昨夜、テレビ東京開局60周年特別企画のドラマを「テレビ愛知」で観た。『生きとし生きるもの』という題名に魅かれたからだ。私はキリスト教に憧れたが、これは仏教の教えだと分かった。仏教では、「この世に生きている、全てのものにはそれぞれ命があり、その命は全て尊い」と説いているからだ。
なくてもいい命などは無い。けれど、現実は矛盾に満ちている。妻夫木聡が演じる天才的な技術を有する医師は、助からない患者が苦しんでいるのに、苦しみを延ばすことしか出来ないことに悩んでいた。渡辺謙が演じたのは、余命3ケ月宣告を受けている患者で、早く死にたいと願っていた。
実は、そういう設定かと思ったら、余り観る気がしなくて、途中で眠ってしまった。こんな風に、死に場所を求めて旅をするドラマを以前も観た気がした。患者の希望に応えられる医師であろうとしても、命までも奪っていい訳では決して無い。「殺してくれ」という渡辺に、「いいよ」と答え、「最後にやりたいことは何か」と妻夫木は訊く。
それで、ふたりは患者の故郷に向かって旅立つ。患者の高校時代の初恋の女性や、結婚した娘にも逢い、行き違いやすれ違いがあったことを知る。そんなことは人生にはいっぱいあることで、今更それを知ってもどうにもならないのにと思ってしまった。いや、ドラマもそれを伝えたかったのだろう。
ドラマの中で、「生きとし生きるもの」が不公平だと妻夫木は口にし、「この世に神はいないのか」と嘆いた。私に言わせれば、神は全てに命を与えてくれ、どう生きるかの選択も与えてくれた。幸不幸は己の捉え方ではないだろうか。どんな命も全て尊いと言う、仏陀の言葉を噛みしめたい。
私が一番気になったのは、患者役の渡辺謙のことだった。老け役でもっと適した俳優はいなかったのかと思った。余命宣告を受けた、頑固で片意地な老人には似つかわしくない。背が高く、頑丈な肉体が目に付いてしかたなかった。しかし、どんな人間もいつか終わりを迎える。例外は存在しない。