友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

けれど現実は、欲に満ちている

2021年12月28日 17時55分55秒 | Weblog

 茨城の小1の孫娘は、そろそろ父親の実家がある兵庫県に着いただろうか。飛行機で行くようなことを言っていたが、上手く飛行機に乗れたのだろうか。新幹線で帰るとなると、「関が原の雪のためかなり遅れるが生じる」とテレビは報じていた。

 4月の入学したばかりの頃は、とてもお茶目で可愛かったけれど、七五三であった時は一年生とは思えないほど大人びていた。ひとりっ子で母親といる時間が多いからなのか、まるで大人がふたりいるような話しぶりだ。言葉の使い方は母親を超えるくらい気が利いている。

 年明けまであと3日しかない。私は玄関ドアとルーフバルコニーに出る西側の窓ガラスを掃除した。明日はキッチンの換気扇の掃除を命じられるだろう。お正月といえば、ピッカピカに磨いて迎えたものだったけれど、人も来ないとなるとそんな意欲も薄れてしまう。

 統一教会の文総裁の夫人、韓鶴子さんの自叙伝『平和の母』を半分ほど読んだ。統一教会の教本は読んだことが無いので、悪いウワサしか知らないが、キリスト教と言うよりも何か別のもののような気がした。朝鮮半島には明治以前にキリスト教が伝播されていたようだ。

 それは儒教の教えや土着の教えなども取り入れ、独特のキリスト教の宗派が生まれ信仰されていたと思われる。文総裁も韓鶴子さんも北の生まれで、「天の啓示」を受けて育ってきた。心で聞いたり、夢で聞いたり、それが信仰の土台のようだ。

 「聖書に戻れ」と言うなら分かるが、「天の啓示」を聞いたとなると、私は受け入れることが出来ない。「世界の平和」「愛に満ちた世界」を目指すその理念は正しい。けれど現実は、韓鶴子さんも言うように「欲に満ちている」。

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