に
鉄の臭いが混じったあの日。
おじいはその風に
仲間の叫びを聞いた。
昨日まで温かかったはずの冷たい手を握り
生きたいと泣く
赤子の声を抑えつけたあの日。
そんなあの日の記憶が
熱い血潮の中に今も確かにある。
決して薄れさせてはいけない記憶が
私の中に
私達の中に
確かに刻まれている。
少女だったおばあの
瞳いっぱいにたまった涙を
まだ幼かったおじいの
両手いっぱいに握りしめたあの悔しさを
私達は確かに知っている。
広がりゆく豊穣の土に芽吹きが戻り
母なる海がまた
エメラルドグリーンに輝いて
古くから愛された
唄や踊りが息を吹き返した今日。
でも
勇ましいパーランク―と
心臓の拍動の中に
脈々と流れ続ける
確かな事実。
今日も一日が過ぎゆく。
あの日と同じ刻ときが過ぎゆく
フェンスを飛びこえて
締め殺されゆく大海を泳いで
癒えることのない
この島の痛み
忘れてはならない
民の祈り
今日響きわたる
神聖なサイレンの音に
「どうか穏やかな日々を」
先人達の願いが重なって聞こえる。
おばあ、大丈夫だよ。
今日、私達も祈っている。
尊い命のバトンを受けて
今
祈っている。
おじい、大丈夫だよ。
この島にはまた
笑顔が咲き誇っている。
私達は
貴方達の想いを
指先にまで流れるあの日の記憶を
いつまでも
紡ぎ続けることができる。
誓おう。
私達はこの澄んだ空を
二度と黒く染めたりしない。
誓おう。
私達はこの美しい大地を
二度と切り裂きはしない。
ここに誓おう。
私は、私達は、
この国は
この世界は
きっと愛しい人を守り抜くことができる。
この地から私達は
平和の使者になることができる。
六月二十三日。
銀の甘蔗(かんしょ)が清らかに揺れる今日。
おばあ達が見守る空の下
私達は誓う。
私達は今日を生かされている。
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沖縄は、戦争が終わってもなお、ずっとずっと傷つけられています。
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慰霊の日、沖縄の怒り 知事「辺野古阻止へ不退転」
【中日新聞】2017年6月24日
沖縄県は23日、太平洋戦争末期の沖縄戦で犠牲になった、24万人以上をしのぶ「慰霊の日」を迎えた。
72年前のこの日、旧日本軍は、組織的な戦闘を終えたとされる。
最後の激戦地となった、糸満市摩文仁(まぶに)の平和祈念公園で、恒久平和を誓う「沖縄全戦没者追悼式」(県など主催)が営まれた。
翁長雄志(おながたけし)知事は、平和宣言で、就任以来3回続けて、米軍普天間飛行場(宜野湾市)の名護市辺野古移設問題に触れて、基地を巡る国民の議論を促した。
式典には、遺族や安倍晋三首相らも参列した。
平和宣言で、翁長氏は、昨年12月に、普天間飛行場の新型輸送機オスプレイが、名護市の浅瀬で不時着し、大破した事故などに言及。
国内の米軍専用施設の約70%が、今なお沖縄に集中していることを強調し、「負担軽減と逆行している」と訴えた。
今月12日に、92歳で死去した大田昌秀元知事が、敵味方の区別なく戦没者名を刻む、「平和の礎(いしじ)」を摩文仁に建立したことにも触れ、
「平和の尊さを大切にする思いを、次世代へ継承する」と誓った。
辺野古移設問題では、
「民意を顧みず、工事を強行しており、容認できない。辺野古に新たな基地を造らせないため、不退転の決意で取り組む」と表明。
国民には、「沖縄の現状を、真摯(しんし)に考えてほしい」と求めた。
式典後、記者団に、
「本土の方に、実態を知っていただかなければならない。平和の礎は、穏やかには実現できない」と語った。
沖縄は、1972年に日本本土へ復帰するまで、米国の施政権下に置かれ、米軍基地が次々と建設された。
式典で、翁長氏の後にあいさつした首相は、昨年末に実現した、米軍北部訓練場(東村など)の部分返還を、「本土復帰後最大」とアピール。
「これからも、できることは行う。負担軽減に全力を尽くす」と述べた。
参列を終えて、記者団に、「普天間飛行場の固定化は、絶対に避けなければならない」と強調した。
激しい地上戦となった沖縄戦では、多くの民間人が巻き込まれた。
平和の礎には今年、新たに判明した54人が加えられ、総数は24万1468人となった。
式典の参列者は、約4900人。
正午に1分間、黙とうをささげ、県立宮古高校3年の上原愛音(ねね)さん(17)が「平和の詩(し)」を朗読した。
******* ******* ******* *******
【誓い~私達のおばあに寄せて】宮古高校3年 上原愛音
今日も朝が来た。
母の呼び声と、目玉焼きのいい香り。
いつも通りの
平和な朝が来た。
七十二年前
恐ろしいあの影が忍びよるその瞬間まで
おばあもこうして
朝を迎えたのだろうか。
おじいもこうして
食卓についたのだろうか。
爆音とともに
この大空が淀んだあの日。
おばあは
昨日まで隠れんぼをしていたウージの中を
友と歩いた砂利道を
裸足のまま走った。
三線の音色を乗せていた島風に
鉄の臭いが混じったあの日。
おじいはその風に
仲間の叫びを聞いた。
昨日まで温かかったはずの冷たい手を握り
生きたいと泣く
赤子の声を抑えつけたあの日。
そんなあの日の記憶が
熱い血潮の中に今も確かにある。
決して薄れさせてはいけない記憶が
私の中に
私達の中に
確かに刻まれている。
少女だったおばあの
瞳いっぱいにたまった涙を
まだ幼かったおじいの
両手いっぱいに握りしめたあの悔しさを
私達は確かに知っている。
広がりゆく豊穣の土に芽吹きが戻り
母なる海がまた
エメラルドグリーンに輝いて
古くから愛された
唄や踊りが息を吹き返した今日。
でも
勇ましいパーランク―と
心臓の拍動の中に
脈々と流れ続ける
確かな事実。
今日も一日が過ぎゆく。
あの日と同じ刻ときが過ぎゆく
フェンスを飛びこえて
締め殺されゆく大海を泳いで
癒えることのない
この島の痛み
忘れてはならない
民の祈り
今日響きわたる
神聖なサイレンの音に
「どうか穏やかな日々を」
先人達の願いが重なって聞こえる。
おばあ、大丈夫だよ。
今日、私達も祈っている。
尊い命のバトンを受けて
今
祈っている。
おじい、大丈夫だよ。
この島にはまた
笑顔が咲き誇っている。
私達は
貴方達の想いを
指先にまで流れるあの日の記憶を
いつまでも
紡ぎ続けることができる。
誓おう。
私達はこの澄んだ空を
二度と黒く染めたりしない。
誓おう。
私達はこの美しい大地を
二度と切り裂きはしない。
ここに誓おう。
私は、私達は、
この国は
この世界は
きっと愛しい人を守り抜くことができる。
この地から私達は
平和の使者になることができる。
六月二十三日。
銀の甘蔗(かんしょ)が清らかに揺れる今日。
おばあ達が見守る空の下
私達は誓う。
私達は今日を生かされている。