友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

活力の源であり、喜びの源泉である

2024年08月27日 17時25分30秒 | Weblog

 台風10号が近づいているため、空にたくさんの白い雲が浮かんでいる。23日から次女とその娘、孫娘とふたりの曾孫の合計5人が、そして23日は長女の下の中3の娘も来て泊まっていった。24日は地域の夏祭り、小4の孫娘は浴衣で、曾孫は甚平を着て出かけて行った。

 次女と孫娘たちはおしゃべりが尽きない。それが楽しいから、再会が待ち遠しいのだから当然である。次女の小4の孫娘は、宿題を持って来たが、その宿題が「新聞つくり」と「読書感想文」だったので、私が担当することになった。

 小4の孫娘が、「百人一首、知ってる?」と言い、「いにしえのならのみやこのやえ桜」と暗唱した歌を聞かせてくれた。読書感想文はナイチンゲールの伝記のようで、看護師をしている長女にいろいろと質問していた。明らかに甘えん坊さんから脱皮して、大人になりつつある。

 さらに驚かされたのは、次女が娘に注意していると、「それって、ママがパパに、いつも言われてることじゃん」と言い返したことだ。誰もがこうなって欲しいと相手に求める、それは愛情の裏返しなんだと、孫娘の言葉を聞いてそう思った。

 出来無いことを指摘しているように見えて、実は相手にこうなって欲しいという願望の表れなのだ。幾つになっても、人は相手の愛情を手に入れたい。それは1歳と4歳の曾孫兄弟を見ていても同じだ。

 4歳の兄はひとり遊びも出来るようになった。1歳の弟はよちよち歩きだが、高い所も登れる。弟は兄から羽交い絞めにされても、叩かれても、決して泣かない。遊んでもらっていると思っているのか、笑っている。

 けれど、兄は母親が弟ばかりを抱いていると、母親にしがみついて独占しようとする。それは弟も同じで、母親を兄にとられた時は泣きだす。子は親離れしながらも、親の関心をひとり占めしたいようだ。

 怒涛のような、それでいておしゃべりとトランプに興じた3日間だった。カミさんは大喜びだったけれど、かなり張切った分疲れたのではないだろうか。子どもや孫そして曾孫が来てくれるのは、活力の源であり、喜びの源泉である。

コメント (1)
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