友々素敵

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教師の暴言

2013年04月27日 18時33分06秒 | Weblog

 フジテレビの朝の番組『特ダネ』で、東京・調布市の小学校での教師による子どもたちへの「イジメ」を取り上げていた。東大卒の50代のこの女性教師は、子どもたちへの暴言が過ぎると度々注意を受けていたようだ。ウワサだけでは動かない校長や教育委員会に、録音テープを持ち込んだというから驚く。教室に録音機を持ち込むことが出来るのは、子どもしかいないから、この子はいくら親の命令とはいえ、かなり緊張したことだろう。

 それにしても、テープを聞くと恐ろしくなる。「動きが遅すぎるんだよ」と叱りつけたり、「おバカたちだね。みんなもそう思うでしょう」と仲間になることを強要したり、「勉強が出来ない人は字を書くことも下手ね」と決め付ける。保護者の中には「いい先生」と言う人もいるそうだから、たまたまなのかも知れないが、どんなにクラスの成績を上げている先生だとしても、この教え方では子どもたちは萎縮してしまうだろう。

 先生の教え方をチックするために、教室にはカメラを設置したらどうかという人もいる。これを受けてではないが、教育委員会の責任が明らかでないこともあって、教育長の権限を強化する教育委員会の「改革」が行なわれようとしている。現場の自主性を制限しようとする、安倍首相や橋下大阪市長が考える「教育改革」につながっていく道筋だ。教育委員会がどういう形になることが良いのか議論する必要はある。教育委員が父母たちも含めた地域の声を反映するものであるなら、昔のような公選制の方が良いだろう。教育長が教育現場の総責任者であるなら、教育委員会はこれをチックする機関でなくてはならない。

 私は、教師一人ひとりの自主性が大事だと思っている。学校全体で教育に当たっているけれど、原点はあくまでも教師と子どもという関係である。だからこそ教師一人ひとりの中身が重要だ。以前、九州・福岡の中学校の教師が生徒を自殺に追い込んでしまった事件があった。教師は生徒を「お前は偽善者にもなれない偽善者だ」と叱った。何が原因で、なぜそうなったのか分からないけれど、自殺した生徒は本当に真面目だったと思う。

 「偽善者になれない偽善者」と、先生は皮肉を言ったつもりなのだろうが、人は多かれ少なかれ偽善者である。完全無垢で真っ正直な人などいない。先生はご自分を完璧な人間だと思っていたのだろうか。自殺した生徒は、「先生もまた偽善者だ」と考えればよかったけれど、自分だけが偽善者と真面目に思ってしまったのだろう。相手の立場に身を置くことの出来ない教師は、教壇から自主的に去って欲しいものだ。教師同士で互いに議論できる場があれば、こうした暴言を吐く教師や体罰を教育と思っている教師も、少しは減るように思うけれど、どうだろうか。

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