鼎子堂(Teishi-Do)

三毛猫堂 改め 『鼎子堂(ていしどう)』に屋号を変更しました。

徐々に再構築される日々②

2011-08-14 22:50:35 | Weblog
この暑さ・・・何時まで続く・・・。


ひとは、失ったものを取り戻したい。
元の生活に戻したい・・・例え、ソレが以前と全く同じものでなくても・・・。

病気になり、健康を失うと元の普通の状態に戻りたいと思う・・・思うと言うより、絶対、普通の状態に戻らねばと思う・・・例え、ソレが、以前とは、違う状態でも・・・。

人間関係も同じか・・・。
こちらは、相手が人間だけに、モノのようにはいかない。
相手にも意志がある。
双方で、望まない限り、修復は、相当、難しい。
何かのキッカケで、再構築された関係は、どこか、以前のソレとは、違っている。
過去に期待しては、いけないのだろう。

音楽・・・昔聞いた音楽は、懐かしい。
その当時のことを思い出させてくれるし、また違った発見もできる。
あのとき、歌っていたヴォーカルがもうこの世には、存在しないひとになっていても、再び、出会うことができる稀有な例か・・・本も同じ。再構築可能でうまくいく稀有な例かも・・・。

再生可能なデータ類・・・これは、ある程度、復元可能のようだけれど、要らなくなったデータを後生大事に持っていても、たいして役に立つことは、なさそう。
仕事のデータでも、存在すると困るものもある・・・ソレがあったがために、ソレを供出できるように加工するのに、忙しいさなか、エライ目にあったことも・・・。
ワタシしか保存していないんだから、さっさと捨てときゃよかったものを・・・。
いっそ無かったことにして、バックレとけばよかったのだが・・・。
小心者は、ソンをする典型。

もったいなくて(或いは、購入したのに)、着るのをためらっていて、一回も着ないまま、古着回収にだした服なんてものあるけれど。
人は、その時、使わなかったものが、後日、役に立つってことも、あまりなさそう。
こういうものは、捨てたほうが(無くなったほうが)よいのかもしれない。
パソコンのメモリーとクローゼットの収容面積にもよるけれども。

再構築というのは、たぶん、もとの状態に復元するということとは、別モノなんだろうと思う。

変化しないモノは、この世には、なにひとつ存在しないのだろうから・・・。