鼎子堂(Teishi-Do)

三毛猫堂 改め 『鼎子堂(ていしどう)』に屋号を変更しました。

散文的な日々・・・。

2013-04-23 02:05:36 | Weblog
気温の上がらない晩春。


マンネリのネタ切れ状態で、ブログが書けないでいる。

それなので、適当に、文字を並べた散文的な詩のような文体で、お茶を濁している日々である。

詩作でも、韻律を踏んだり、定型とよばれるお作法もあったりするから、詩作するなら、きちんと勉強したうえで、書くべきだとおもっているけれど、私の書く詩(もどき)は、純然たる詩ではなし、洗練もされず、ただ、このブログ内に、虚しく存在しているに過ぎない。

詩作に限らずとも、文学、音楽、絵画・・・なんてものは、読んだり、聴いたり、見たりした瞬間に、何だか、解らないけれど、魂というか、心の奥底に、何か『ガツン!』と感じるものがあれば、それは、天性の芸術以外の何もでもない。

だから、たとえ、万人に受け入れられずとも、世界にたったひとりしか感じてくれる人がいなくても・・・、その『心に響くガツン!』を感じてくれれば、その作品は、極上であると思っている。

・・・だからといって、それが、どうした・・・と言われれば、ただ・・・ソレだけなんです・・・と言うしかないのだけれど。

芸術とは、直接関係ないけれど、以前は、『努力』すれば、なんでも叶うと思っていたときがあった。
でも、それは、あっさりと裏切られた。

・・・努力して、開花する天才は、たぶん、確かに存在する。
けれども、そんな『努力』などしなくても、生まれながらに『天才』であるひとのほうが、圧倒的。なにしろ、天から与えられるものだからだ。

特に、声楽。
生まれながらに、持つ『声』がないと、成り立たない芸術のひとつだろう。

歌が上手い・・・と言われるひとは、多い。
歌唱力の問題で、これは、たぶん、技術を習得すれば、或る程度は、上達するし、天才・・・の域に達することもできるかもしれない。
・・・ただ、天性の『声』とセンスに恵まれたひとは、普通の人の半分以下の努力で、楽々とハードルを越えていく。
努力だけでは、如何ともし難いその『差』をみせつけられるような思いがする。

・・・またまた意味不明な内容になってしまった本日の散文的ブログ。