山登りの好きな人の言葉にこんな名言がある。「人は自然のなかで清々しく生きるものです。邪念を突き抜けたとき、本当の愛が見えます」。73歳にもなっているのに、私はそんな心境に到達できていない。清廉潔白な心はどのようにして獲得するのだろうと思う反面、そんな聖人にならなくても、卑しい心に振り回されて生きるのも捨てがたいと思う。
夏祭りの売り上げで、みんなで下呂温泉に出かけた。露天風呂から河原を見ていたら、小学生か中学生でも1年生くらいの男の子と女の子が手をつないで歩いていた。突然男の子が何か叫んで女の子をハグした。女の子も男の子の顔を叩くようなしぐさをして同じようにハグしていた。ふたりは何度も繰り返し、笑い合い、そして手をつないで消えていった。
翌日は大滝鍾乳洞と「モネの池」を見て回った。大滝鍾乳洞へは以前来たことがあったが、ずいぶん観光地として整備されていた。鍾乳洞は人気なのでかなり込み合っていた。私の前は大学生風のカップルだった。女性はミニスカートだったので、目のやり場に困るかと思ったが、中は暗いし足場が悪いので、スカートの中を覗く余裕などない。
「ねえ、やめて」と女の子の声がした。女の子の後ろから行く男の子が、女の子の足に鍾乳洞の水に触れた手でタッチしていた。水はとても冷たい。男の子女の子のきれいな足にタッチしてふざけている。「やめて」と女の子は言うものの嫌っている様子はなく、鍾乳洞の冒険を楽しんでいるようだった。
「モネの池」では急に雷が鳴り、大粒の雨が降ってきた。フランス映画なら、若いふたりは雨宿りの場所を探して森をさまよい、見つけた小さな小屋で互いの体を温め合うところだろうが、あいにくそんなシチュエーションにはならなかった。河原の男の子と女の子、鍾乳洞の男女、見ていて清々しい気がしたのに、私は妄想の世界へ入り込んでいた。
聖人の心は年齢で獲得できるものではないようだ。いつまでも青春に身を置いて夢見ていて、なかなか老人になり切れないのも困ったものだ。コメントがまだ1つしか来ないのも寂しい。