十三夜。
御天気回復の三連休初日。
本日、十三夜。
先月の十五夜と今日の十三夜の二カ月連続のお月見は、来年の豊かさを約束してくれるという・・・。
どちらかを見落とすと、片見の月・・・で、よくないんだそうで。
今日は、日中は晴れたものの夕刻頃になって、ポツリポツリと雨がパラついたので、十三夜はどうかな・・・???と思っておりましたところ、厚い雲の間から、僅かに顔を覗かせていた十三夜。
県央へ出向き、帰宅途中で、月が見えたので。
今年も、お月見できました。
五穀豊穣を祈りつつ。
十三夜。
御天気回復の三連休初日。
本日、十三夜。
先月の十五夜と今日の十三夜の二カ月連続のお月見は、来年の豊かさを約束してくれるという・・・。
どちらかを見落とすと、片見の月・・・で、よくないんだそうで。
今日は、日中は晴れたものの夕刻頃になって、ポツリポツリと雨がパラついたので、十三夜はどうかな・・・???と思っておりましたところ、厚い雲の間から、僅かに顔を覗かせていた十三夜。
県央へ出向き、帰宅途中で、月が見えたので。
今年も、お月見できました。
五穀豊穣を祈りつつ。
終日の本降りの雨。初冬のような週末。
母の十九回目の月命日。
仏壇の香炉灰を均し。
雨が降っているので、墓参りは、来週にしよう・・・。
昨日(10月6日)。
隣市・シネコンにて、『アイ・アムまきもと』を鑑賞。
市役所の「おみおくり係」で、孤独死をした市民の縁故を探し出し、遺骨引取りと葬儀参列者を募る・・・お仕事。
誰もやらないその仕事を信念をもって遂行する牧本は、周囲にとっては、迷惑な存在。
たぶん・・・アスペルガー症候群的な・・・。
その牧本に、「おみおくり係」廃止の決定。
最後の仕事に奮闘する牧本だけれど・・・。
孤独死の最後のおみおくりのなかで、笑いとペーソスの物語。
阿部サダヲ以外には、演じるのが難しい牧本役。
コレから更に増加するであろう孤独死、独居死。
そして、たぶん私も・・・その予備軍なんだろう。
そんな思いで、見ていた作品。
最低気温10℃・・・冷たい雨。
まだ10月上旬なのに、既に初冬の気温。
寒い・・・。
午前中から県央へ。
冷たい雨が、降ったり止んだり。本降りの時間も。
そして、クロアゲハの幼虫が、雨戸の戸袋に、貼り付いておりました。
この雨戸で、サナギとなって、越冬するつもりなのか・・・。
ぷくぷくに太って、越冬準備は完璧???
なかなか可愛い個体で、願わくば、野鳥さんたちに、みつからないよう・・・春迄、頑張ってほしいものです。
(因みに私は、この時期にサナギになって、数週間で、蝶々になったときには、世間では、晩秋も近くなって、すぐに死んでしまうのか・・・と危ぶんでいましたら、相方が、コイツどこまで、バカなんだ・・・と憐憫の眼差しを向け、この幼虫は、随分太って栄養をつけているようなので、これから、たぶん、ここで、サナギになって越冬して、春になったら羽化するだろう・・・と教えてくれました。こんなコトふつーのひとは、知らんでしょうが・・・。)
それにつけても・・・一昨日くらいまでは、真夏日だったのに、いきなり10℃を割りそうな気温。
ちょっと厚手の長袖のTシャツと綿ニットの半袖パーカーで、ちょうどいいか・・・と思って出かけたのだけれども、寒いのなんの・・・。
車のラジオでは、関東地方所によっては、12月上旬の気温で・・・とアナウンス。
日焼予防用に車に常備してあるアームカバーを、ウォーマーに代用。
結構、保温力があるので、持っていてヨカッタ。
そして週末には、再び、夏日になるという予報・・・ちょっとコワイ温度差。
正午から本降りの雨。
都内には、数多の美術館があって、国家が運営するもの、自治体が運営するもの・・・そして、巨額を投じて、国家の運営によるものと遜色のない個人が運営する美術館も存在する。
美術館には、学芸員という職員さんが居て、最近では、学芸員よりも処遇が、上位のキュレーターという職業があるらしい。
ちょうど一年前になるだろうか。
国民にケンカを売って、ニュー・ヨークに行った本邦の皇族の女性が、世界最大と言われるメトロポリタン・ミュージアムの職員として、働いているとか、いないとか・・・(真偽はしりません)。
ボランティア?ということらしいけれど、皇(王)族特権として、本邦から、かの美術館へなんらかの理由で、資金提供し、その一部を報酬として、皇籍を離脱した元・内親王への報酬として支払われているらしく・・・???(そういうカラクリなのかね???よくわかんないけれど)。
生まれながらの特権階級をフルに使いこなし、自由奔放に過ごしていらっしゃるようで、何より。
国民のせいで、『複雑性PTSD』になったので、ニューヨークへ行きます・・・って言われてもなぁ・・・と1年前に国民はそう思っただろう。
ニューヨークだろうが、ロンドンだろうが、モスクワだろうが・・・何処へでも行ってくれ・・・ただし、自分のカネでな・・・。
夫君は、これ以上ない事故物件。
・・・そんなこんなで、一年経って。
あの御方は、メトロポリタンミュージアムで、労働?されているんだろうか。
肩書は・・・もしかして、キュレーターなのかな・・・とか。
フト・・・思ったりして。
特に、美術とか、芸術が好きで、そういう作品に囲まれて過ごしたい・・・とか、そんなんでは、無さげ・・・。
キュレーターと言われる自分になりたいだけ・・・なのかもしれない。
メトロポリタンミュージアムのキュレーターだと、年収数千万(←真偽は知らねど)だとかで、なかなか成れるものでもなさそうだし。
別に、ステータスなら、キュレーターよりも、内親王さんの方が、上でしょ。生まれながらに、特別で、本邦下民達が、わずかな労働の中から、厳しく徴収される税金で、暮らせるのだから。
結局のところ、あの御方は、何がしたいんだろう・・・???
良く晴れた真夏日。残暑続く・・・。
秋の訪れは、少し遅れているようだけれど、明日(5日)から、気温が一気に下がっていき、週末は、11月並み・・・で、最低気温も10℃前後を推移するという現在の予報。
2週間連続で、美術館巡りをしたけれど、いつも思うのは、展示室の監視員さん。
展示室の片隅の椅子に座り(或いは、立って)、来館者が、作品に危害を及ぼさないか、或いは、マナー違反をしないか・・・などと、監視するお仕事。
誰もいなければ、アクビのひとつもいいけれど、押すな押すな黒山の人だかり・・・なんてときは、神経を使うし、ひとりかふたりの来館者のときは、なんだか、こちらも気を使ってしまう。
飴やガムなど食べていると、ティッシュペーパーを差し出され、館内は飲食禁止ですの旨を伝えねばならない。
私は、たぶん・・・5分座っているのも苦痛だと思う。何もせず、ただ、ヒトの動向を注視する・・・ということが、出来ないから。
この件(くだり)は、以前の拙なこのブロク内でも既出なんだけれど、美術館を訪れるたびに、監視員には、絶対になれない・・・と思ってしまう。
宇都宮美術館最大の目玉・・・ルネ・マグリットの大家族・・・(使いまわしですみません)
この絵のすぐ隣に監視員さんが、イスに座っていた。
私が絵の前に立ち、絵に挨拶(心の中で)して、暫く、じっと眺めていたのだけれど、やはり人の気配って、凄く気になる。
だって、私と監視員さんの間は、1mないんだもの・・・。
もう少し真ん中に展示してくれるか、監視場所を変えてほしい・・・と思って、心行くまで、再会を楽しめなかった。
この『大家族』、25年前のオープン前(1996年)に、6億円で、購入ということだけれど、1963年製作の比較的新しい絵画で、この6億円って、高いのか安いのか・・・私にはわからない。税金なんだよな・・・コレ。
因みに、フェルメールは、1630年から1675年の作品の落札価格は、10億円前後・・・。
まあ、絵画の価値は、買う人が、決めるのだろうけれど、現代アートというか、イラストというか・・・かのFF(ファイナルファンタジー)の天野喜孝のリトグラフでも、数千万円するものもあるそうで、原画だとやはり億?という話(真偽は知らない)を聞いたこともあるので、ルネ・マグリットが、6億でも不思議はないか・・・今は円安だから、もっと値も上がっているのだろうか・・・。
あり得ない話だけれど、もし、美術館が、私にこの『大家族』をプレゼント?してくれると言っても、私は、受け取らない。
飾る場所、管理が、まず無理。温度・湿度調整の失敗で、カビは免れないだろうし、退色やシミなどの発生、絵具のひび割れ・・・様々なメンテナンスは、専門家でないと出来ようはずがない。
かの日本画の上村松園などは、あの透明感のある画面を構築するのに、通常より薄塗りとなり、すぐに劣化する・・・という記述を読んだことがある。
美術修復家泣かせの画家のひとりなのかも・・・。
亡き母は、元気な頃、美術館巡りをしていた。
バス・ツアーなどにもよく参加していて、ミュージアム・ショップで、よく絵葉書なんか、買ってきた。
筆まめで、字の上手い母から、絵葉書を貰ったひとは、嬉しかったんじゃないかな・・・と思うけれど、受け取った方は、迷惑だったかも。
母が亡くなって、私は、親戚や知人に葉書や手紙を書いたけれど、存外、手紙などは、迷惑なんだろう電話で、御礼が来るだけだった。
母が筆まめ過ぎたんだね。
ミュージアム・ショップで母が買ってきた絵葉書は、僅かに残ってるだけで、絵の趣味は、合わないから、捨ててしまうかな・・・と思いつつ1年以上過ぎてしまった。
終日、薄曇りの夏日。
9月29日・午後3時
午前中、映画を見て、ランチ。そして、美術館へ。
ずっと休館中で、館内の設備改修?をしていたかの美術館の収蔵品の公開展。
大好きなルネ・マグリットの『大家族』の展示も(この作品は、他の美術館への貸出しも多くて、運が悪いとお留守のときもあって、常設って訳じゃないようです・・・)。
(↓使いまわしですが・・・)
久々の『大家族』の前で、(お久しぶりですね)としみじみ。
他の収蔵品には、シャガールなんかも結構、コレクションしているけれど、シャガールは、あまり好きではないので。
パウル・クレーの小作品数点。
それにつけても・・・この収蔵品って、ダレの趣味なんだろう???
市の経営なんだろうけれど、財政が豊かなんだねぇ・・・。そして、この美術品って、どれくらいの市民が見に来るのか・・・(たぶん、大多数は、縁がないでしょ・・・と市民の相方曰く・・・)
企画展では、高橋銑氏のブロンズ像の展示と劣化のスライドの上映。
(↓バリー・フラナガン/ホスピタリティ)
この美術館の広い永遠には、2体のブロンズ像の展示があって、そのひとつは、バリー・フラナガンのウサギの彫像。ホスピタリティ(歓迎)と言う作品で、遊具化されて、最低2年に一度の補修も・・・(たぶん)行われていない。
子ども達は、この美術品によじのぼり(じっさい、美術館を出た後、このブロンズ像が設置してある広場に見に行ったけれど、子供たちがよじ登っていた)、手垢や汚れ、傷、劣化が、激しい。
同じ作者によるブロンズ像は、館林美術館にも設置があるけれど、子供たちが、遊べないように、接地する部分に生垣のように植物が植えられて、どちらの保存状態がよいのか・・・と疑問を投げかけていた。
作者は、美術品か遊具か・・・どういう保管方法を望んでいるんだろう・・・とか。
たしかに、ブロンズではあるけれど、うさぎさんで、手が届けは、乗りたくもなるフォルムだよな(ちょっと見・・・なんだか、イロっぽいウサギさんかも・・・?)
この美術館には、何度か来ているけれど、あのウサギさんが、著名な作家の作品で、しかも遊具化されて、そこに存在している・・・ということにも気が付かなかった。
このウサギさんが、歓迎してくれているプレート表示側から、入場したことがなくて、そもそもこのウサギさんだってことも知らなかったね。
秋の日暮れは、早くて・・・もうすぐ17時にかかろうか・・・と言う時間。
数時間前は、秋のうろこぐも一杯の晴天だったというのに・・・。
日差しは夏でも、風は秋・・・。それでも気温は、夏日の残暑。
神無月になったのに、ツクツクボウシ蝉の声。
終日、風にのって金木犀の香。
9月29日。
早朝から、県央・シネコンにて、劇場版 舞台 『刀剣乱舞』 悲伝 結の目の不如帰 を鑑賞。
(↑映画館でいただいたステージショットフォトカード:三日月の出演シーンのカードに当たったことないので、やはり三日月は今回が最後なのかなぁ・・・?)
天下五剣の一振り、もっとも美しいと言われた三日月宗近 フェイド・アウト・・・なのか!
なんでぇ???主人公でしょ~~~に?
双璧である山姥切國広へ、主役交代なのか・・・ゲームやらない(出来ないし?)から、ストーリーが、よくわからんがな・・・。
画面から抜け出たように原画に忠実で、美しい2.5次元の世界。
原画原作のキャラを忠実に映し、実写化(舞台化)される新たなるカテゴリーである2.5次元の俳優。
これまでは、何処まで、自分と物語の役の乖離を修正し、物語の役にない俳優自身の個性(とか演技力とか、表現力とか)を見せるのが役者だったのに、それをすべて捨てて、2次元のキャラクターに身を写す・・・。
それは、或る意味、コレ迄の(主に舞台)俳優の根幹を揺るがす・・・役者的には三流とか・・・そんなイメージだったんだけどさ。
例えば・・・俳優、女優で、物語の『役』ではなくて、その役者が演じると本人にしかなれない・・・ってパターンもあって、何をやっても・・・(例えば)某・キムタク・・・なんだよね・・・って。
(好きな女優のひとりの)天海祐希なんかも、ソレっぽい。天海祐希の演じる役なんだけれど、本質は、天海祐希なんだけれどね。
美形の役者に多い気がする・・・本人=役。
2.5次元は、ソレでもない・・・自分を出したら、即、失敗。
或る意味、かなり厳しいし、難しい縛りでもある。
真逆なのは、歌舞伎俳優の『ワンピース』とか、『風の谷のナウシカ』。
おおよそ・・・物語のキャラクターにかすりもしない・・・或る意味、ヴィジュアル的に申し訳ない・・・猿之助のルフィーはカンベンしてくれ・・・みたいな・・・。
それはそれで面白かった・・・脇にヴィジュアルの美しい俳優も共演だったしな。
・・・で、三日月宗近は、完璧だった。
その目線、動き、瞬きのひとつまで・・・。
もう見られないのかも・・・と思うと、残念だ・・・後続のストーリーで、また演じてもらいたいと思っている。
秋晴れのカラリとした残暑続く。終日、金木犀の香り馥郁と・・・。
3日前(9月29日)から、午後8時前後に、フクロウの啼き声を確認。
久々のフクロウの啼き声。
ホホッホホと威嚇?したり、ホ~ホッホホ~と緩やかに啼いたり。
ヨルトモノ帰還・・・オカエリナサイ。雑木林へ。
そして・・・3日前の朝より、我が右手親指を動かすと、激痛。
数週間前より、寝起きに、指が痛かったりしたので、リウマチかもしれないな・・・と思っていた矢先。
動かさなければ、無痛なので、骨の異常ではなさそうで、関節か・・・筋肉か・・・と思っていたのだけれど、3日前のお昼にランチで入店したお鮨屋さんでは、箸を使うのも難儀する痛み。
相方が、
「もしかすると圧迫骨折とか、骨にヒビがはいっているのかも?病院行ったら・・・。」
というので、これ以上、痛みが続くようだったら、病院へ行くことにきめた。
その夜・・・8時前に帰宅したとき、フクロウの声を聴いた。
塩化マグネシウムを入れた浴槽に浸かりながら、右手が使えないことは、不自由この上なし・・・。
身体が普通に機能しているってことは、大変なコトなのだ!
温めると、幾分良くなったような気がして、寝る前に龍体文字を紙に書いて、絆創膏で貼って眠った。
痛みで目が覚めることもあったけれど、翌朝には、痛みが軽減・・・コレが、龍体文字のおかげなのか、自然治癒に向かっているのか・・・私にはわからないのだけれど。
そして、その夜、母の夢をみた。
亡くなった母が、再び臨終を迎える夢だった。
夢に出てくる母は、亡くなった当時よりも、若い頃の母が多かったけれども、今回の夢の母は、亡くなった当時の・・・もう随分と老いた老婆だった。
現実には、眠るように逝った母だったけれど、夢の中でも、倒れ込んで、その身を起こすと息絶えていて、そのそばには、33年前に亡くなった父も居て、父は、
「やはりもう寿命だ。」
というようなことを言ったような気がする。
父は、63歳で、亡くなったから、今にして思えば、まだ若かったんだな・・・と思うけれど、抗がん剤とか、いろいろな薬品で、亡くなったときには、九十歳を優にこえたような老体だったし、病院の看護師さんは、私に向かって、父を
「おじいちゃん」と呼んだくらい、老け込んでいた。
私の意識の中で、母は、二度死んだ。
現実の死と夢の死と。
そして、数週間前には、生き返る夢を見た。
まだまだ母の死を受けることが出来ずにいる。諦め切れていないような気がする。
あとどれくらい母の夢を見たら、私は解放されるんだろう???
右手の激痛は、現在、ほぼ治まって、布巾を絞ったりできる迄に、回復して、包丁も持てるようになって、食事の支度もできるようになって、普通に戻りつつあって、それでも少し大事をとって、出来るだけ、手指は使わないことにしてみる。