11月28日(火) 曇ときどき雨のち晴
午前7時半、比奈知小学校の通学路で登校児童の見送りボランティアに立つ。 毎週火曜日の早朝、夜の遅い身には少々辛くもあるけれど、子どもたちと交わす朝の挨拶に、励まされている。
出来る幸せ! させてもらえる、有難さ‼
通学路の溝掃除は、11月初旬に済ませたのだけれど、その後も桜並木の枯れ葉が舞い落ちて溝に溜まっていた。 今朝は、青灰色の溝の底に1枚の落ち葉も見られない。 「?、どなたが?」「あぁ、僕がやっといたんや」と、富貴の会・ボランティア部長のヤマムラ氏が恥ずかしそうに。 「えっ? お一人で?」「いや、家内も手伝ってくれたんで…」
「うっわ、すごい! お疲れ様でしたぁ」。 50㍍ほどの延長を持つ溝掃除、本当に、お疲れ様でした。
「陰徳あれば陽報あり」(人知れず善いことを行う者には、目に見えて善いことが返ってくる)、「積善の家には余慶あり」(善いことを積み重ねていく家には子々孫々まで慶福が及ぶ)と、父親が食事の折などに繰り返し話してくれた中国の哲学書の言葉が、不意に脳裏をかすめた。 前者は、前漢の高祖の孫で淮南(わいなん)王・劉安が編著した哲学書から広く人口に膾炙し、後者は、易経・坤卦から世に知られることとなった。
さくら♪の生まれ育った三重県松阪市は、銀行家・篤志家、原田積善翁(二郎、1849~1930)が出生し、生家が今に残る町のせいか、とりわけ父親は熱を籠めてその業績について話すのであった。
生家の隣が親友・生子ちゃんの家であったので、ボール遊びをしてはボールを原田邸に投げ込み、玄関のブザ―を鳴らして「ボール取らせてください」と積善翁の遠戚に当たられる原田先生(確か中学校の英語の教師でいらした)に、お庭に招き入れられて喜んだものであった。 原田先生は子供心にも端正な美しい男性で、いつも着流し姿で生子ちゃんとさくら♪は、先生の大ファンであった。
寛永2年生まれ。江戸から明治大正昭和を生き抜かれた篤志家は、国や企業やその他しがらみを生む機関には一切属せず、お子様がおられなかったこともあり、絶家としたうえで、私財すべてをなげうって「原田積善会」を創設なされ、支えて来られた役員方の経営の善きを得たおかげで一度の破綻もせず、各方面の事業に支援金の交付を続けて来られた。 まことに稀有で強力な社会福祉財団である。
ちなみにさくら♪の同級生・世古潤壹良くんは、元ディーエム情報システム社長、元三菱信託銀行取締役などを歴任ののち、縁あって原田積善会の業務理事として、小さな援助から大きな支援まで、広く活躍してこられた。 人柄が穏やかで謙虚で思いやりの深い、真の紳士である。 積善翁は、「この彼になら、会の業務を托して悔いなし」と思われていることであろう。 公益財団法人 原田積善会 (haradasekizenkai.or.jp)
話が大きく逸れた。
ヤマムラ・ボランティア部長は、まさに陰徳陽報、積善余慶の人である。 私たちの老人クラブは、かくのごとく誇れるお方を戴いて、ボランティアを楽しむ次第である。
ヤマムラ氏は、道の中央付近で体を張って、子どもたちの安全登校を守っておられる。 有難いなぁ!
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます