友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

「一緒に行ってもいいわよ」

2025年03月13日 18時07分15秒 | Weblog

 午後から友だちと、手押しポンプの修理に出かけた。依頼者の要望に応えて、ポンプを90度回し、ピストンを新しものに替える。呼び水をして、柄を上下に動かすと、透明でキレイな水が出て来た。ヨシ!これで一件落着だ。

 帰りに喫茶店に寄り、少し話した。私たちが掘った井戸はまだ他にもたくさんある。不具合が生まれた時、どう対処するかと友だちは心配している。井戸掘りのメンバーで残っているのは、今や彼ひとりしかいない。

 出来ることはやってあげればいいが、出来ないことは正直に話す以外に無い。いざと言う時に井戸は貴重なものなのに、井戸を掘る人もいないし、手押しポンプを設置できる人もいない。手押しポンプもそのうち、製造されなくなるだろう。

  家に帰って、本好きの女友だちにメールしようとパソコンに向かうが、出来ない。スマホのメッセージで連絡しようとしたけれど、こちらも上手くいかない。諦めて電話する。どうしていつも、便利な機能が使いこなせないのだろう。

 「感想を聞きたい本があるので、持って行きたいのだけど、いつがいい?」と話すと、「いつでもいいわよ」と答えてくれる。私が話し合ってみたいと思ったのは、ハン・ガンさんの『菜食主義者』である。男友だちから借りて来た本だが、もう少しこのまま借りておこう。

 と言うのも、日頃は小説など読まないカミさんが、どういう訳か夢中になって読んでいる。しかも登場人物について、感想まで話しかけて来る。この本を読んだら、本好きの彼女はどんな感想を語ってくれるのかと楽しみになった。

 私が最初に夢中になって読んだ本は、小学校の図書館で見つけた『アンクルトムの小屋』だった。黒人奴隷のトムが、どんな目にあわされても捨てなかったキリストへの信仰に心惹かれた。ドストエフスキーの『罪と罰』からも、キリスト教の深さを知った。

 『菜食主義者』も金原ひとみさんの『ミーツ・ザ・ワールド』も、全く次元が違う小説で、人間の心の中に潜むものを描いている。もし良ければ明日の午前中に訪ねてみよう。カミさんに話すと、「一緒に行ってもいいわよ」と言う。

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