彼は週に1日、家を出て帰るまで、同じコースを散歩している。家々の庭の花を眺め、ツツジからアジサイへと季節が変わっていく景色がいい。イチョウやケヤキの街路樹も新緑が眩しい。全ての生き物が活気づいてきたと話す。
お決まりのコースを歩く中で、欠かせない場所がある。どこにでもよくある古い喫茶店だ。コーヒーが美味いとか、サービスに付く品がいいとか、それが目当てで通う客が多いのに、彼はひたすら、比較的空いた時間帯を狙って店に入る。
座る席も決まっている。ウエイトレスが近づいてきて、コーヒーしか頼んだことが無いのに毎回、「何になさいますか」と聞く。彼はウエイトレスが近づく前から、彼女を見つめている。彼女を見るためにだけ、通っているのだ。
ウエイトレスはやせ型の長身で、色が白い。40代の後半かなと推測しているそうだ。彼女は足がきれいで、コツコツと歩く姿に見惚れている。彼は彼女の足を眺めながら、「コーヒー、ホットで」と答える。彼女との会話はそれしかない。
ところがある日、「今日はサービスに、ソフトクリームかドーナツが付きますが、どちらになさいますか」と聞かれた。「ソフトクリーム」と答えて、しまった、「あなたはどっちが好き?」とか、会話をすればよかったと悔やんだ。
この店の客は年寄りの男が多い。みんな、彼女を目当てに来ているのに、誰も彼女に話しかけない。いつか、機会があったら、「休みはいつ?なにしている?」と話してみたい。あのすべすべとした白い足に触れてみたいが、それは叶わぬ夢だ。
そんな夢物語を、私は笑って聞いた。でも、彼の気持ちはよく分かる。衰えて死ぬしかない高齢の、男性の最後の妄想だ。寂しいが微笑ましくもある。「頑張れ、夢はきっと叶う」などと励ましたが、「諦めた方がいいよ」と言うべきだったか。悔やむ。