パソコンの調子が悪い。諦めてノートパソコンで文章を打ち、本体のパソコンに送り込んでみようと思う。先ほどまで打っていた文章が思い出せないから、どうしたものかと思いながら、何もこだわる必要はないのに気になってしまう。このブログを私が続けているのは、中学からの友だちと続けることを約束したからだ。
彼は一日も休まずアップしているが、私は理由を付けて時々休む。ネタが見つかればアッという間に書けるが、思いつくまでに時間がかかる。井戸掘り仲間と一緒の時なら、会話に中からネタを見つけることが出来るが、今日のように一日中家にいると新聞かテレビかそんなものから探すことになる。
カミさんは仙台にいる次女とラインで話している。3歳の孫娘がメッセージを送ってきたからご機嫌がいい。3歳になって言うことがかなりオシャマになった。次女は娘の成長が楽しみではあるが、だんだん手に負えなくなってきて、「ダメでしょう」とか「何やっているの」とか叱ることが多くなっている。口うるさい母親になると子どもは「素直ではなくなるぞ」と言いたくなる。
子育ては自分で経験する以外にない。親だって完璧に出来ないし、ましてや子どもが完璧に出来るはずはない。他人を非難したり傷つけたりしない子であればそれで充分だ。もう少し欲を言えば、他人に優しい子であってくれたら申し分ない。我が家の娘ふたりは願ったような女性になっていると思う。まあ、それぞれのダンナに聞いてみないと家庭での評価までは分からないが。
求めすぎれば負担になるし、求めなければ疎遠になる。親子でも夫婦でも友だちでもきっと同じだろう。恋人同士で「求め合わない」と言う人たちはいないだろう。愛すること恋することは相手への要求であるが、強くなりすぎると耐えられなくなるし、何も求めなければ冷え込んでいき、破綻するのは必至だ。
さて、ここまで書いた文章を本体に移そうと思ったら、本体のパソコンは動こうとしない。修理してもらい、1日遅れてやっと立ち上げることが出来た。私はパソコンに求め過ぎたのだろうか?