父が高齢者住宅に入ったため、実家は空き家になっているのだが、家財道具のほとんどは父がいた頃のままになっている。
今日は父の住む高齢者住宅へ持っていく洗濯の物干し台を、実家から運び出そうと思っていた。
実家の2階にある物干し台を折りたたんで両手で持ち上げて、階段を下りていた時、うっかり足を滑らせてしまった。
「まずい」と思った。
人間は一瞬の間に色々なことを考えることができるものだ。
階段から足を滑らせた直後に転びながら「これは痛いんだよなぁ。腰を打ったらまずいなぁ」などと考えていた。
案の定、右手のひじに強い痛みが走った。
腰は?
おやっ、腰は痛くない。
よかった。腰は打たなかったみたい。
右手のひじは擦りむけて血が滲んでいたが、思ったよりダメージが少なく済んだ。
右ひじの痛みが治まってから、あらためて自分の姿を見ると、うまい具合に持っていた物干し台がクッション代わりになって私の下敷きになっていた。
人がひとり歩けるほどの幅しかない階段で、両手で前に抱えていた物干し台が、どうして私の下になってくれたのか分からない。
立ち上がって物干し台を見ると、金属の細い棒が曲がっていた。
私の体を支えてくれたんだね。
ありがとう・・・と心の中で物干し台に感謝しつつ、曲がった部分を力いっぱい元に戻した。
どうやら物干し台も壊れていなくて、このまま使えそうだった。
思わず物干し台に感謝してしまったが、大事に至らなかったのはご先祖のお蔭かも知れないと思う。
最近は少なくなったが、以前はしょっちゅう階段から滑り落ちていた私。
そそっかしい私を心配して、階段を下りていくのを心配しながら見守って下さっていたのだろうか。
お盆に入り大勢のご先祖達がいらしているのかもしれない。
そして、生きている人々もお盆にはたくさん家へやってくる。
まず、大学で家を離れている長男パインが帰省する。
それから義理の姉夫婦が泊りがけでやってくる。
地元の義姉や甥、姪たちもやってくる。
叔父や叔母も来る。
亡くなっている方々にも、生きている人たちにも「ようこそ」「おかえり」と言う気持ちで迎えたいと思う。
今日は父の住む高齢者住宅へ持っていく洗濯の物干し台を、実家から運び出そうと思っていた。
実家の2階にある物干し台を折りたたんで両手で持ち上げて、階段を下りていた時、うっかり足を滑らせてしまった。
「まずい」と思った。
人間は一瞬の間に色々なことを考えることができるものだ。
階段から足を滑らせた直後に転びながら「これは痛いんだよなぁ。腰を打ったらまずいなぁ」などと考えていた。
案の定、右手のひじに強い痛みが走った。
腰は?
おやっ、腰は痛くない。
よかった。腰は打たなかったみたい。
右手のひじは擦りむけて血が滲んでいたが、思ったよりダメージが少なく済んだ。
右ひじの痛みが治まってから、あらためて自分の姿を見ると、うまい具合に持っていた物干し台がクッション代わりになって私の下敷きになっていた。
人がひとり歩けるほどの幅しかない階段で、両手で前に抱えていた物干し台が、どうして私の下になってくれたのか分からない。
立ち上がって物干し台を見ると、金属の細い棒が曲がっていた。
私の体を支えてくれたんだね。
ありがとう・・・と心の中で物干し台に感謝しつつ、曲がった部分を力いっぱい元に戻した。
どうやら物干し台も壊れていなくて、このまま使えそうだった。
思わず物干し台に感謝してしまったが、大事に至らなかったのはご先祖のお蔭かも知れないと思う。
最近は少なくなったが、以前はしょっちゅう階段から滑り落ちていた私。
そそっかしい私を心配して、階段を下りていくのを心配しながら見守って下さっていたのだろうか。
お盆に入り大勢のご先祖達がいらしているのかもしれない。
そして、生きている人々もお盆にはたくさん家へやってくる。
まず、大学で家を離れている長男パインが帰省する。
それから義理の姉夫婦が泊りがけでやってくる。
地元の義姉や甥、姪たちもやってくる。
叔父や叔母も来る。
亡くなっている方々にも、生きている人たちにも「ようこそ」「おかえり」と言う気持ちで迎えたいと思う。