検査前日の金曜日をどう無事に過ごすか、そのことばかりを考えていた。
英文で書かれた準備予定表を日本語に変換し、それこそ何回も何回も読んでいたのに、なぜわたしは金曜日のレッスンをキャンセルせずにやれると考えていたのか。
土壇場になって検査時間が1時間半繰り上がったとはいえ、2種類の下剤を飲み、そのうちの一つは1リットルの水に溶かしたものを15分おきに4回に分けて飲むというものだったのに、一体どうやってレッスンをやりながらできると思っていたのか。
確かに、今は来月の11日に行われる生徒の発表会の準備に追われている。
特に金曜日の生徒たちの中に、ぎりぎり間に合うかどうかの状態の人が数人いる。
それでも2時から7時までの間に、休み無しで9人の生徒を教えながら、下剤で腸を空っぽにするなんてことが並行して行えると思っていたなんて、本当にどうかしていたのだ。
後悔先に立たず。
レッスンは2時開始。
とりあえずいきなりお腹の調子が悪くならないだろうと、変更に伴い時間が繰り上がった下剤の錠剤を、1時半に恐々飲む。
午後2時、レッスンが始まる。
予定では4時半から15分ごとに、4回に分けて飲まなければならなかった1リットルの下剤水は、よくよく考えてみたら(もっと前によくよく考えろよという話)、寝しなに飲んでいたものより2倍の濃さになっている。
これはきっと、飲んだらすぐにトイレに走りたくなる部類のものだと思い出し、これをレッスン中に飲むことは絶対に不可能だと悟り、仕方なく時間をずらした。
最後の2人になった6時に、まず1杯目の下剤水を飲む。
本当は15分おきに飲まなければならないと書かれてあったが、従うわけにはいかない。
朝にスクランブルエッグを食べたきり、全く何も口に入れていなかったので、最後の生徒を見送るまではなんとか持ち堪えた。
それから3回、下剤水を15分おきに飲んだ。
さすが、2倍の濃さになった下剤水はわたしの腸にガンガン攻撃をかけてきた。
ウォシュレットは2階のトイレだけで、いちいち階段を上っていては間に合わなくなってきたので、2階の寝室に下剤水と小説を持ち込んだ。
4時間後に飲むことになっていた錠剤の下剤を、わずか1時間後に飲む。
そして、夜明け前の午前4時から始まる仕上げの下剤水1リットル攻撃に備えて、寝られたら寝ろ、というわけなのだが、わたしの腸は悲鳴を上げ続けていて、続けて眠ることなどできない。
それはそれは苦しい夜になったのだけど、海がゴロゴロと喉を鳴らしながら、わたしと一緒に寝室とトイレを行き来して、時にはスリスリ、時にはフミフミ、時にはペロペロしてずっと付き合ってくれたのは嬉しかった。
午前4時、最後の仕上げに入る。
これで6時までに排泄物が透明な水だけにならなければ、また下剤を追加しなければならない。
出しては点検、まだ出しては点検して、頼むから澄んでくれと祈る。
結局完全に澄んだのは午前8時、心身ともに疲弊した。
病院には夫が送ってくれて、十ヶ所近くサインをしなければならない書類を読んでくれた。
患者の治療に向かう夫を見送り、わたしは検査のためのガウン(後ろがぱっくり開くタイプ)に着替え、準備室のベッドに寝転んで、血圧や血中酸素を測りながら麻酔用の点滴をつけてもらった。
最近はまずまず成功していた点滴の針が、なぜか血管にヒットしないらしく、刺しては抜き、また刺しては抜き、そしてまた刺しては抜き、いや、ちょっと、誰かに代わって欲しいと言おうとしたら、目に余ったのか向かえ側で作業していた看護師が代わりにやってくれてやっと成功した。
麻酔医の女性が最終確認の質問をしにやってきて、ベッドごと手術室に運ばれる。
今回は胃と腸の検査を同時に行うので、眠る前にマウスオープナーを装着し、麻酔医が「じゃあ少し眠りましょうね」と言うのを聞いてすぐに頭全体がぼうっとして何もわからなくなった。
気がついたら先ほどの準備室に戻っていて、真っ白な口髭をたくわえたおじさん看護師が、ヌウっと顔を近づけてきた。
「お、目が覚めたね。どうだい気分は?」
「いい感じです」
「そりゃよかった、じゃあドクターを呼んでこよう」
胃はなかなかきれいだったし、腸も小さなポリープがあっただけで多分心配はないと思う。
とりあえず念のために両方ともに生検に出しておくので、また結果は後で知らせます。
じゃあまた5年後に。
うううっ…5年後は71歳。
その頃のわたしはどんなふうに仕事を続けているかはわからないが、今度こそ発表会前にはやらないし、検査前日は仕事をキャンセルするぞと、固く心に誓った次第。