台風接近。
憎しみさえ覚えたあの気温上昇もひとまず、落ち着き、自室のデジタル温度計は、30℃を下回る。
なんと、穏やかな空気だろうか・・・。
暑さも30℃までが、限界で、それ以上になると、もう生体として、危機的な異状を感じるようで、よく眠ることさえできなくなるようだ。
本日まで、会社が休みだから、今日一日、台風の雨音と時々響く雷鳴を聞きながら、このところの暑さによる浅い眠りを取り戻すために、眠り続ける。
眠り続ける・・・というのも或る意味、生体においては異状なことのようで、身体を伸ばして、眠っているにも関わらず、腰が痛い。
コレも、生体の弱いところに、力が、かかるせいかもしれない。
気温が正常(・・・それでも普通よりは、大分高いけれど)に戻ると、心身ともにほっとする・・・というか、暑いというストレスがなくなるようで、そのぶん、ぐにゃ・・・っとしてしまうようだ。
暑いというストレスと寒いというストレスは、どっちが凌ぎやすいのだろうか?
それぞれの限界の温度というものもあるけれど、熱死・凍死といように、どちらも極端に傾けば、そこには、『死』という結末が、待っている。
暑くてもダメ・・・寒くてもダメ・・・で、やはり、ヒトにとっては、快適に過ごせる適度というものが存在するのだろう・・・。
どうも、最高気温が、40℃に届くようになったのは、20世紀の終わり頃からだと思うけれど、私が、子供時代は、30℃だと、既に、猛暑だった。
今は、真夏日ということのようだけれど、具体的には、10℃近くも上昇しているわけで。
取り分け、内陸性気候のわが居住地の温度上昇といったら、もう熱帯並みだし、たぶん、この先、もっともっと上昇していくのは、たぶん間違いのないことだと思う。
生体として危機的な夏をどうやり過ごすのか・・・
7月も下旬に突入。
夏だけは、早く通過したい・・・。
年々そう思う。
若い頃の夏は、気分だけでも楽しかった。
今は、苦痛でしかない・・・。
憎しみさえ覚えたあの気温上昇もひとまず、落ち着き、自室のデジタル温度計は、30℃を下回る。
なんと、穏やかな空気だろうか・・・。
暑さも30℃までが、限界で、それ以上になると、もう生体として、危機的な異状を感じるようで、よく眠ることさえできなくなるようだ。
本日まで、会社が休みだから、今日一日、台風の雨音と時々響く雷鳴を聞きながら、このところの暑さによる浅い眠りを取り戻すために、眠り続ける。
眠り続ける・・・というのも或る意味、生体においては異状なことのようで、身体を伸ばして、眠っているにも関わらず、腰が痛い。
コレも、生体の弱いところに、力が、かかるせいかもしれない。
気温が正常(・・・それでも普通よりは、大分高いけれど)に戻ると、心身ともにほっとする・・・というか、暑いというストレスがなくなるようで、そのぶん、ぐにゃ・・・っとしてしまうようだ。
暑いというストレスと寒いというストレスは、どっちが凌ぎやすいのだろうか?
それぞれの限界の温度というものもあるけれど、熱死・凍死といように、どちらも極端に傾けば、そこには、『死』という結末が、待っている。
暑くてもダメ・・・寒くてもダメ・・・で、やはり、ヒトにとっては、快適に過ごせる適度というものが存在するのだろう・・・。
どうも、最高気温が、40℃に届くようになったのは、20世紀の終わり頃からだと思うけれど、私が、子供時代は、30℃だと、既に、猛暑だった。
今は、真夏日ということのようだけれど、具体的には、10℃近くも上昇しているわけで。
取り分け、内陸性気候のわが居住地の温度上昇といったら、もう熱帯並みだし、たぶん、この先、もっともっと上昇していくのは、たぶん間違いのないことだと思う。
生体として危機的な夏をどうやり過ごすのか・・・
7月も下旬に突入。
夏だけは、早く通過したい・・・。
年々そう思う。
若い頃の夏は、気分だけでも楽しかった。
今は、苦痛でしかない・・・。