ちょっと遠出をして日帰り温泉へ行ってきた。
コロナのため、思っていた通り温泉はとても空いていた。
ゆったりのんびり源泉掛け流しを楽しんでいたら、ひとりの高齢女性が入ってきた。
「あー幸せ」
お湯の中に身体を沈めた途端、そうおっしゃったので、思わず「気持ちがいいですね」と女性に声をかけた。
女性は笑顔で、この温泉のお湯の良さや、毎日のように来ているのだと教えてくれた。
女性のお話に相槌を打っていたら、いつの間にか、女性はこれまでの人生を語り始めた。
「困ったな」と思った。
実は女性が来るしばらく前からお湯の中に居るので、そろそろのぼせていた。
お話しの切れのいいところで「それでは」と上がろうと思っていたのだけど、女性の話は中々途切れない。
途切れないどころか、女性の話があまりに壮絶なので、つい聴き入ってしまった。
女性が語るのは、これまでの結婚生活のお話だった。
「ろくでもないダンナで、わっち(私)より九つ年下だったんだけど、ずっと女がいたんだわ。女に貢いでウチにあんまりお金を入れないの。それで、わっちはずっと工場で働いていたの」
「そうですか、、、それは大変でしたね」
「一番辛かったのは、ダンナの暴力がひどかったこと。毎日、ダンナが帰ってくる車の音が聞こえると、身体が震えたもんだ。ゲンコツで何度なぐられたことか。顔を何度も殴られて、歯が折れて、顔の形も変わるくらい殴られて、、、でも歯医者には行けなかった。だって歯医者に行ったら、(通報されて)お父さん捕まるでしょ?」
(捕まえてもらった方がよかったんじゃないですか?それは犯罪でしょう)と心の中で思ったが、女性の話は違った。
「まだ小さい息子を、守らなければと思ったから、ダンナから何度も出て行けと言われて暴力をふるわれても我慢したの」
女を作って暴力を振るうようなダンナからはすぐに離れた方が、息子さんを守れるのではないかと思うが、女性はそれをしなかった。
もしかしたら僅かでも入れてくれるお金が必要だったのか、それともまだ愛情があったのかわからないが、女性は息子を守らないと、、と何度もおっしゃった。
その息子さんも今は結婚して子どももいるそうだ。
また暴力を振るっていたダンナさんは、一昨年癌で亡くなったそうだ。
結局、最期まで添い遂げたのだが、今が一番幸せだと思う反面、あんなに酷い目に遭ったのに寂しくて仕方がないそうだ。
女性の年齢は84歳。アパートで一人暮らしをしているそうだが、誰も話す相手がいなくて寂しいとおっしゃる。
それで、こうして温泉に通って来るのだとか。
「娘がいていいね」
一緒にいた長女を見て、そうおっしゃった。
「息子は全然来ないし、連絡も寄越さない。きっと嫁さんに気を使っているんだべさ。でも一人は寂しいもんだよ」
84歳か、、、生きていれば母と同じ年齢だと思った。
もし母が生きていたら、どんな生活をしていて、どんなことを話していただろうと思った。
父が亡くなって、寂しがっていただろうか?
そして、その女性の姿がもうひとりの母とも重なった。
三年に亡くなったお姑さん。
同居はしていたが、晩年は寂しいと思っていたのではないだろうかと思うと胸が痛い。
若い頃はあまり分からなかったが、この年齢になると女性の言う寂しさが分かるような気がする。
特にこの二年あまり友人とも会うことが無いので、余計にそう思う。
家族は居るが、なんとなく社会と隔絶された寂しさがあった。
だから先日の誕生日に、友人らからおめでとうメールが届いたり電話をもらった時は、めっちゃくちゃ嬉しかった。
61歳の誕生日が、これほど嬉しいとは思わなかった。
ありがたいな〜と思う。数少ない友人を大切にしなければと思った。
とはいえ、徐々に親しかった人たちがいなくなっていく年齢になれば、女性のようにもっと寂しさを感じるのかもしれない。
その時に自分は、毎日何を思って暮らしているのだろう。
怖いような楽しみなような、、、
とりあえず友人の一人とは電話を使って、長話をする約束をした。(しゃべるぞ〜笑)