『子どもの日』の昨日、ワイングラスを用意し料理を並べてカミさんが、「子どもたちや孫たちの健やかな成長を祝って、乾杯しましょう」と言う。どんな理由であれ、祝い事は嬉しいものだ。「じゃー、乾杯」と口にする。
子どもの頃、住んでいた刈谷の材木屋の家を思い出す。兄貴は長男だから、五月飾りセットがあったが、三男の私には飾るものは無かった。兄貴には男の子がふたり生まれたので、庭には立派なこいのぼりが泳いでいた。
上の甥っ子は大人しく、下の子はやんちゃだった。同じ兄弟でも性格が違うことが、私には不思議であり面白かった。私はふたりの女の子を授かったが、小さい時からやっぱり性格が違っていた。上の子は大胆で、下の子は怖がりだった。
長女の中3の娘は卓球部で頑張っているが、この前も試合の直前にケガをした。「長女もよくケガをする子だったね」と話していると、「そう言えば、私も小さい時はよくケガをしてた」とカミさんが回想する。なんだ、やっぱり血は繋がっているのか。
私はひとりでいるのが好きで、家に居る時はおじいさんの大工道具を使って、ハトの巣を作ったり、船を作ったりしていて、おじいさんに叱られた。家に居ない時は、街をひとりでブラブラ歩き回っていた。何が面白かったのか、今でも何も分からない。
小学校の高学年になると、ひとりで映画館へ出かけていた。花道もある昔の劇場で、観ていたらストリップショーが始まった時は緊張した。2階席の隅に、子どもがいるとは誰も思わなかったのだろう。映画を観に来たつもりだったが、恥ずかしいながら興奮した。
祖母がよく連れて行ってくれた別の映画館は、市川雷蔵や長谷川一夫の時代劇だった。祖母は私を連れて行くことで、祖父の非難を避けていたのだろう。「小町」と言われた祖母はキレイな人だったが、母とはなぜか口も利かなかった。
祖父は毎晩お酒を飲んだが、父は飲まなかった。父はお酒が飲めない人なのかと思っていたら、母とふたりで飲む時があった。そんな時は、子どもの私と妹は、早く床に就かなくてはいけない空気だった。
親は子どもの成長を願うが、子どもは親のことに関心は薄い。そう私は思う。