友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

水に流してしまいたい

2020年10月29日 17時52分12秒 | Weblog

 新しい器具が出来て、今日こそ目途が立つようにと、祈る気持ちで出かけた。しかし、守山区での井戸掘りは今日も不発だった。小石と砂利の層に阻まれて、どうにもならなかった。友だちが手作りした器具だけは何とか役に立ったが、私が頼んだ器具は全く機能しなかった。

 依頼した趣旨がうまく伝わらなくて、出来上がった器具を見た時から、これではダメだと感じた。それでも無理に、仕事の合間をぬって、部下に作らせたものだろうから、やり直してと言いずらかった。私の説明が悪かったのだ。なんとか作ってもらった器具を改良する方法を考えよう。

 NHKの朝ドラ『エール』を見ていると、戦争に積極的に協力した人と積極的ではなかった人との違いが鮮明に描かれている。戦後の2・3年までは、きっとこんな状態だったのだろう。主人公のように、勇んで戦地に向かう軍歌を作曲したことの責任を感じて苦しみ、再び作曲はしないと決めた人もいただろう。

 画家も物書きも新聞記者も教師も、そして歌手も、責任から逃れられなくて苦しんだ人はいただろう。中には自分は積極的ではなかったと自己弁護する人もいただろう。けれどもいつか、時が流れ、過去を振り返ることが少なくなると、再び一生懸命に働きだしてしまう。私たち日本人は、何時でも水に流して生きてきた。

 先輩が、「慰労会をやらなきゃ―いかんな」と言う。「まだ、井戸が完成していないのに、そんな気分になれませんよ」と答えると、「こんな時だから気分転換のために、慰労会をした方がいい」と言い切る。誠に楽天的な人だと思うが、確かにその方がよいのかも知れない。苦しいことや嫌なことは水に流してしまいたいから。

 

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