午前中は、曇りがちながら、午後から晴れ間も。
人に与えられた1日の時間は、平等で、24時間。
どう使うかは、そのひとに任されているので、ナニに重点的に時間をかけるかで、そのヒトの真価が、決まるんだろう・・・と思うものの・・・。
最近では、自由に使える時間が、以前と違って、段違いに増えているにも、関わらず、アレやコレやで、1日が、あっ!という間に終わってしまう。
さっき、起きたのに、もう深夜か・・・!
それなので、私は、時計を見ている時間が、長い・・・。
時計を見ている暇に、やらなければならないことを、済ませてしまえばよいものを・・・。
まだ、時間がある、大丈夫だ、あと10分経ったら始めよう・・・なんて思いつつ、既に2時間過ぎていた・・・なんていうテイタラクな毎日。
過去に、勤め人だった頃は、実働8時間+45分休憩時間の他、通勤往復40分・・・しめて9時間25分、会社というところに拘束されていて、9時間25分の拘束の他に、会社へ出勤するために、約1時間。
帰宅後、翌日の準備のために費やす時間(夕食を作る、洗濯、風呂など)に、約2時間。食材の買い物なんかも含めると、2時間30分くらいかな。
翌日、働くための睡眠、7~8時間を差っ引くと、1日アタリ自由に使える時間は、3時間くらいとなる計算だ。
そこから、読書1時間とか、テレビ1時間未満・・・結局、自分のために使える時間は、殆ど無かったに等しい。
コレは、時間の使い方が、非常にヘタだからなのだけど、体力的に、極度に疲労していて、とにかく、明日働くためには、1秒でも、寝ていたいと思っていて、ソコに、自分というものは、無かったような気がしている。
今日は、大根と鶏肉の黒酢煮なるものを作成した。
厚さ3cmくらいの大根を軟らかく煮るには、割と時間が掛かる。
10分くらい煮てから、フタをして、1時間半くらい、余熱で、調理する、
そのあと、再び、10分くらい煮ると、味しみしみの大根が煮あがるのだけれど、お勤めをしているひとが、平日1時間半も余熱調理のために、使っていたら、食事をするのは、20時過ぎくらいになってしまうだろうし、とてもそんなことは、できない。
それでなくとも、自分の為に使える時間がないのだ!
だから、圧力鍋とか、電子レンジとか・・・文明の利器に頼らざるを得ない。
所謂『時短料理』が、有難たがられるのだ。
そりゃそうさ・・・お米研いで、炊飯器仕掛けて、少なくとも45分くらいは、かかるのに、玄関開けたら(電子レンジで)、2分で、ご飯は、誠にありがたい。
それでも・・・『時間』が、味を作るのである・・・と最近、思うようになった。
時間に料理してもらうのだ・・・コレは、或る意味、ものすごく贅沢ことである。
大根と鶏肉の黒酢煮は、凄く美味しく出来上がった。
時間が、調理してくれたから・・・。
ひとは、もっと、時間から自由に、なってもいいのでは・・・と思ったりする・・・。
なかなかそう出来ないのは、社会システムに、問題があるような気がする。
そうはいっても、なかなか、自由になれないよう、そういうふうに(社会を)コントロールているひとがいるからだろう。
みんなが自由に時間を使えるようになったら、困る人達が、存在するのも或る意味、事実のようだし?