80歳の同年者の集い「第16回シクラメンの会」には、32名が参加してくれた。市長も駆けつけて、スピーチしてくれた。立食形式で創作料理の店、いろんな珍しい料理が出てきて、ここを会場にして良かったと思った。歩いて帰らなければならないが、みんな無事に家に着けただろうかと、夜空を見上げてそう思った。
閉会する頃に、「次は90歳、卒寿の祝いを」という声がかかり、「その頃まで生きていられるか分からん。来年のやったらいい」という声も上がった。これまでの「シクラメンの会」を資料を作り、実質で支えて来た人が「OK」なら、彼が倒れるまでは開催できる。会場の確保や開催までの段取りが面倒で、それをこなせば誰でも出来る。
私の役割は、参加者全員が一度はマイクを持ち、ひと言、発言させることだった。これまで参加していても、一度もカラオケで歌うことの無かった人にも歌ってもらい、歌は無くても名前だけでも言ってもらう、そういう一体感が欲しかったのだ。それが出来れば、参加してくれた意義はあったと思うから。
最初の挨拶で話したが、返信ハガキに「体調不良で参加できない」とか「連れ合いが亡くなった」とあるのを見て、そういう歳になったのだと痛感した。私の隣りの席の女性は、朗らかで歌の上手い人だったが、同じ話題を何度も話す。しかし、周りは「その話、さっき聞いた」とは言わずに、初めて聞くように相槌を打つ。落ちの部分では、同じように大声で笑う。
そうか、そういうことが高齢者には大事なのだと思い知らされた。来年もやるのか、卒寿にやるのか、次の幹事会で決めなくてはならない。神経は使ったけれど、疲れた気持ちにはならなかった。挨拶の最後に江戸時代の医師、杉田玄白の言葉を伝えた。過ぎたことは悔やまず、明日のことを心配し過ぎない。一日一日を楽しんで生きていきましょう。