友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

雷はまだ続いている

2024年08月15日 17時10分38秒 | Weblog

 今日は終戦記念日。熱闘の続く甲子園球場でも、選手も観客も起立し黙祷していた。戦争で亡くなった人々は犠牲者であるが、何の犠牲になったのか。戦没者追悼式をただの儀式にしていいのだろうか。

 スポーツでは、なぜか地元を応援してしまう。戦争はスポーツとは違う殺し合いなのに、相手国にも人が暮らし、家庭があるのに、なぜか殲滅せよと大合唱してしまう。どこの国も、どの時代でも、それは変わらない。

 今も戦いが続いている国や地域では、やっぱり相手をひとり残らず消してしまうことが目標である。人を殺しても、また復讐する人が生まれる。憎しみがある限り、永遠に終わることは無い。

 日本は、天皇がポツダム宣言を受託し、戦争は終わった。皇居前で腹を切る人がいたようだが、天皇は何もしなかった。天皇は奈良時代からズーと、政府の操り人形でしか無かったが、だからと言って戦争責任は無いとは思えない。

 岸田首相が昨日、総裁選に立候補しないと表明した。自民党の裏金問題は何も解決していないが、「責任を取って引退する」と言う。ああ、これでまた、悪いことはトップが責任を取って引退することで、何も無いことになってしまう。

 私の父は教師だったので、国の指示に従い子どもたちに、「皇国の子」と教えたそうだ。「勝てる訳は無かったのに」と戦後になって、父は私に呟いていた。管理職になっていたが、日教組の「子どもたちを再び戦場に送るな」を支持していた。

 戦前の自分への反省からだろうが、自分の中だけに閉じ籠っていた。社会党に1票を投じていても、何も社会は変わっていかなかった。友だちの父親も教師だったが、私の父とは受け取り方が違っていた。

 歌集に、「天皇の御光うすき現し世は 悪き輩のはびこる時ぞ」「わが魂の叫びはつよし皇国に 天皇のしろしめす国」「群集の中に在はせる天皇の お顔を見つつまなこかすみぬ」とある。メーデーで群衆が、天皇をあざ笑うことに悲しみと怒りを覚えたのだろう。

 何を、どうしていくことが、人の生き方なのだろう。先程、大きな雷音が響き、建物が揺れた。雷はまだ続いている。

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