小2の孫娘の水泳教室を見て来た。昇級試験はプールの一番奥のレーンで行われていたので、よく見えなかったが、クロールで泳ぐテストのようだった。途中でロープに手が当たったのか、姿が見えなくなり心配したが、それでもターンまで出来たように見えた。コーチから結果が発表されるまでは神妙にしていたが、飛び跳ねていたから昇級できたのだろう。終了して保護者席の前を通る時はニコニコ顔だった。
子どもたちはどんどん成長するが、私たちは老いるばかりだ。カミさんの叔母が骨折したと言うので、カミさんの弟夫婦と妹の5人で病院に見舞いに行って来た。色白のきれいな人だったが、いっそう痩せていた。病室は4人部屋で高齢の女性ばかりだが、他の3人はさらに痩せ細り、ただただ眠っているだけで、時折り野獣のような声をあげていた。みんなそれぞれに、戦後の自由を享受した輝かしい青春時代を生きて来たのだろうに。
人は誰もが老いていく。それは仕方がないことなのに、不老不死の薬や死後の復活を夢見てきた。医学はどんどん進歩し、死後から復活こそは出来ないが、死を限りなく遠くへ押しやるようになってきた。工場製品は格段と進化し、人の手はますます不要になってきている。医学や看護や介護までも機械化が進んでいるという。いったい人は何をすればよいのだろう。電車に乗っているとほとんどすべての人がスマホをいじっている。
1945年の第2次世界大戦後、人類の生活は大きく変わった。孫世代の子どもたちと夏祭りを一緒にやっていて、子どもたちの力の無さに驚いた。みんながみんなでは無いだろうが、私よりも身体が大きく体重もあるのに、重い物が持ち上げられないし持久力もない。こんなことは考えたくないが、環境によって次第に身体は変化するから、いつか人間の形も変わるのかも知れない。変化しないと生き残れないのかも知れない。