鼎子堂(Teishi-Do)

三毛猫堂 改め 『鼎子堂(ていしどう)』に屋号を変更しました。

時の奴隷

2011-09-14 22:51:09 | Weblog
残暑・・・。夕暮れが早くなってきていて、夕方の6時過ぎには、もう薄暮・・・。


久々に出勤してみた。
半期末の忙しい時期に、7日間の休暇をいただいたのだれども、ただ、ダラダラと怠惰に過ごしてしまった。あと5日間も残ってる。今月完全消化は、無理かも?

出勤するとなると、始業に間に合うように支度をして、交通手段(ワタシの場合は、自動車ですが・・・)によっては、乗換時間や待ち時間なども含まれるから、ソレを計算にいれて、自宅を出ることになる訳で・・・。
ご自宅が、お勤め先から遠ければ、朝食などを自宅以外で、調達しなければならないだろうし、ソレは、ソレで、毎日大変だなぁ・・・と思ったりする。

こうしてみると、お勤めをしているヒトは、時間に縛られるし、会社の規則(始業時間等の就業規則)にも縛られるし、自動車通勤のひとは、交通規則に、電車・バスなど使うひとは、運行規則に、徒歩や自転車のひとも、天候などの影響を受けやすいのではないかと思う。

・・・結局、ヒトは、何かの奴隷・・・ってことですかね。

広義の奴隷というのは、ちょっと違うかもしれないけど・・・。
奴隷ってのは、所有され、所有者の命令は、絶対で、人権はないし、もちろん、賃金が出ないって点では、全く違うのだけれども・・・。

或る決心をすれば、会社という組織からは、離脱できて、自由の身になれるだろうし、自由の身になれば、煩わしい通勤なんかしなくてもよい訳だし・・・選択の余地は、ありそうな気もするけれど、どうにも、こうにも、人間が自由にならないモノ?が『時間』だと思う。

『時間がない!』っていうもの、実は、時間がないのではなくて、そのヒトにとって、リミットが迫っているってことで、『時間』自体は、預かり知らぬこと。

迫りくる死の足音を伴うのは、時間だし、生まれてから、確実に死に至るのは、時間の経過ということになる。

誰も、物理的に巻き戻しはできないし(意識の中では、可能かもしれないし、時間という概念を失った人間であれば、巻き戻しは、可能かもしれないけれど・・・)、相対的な感覚でしか、時間を操ることができない。時間は、多分、絶対なのだろう・・・1日24時間・・・コレは、誰にも平等に与えられている唯一の絶対・・・。

時の奴隷から脱出するには、死ぬるしか、方法がないようだ・・・。