友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

いとこ

2014年12月01日 17時56分05秒 | Weblog

 姉の見舞いに行って来た。姉は右の頬が虫にでも刺されたのか少し赤くなっていたが、元気だった。こちらの言うことはよく分かるようで、「耳はよく聞こえるから」と言って笑う。姉の娘は何かと世話を焼くけれど、「そんなにやってもらっているかねえ?」と言う。娘が「たいしたことは何もしてないよ。普通のことをしているだけ」と答えると、「世話になっとるの?」と娘に話しかける。ボケているのか、プライドで言っているのか、どちらにしても穏やかで、誰とでも会話が出来るようなので職員の皆さんの受けもいいようだ。

 会話の中に「いとこ」の言葉が出てきたが、そういえば「いとこ」とは随分疎遠になっている。父方の「いとこ」とはもうすっかり会っていない。父のすぐ下の叔母さんの子どもは私よりも年下の子はひとりだけで、上のふたりは大人の女性だったこともあって遊んだことは一度もない。私よりも下の男の子の結婚式では司会役を務めたが、それからは親交がなかった。叔母さんが亡くなった時に、葬儀場で始めて父方の「いとこ」たちと会ったけれど、誰が誰だったのか分からなくて、話もできなかった。

 母方の「いとこ」は私と年齢が近かったが、むしろ年上の「いとこ」に遊んでもらうことが多かった。母の妹の次男は東京の大学に行っていて、私が高1の夏休みに家に来て、安保闘争の話をして「東京に出ておいで」と言った。一番影響を受けた「いとこ」だと思う。愛知県の職員になった彼からナンバー2を目指したこと、派閥の争いに負けた話も聞いた。その上の長男は京都の大学を出て名鉄に勤め、その後別会社の役員になった。その会社で私の次女がアルバイトをしたことがあったけれど、それは全くの偶然でビックリだった。

 父の母、お祖母さんは私が小学校の高学年の時に亡くなった。それまでは盆と正月には必ず叔母たちが子どもを連れて来ていたし、比較的近いところに住んでいた叔母さんたちはよく実家である材木屋に来ていたが、やはり母親のいない実家には来にくかったのか、「いとこ」とは疎遠になってしまった。母方の「いとこ」たちとも私の母が亡くなると会うこともなくなってしまった。「いとこ」というのは近いようでも遠い存在のようだ。そういえば、母の弟の長女のダンナが亡くなったと喪中ハガキが来た。

コメント
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