気温20度が、寒すぎる?ような五月晴れの爽やかな日曜日。
今までの気温が高すぎたためでしょうか?
なにやらとっても、ハダ寒い・・・。
自分を主張するような?セリフなどに、
『そんなことは、1mmだって思ってない・・・』
とか・・・
おいおい。ソレって、単位が違くね?
『思っていない』を数量的に表したいのだろうけれど、もともと、物理的には、測れない感情であって、ソレなら、0.99mmくらいは、思ったのか?
意味的には、1mmだって、そんなことは、思っていない・・・って言いたいのだろう。
でも、それじゃあ、0.99mmくらいは、思ってのかもね???ってコトになりはしないだろうか?
まあ、(感情を)具体的に数値化した比喩の類なのだろうけれど。
どなたが、言い始めたんでしょうかね?
フィーリング的には、いいかもしれない。
測れないものを数値化するのは、わかりやすいかもしれないが・・・。
ドラマとか、小説とか・・・日常会話。
何かの比喩のために、長さの単位の『mm』を用いているのだろうと思う。
数値化が、かえって逆効果なのが、裁判だったり。
上記にあげた、ドラマ、小説、日常会話くらいの使用範囲だったら、あまり問題ないように思うけれど、公の・・・例えば、新聞、テレビ、ニュースの中で、
『そんなことは、1mmだって思っていない。』
・・・というような、意志表示、もしくは、弁解を、フツーに、『そのまま』の発言としてしまうことへの危機感って、ないのだろうか?
まあ、言論は、自由なんだけどさ。
ワタシ的には、違和感というか、なんだか、感覚的に、全く違うというか、或る意味、不快感というか・・・そんなものがあるんだけどな。
まあ、発言する『ヒト』によっても違うだろう。
20歳未満のヒトが、発言するのと、いいオトナが、発言するのとでは、同じ言葉、同じ意味でも、聴衆の受け取り方が、全く違うってことも、少しは、考慮にいれないといけないのではなかろうかと。
言葉は、一旦、身体を離れてしまうと、発した側の思惑をはるかに超えてしまうこともあったりで。
『そんなことは、1gだって思っていない・・・』
↑コレって有りですかね?
感情の単位として使うなら、どちらかと言えば、『重量』の単位の方が、しっくりくるような気がしないでもないのだがね・・・。
要するに、1mm、1gは、微量だってことなんだろうなぁ・・・
重量単位だって、ヘンだよな?
『そんなことは、1カラットだって、思っていない。』
カラットは、ダイヤモンドの重量単位で、1カラットは、たったの0.2g。
でも、1カラットは、かなり大きなモンだよ?ダイヤモンドとしては。
もともと計測不能な感情を、あえて、長さという単位に置き換えるという、或る意味、嫌らしい『あざとさ』を感じてしまうのは何故なんだろうなぁ?
よくわからない文言が、あちこちで、飛び回って。
そして、すぐに消えていく・・・泡沫のような虚しい言葉たちの怨霊・・・。
そうなんだ・・・怨霊化した言葉達に、なんだか、虚しさしか感じられなくてさ。