夕方から雨。
アメリカのTVアニメーションに、『トムとジェリー』というお話があった。
猫のトムと鼠のジェリーの仲よく喧嘩する?天敵?同士の攻防戦をコミカルに描いたテレビ番組だった。
猫にとって、鼠は、ごちそう。鼠にとっては、天敵(・・・うちにいた三毛猫は、いたぶって遊んで、絶命した鼠を得意そうに、見せにきた・・・ンなもんいらんて・・・。いたぶるだけいたぶっといて、あとは、知らん顔・・・。廊下の真ん中に鼠の死体・・・ああっ!!!)。
私は、子年うまれだけれど、猫が好きだ。
そして、心の中のトム(猫)とジェリー(鼠)は、いつも相反して存在している。
この理論は、絶対に正しい・・・おまえは、正論を言っているのだから・・・と思う反面、いや・・・それでも、なにか、見落としがあるやもしれぬ・・・。自分が正しいと思っていることを、どうして、人にも認めてもらおうとする?ひとから同意を得られないと自信がもてぬのだ・・・。
特に、対人面では、こんなことばかりだ。
人が嫌いなくせに、人から嫌われるのがイヤだし、特に仕事がらみでは、組織のヒエラルキーの最下位にいるから、足許を見られているのは、充分、承知している。
だから、理不尽な要求に 『No』 と言っても、言ったあとで、物凄い不安に襲われたりする。
『No』と言っていいんだってば・・・鼠がそういっても、猫は、爪を立てながら、
『少し我慢して、受けておけよ。その方が、ラクだぜ・・・。』
と囁く。
『今、No と言わなければ、あとあと、またとんでもないこと押し付けられるよ!』
鼠は、答える。面倒は、できるだけ、回避したいところだ。
どうしていいのか・・・いつも、いつも立ちすくむ・・・。
考えすぎてイヤになる・・・。
もう、考えるなと命じても、猫と鼠の葛藤は、続く。
この猫と鼠を上手く飼いならす方法は、ないだろうか?
いつも、いつも・・・考えている。
そりゃあ、やっぱ・・・場数を踏むこと以外、ないでしょうなぁ・・・。
仕事だったら、駆け引きだとかね・・・。
さて、明日も、駆け引きの勉強に、会社へ行くことにしますかね・・・。
アメリカのTVアニメーションに、『トムとジェリー』というお話があった。
猫のトムと鼠のジェリーの仲よく喧嘩する?天敵?同士の攻防戦をコミカルに描いたテレビ番組だった。
猫にとって、鼠は、ごちそう。鼠にとっては、天敵(・・・うちにいた三毛猫は、いたぶって遊んで、絶命した鼠を得意そうに、見せにきた・・・ンなもんいらんて・・・。いたぶるだけいたぶっといて、あとは、知らん顔・・・。廊下の真ん中に鼠の死体・・・ああっ!!!)。
私は、子年うまれだけれど、猫が好きだ。
そして、心の中のトム(猫)とジェリー(鼠)は、いつも相反して存在している。
この理論は、絶対に正しい・・・おまえは、正論を言っているのだから・・・と思う反面、いや・・・それでも、なにか、見落としがあるやもしれぬ・・・。自分が正しいと思っていることを、どうして、人にも認めてもらおうとする?ひとから同意を得られないと自信がもてぬのだ・・・。
特に、対人面では、こんなことばかりだ。
人が嫌いなくせに、人から嫌われるのがイヤだし、特に仕事がらみでは、組織のヒエラルキーの最下位にいるから、足許を見られているのは、充分、承知している。
だから、理不尽な要求に 『No』 と言っても、言ったあとで、物凄い不安に襲われたりする。
『No』と言っていいんだってば・・・鼠がそういっても、猫は、爪を立てながら、
『少し我慢して、受けておけよ。その方が、ラクだぜ・・・。』
と囁く。
『今、No と言わなければ、あとあと、またとんでもないこと押し付けられるよ!』
鼠は、答える。面倒は、できるだけ、回避したいところだ。
どうしていいのか・・・いつも、いつも立ちすくむ・・・。
考えすぎてイヤになる・・・。
もう、考えるなと命じても、猫と鼠の葛藤は、続く。
この猫と鼠を上手く飼いならす方法は、ないだろうか?
いつも、いつも・・・考えている。
そりゃあ、やっぱ・・・場数を踏むこと以外、ないでしょうなぁ・・・。
仕事だったら、駆け引きだとかね・・・。
さて、明日も、駆け引きの勉強に、会社へ行くことにしますかね・・・。