ミーロの日記

日々の出来事をつれづれなるままに書き綴っています。

決断するとき

2019-12-27 15:06:23 | 介護

久しぶりにお姑さんのお見舞いに行ってきた。

私が風邪気味でしばらく咳が続いていたため、お見舞いに行くのを遠慮していたのだが、約二週間ぶりに逢ったお姑さんは、驚くほど衰弱していた。

毎週行っている夫も驚くほど、今回は衰弱が進んだように見えた。

通常の点滴から中心静脈栄養に切り替えて半月あまり経ったが、全身のむくみがひどく顔はふだんの1・5倍くらいに腫れていた。そして、むくみからなのか瞼が閉まらずまばたきもしない。

ただ意識はハッキリしていて、私たち家族のことも分かっているし、問いかけにもかすかにだが答えてくれる。

意識障害を起こす時に必ずなった、あのきつい目や顔になることは、今はもう無い。

しかし意識が戻ったからこそ、自分の置かれている状況がわかってしまい、思うようにならない身体でお姑さんはどれほど苦しいだろうかと思う。

「生き地獄だ」と言っていたと夫から聞いて、余計にかわいそうに思う。

夫や義姉たちは、今やっている中心静脈栄養で終わりにして胃ろうはしないと医師に伝えたそうだ。

「中心静脈栄養では、一年もたないでしょう」と医師には告げられたそうだが、夫たちは胃ろうで命を長引かせることは本人を苦しませることになるのではないかと思い、胃ろうはしないという決断をしたそうだ。

高齢の親が老衰で病院に入ると、必ずと言っていいくらい決断しなければいけない時がくる。

自分で食べられなくなった時にどうするのかという決断だ。

医療の力によって(胃ろうや点滴など)生きて行くのか、それともそれらをやめて自然に任せるのか。

看取りをしている、ある高齢者施設では「自分の口で食べられなくなった時がきたら、それは最期の時が近づいているという事なので、無理に食べさせたりせず自然に任せる」そうだ。

動物でも人間でも死が近づいてくると自然に食べなくなって、枯れるように亡くなるそうだ。その方が苦しまずに逝けるのだとか。

たしかにそうなのかもしれない。

父も最後は点滴からの栄養だけになったが、何度も誤嚥性肺炎を起こして最期まで苦しそうだった。

実は、父にも苦しまずに眠ったまま楽に逝ける時があった。

それは突然、心拍数が落ちて血圧も下がった時で、ちょうど入院していた為、すぐに心臓にペースメーカーを入れる手術をした。

医師から「どうします?入れますか?入れないとこのまま亡くなりますよ」と言われ、妹と二人で「おねがいします」と答えていた。

あの時ペースメーカーを入れないという選択肢は私たちの中には無かったが、そのあと時間を置かずに父が誤嚥性肺炎になって苦しそうにしている姿を見て、あの時に入れなければ苦しまなくても済んだのに・・・という少しの後悔があったことも事実だ。

家族はこのような決断を迫られるとき、本当に心が揺れ動く。

しかも決断は一度とは限らない。老親の状況の変化で次々と迫られる。

少しでも希望があるのなら、賭けてみたいというのが家族の本音だが、もうこれ以上長引かせて苦しませたくないというのも本心だ。

揺れ動く心の中で迫られる決断は、家族にとっても苦しい。

事故にも遭わず、病気にもかからず無事に90代、100歳を迎えた先に決断を迫られる「自分の口から食べられなくなったらどうするのか」という問題は、今後ますます増えていくような気がしている。



 

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