居間には長女の娘が、ハイハイしている写真が飾ってある。まだ1歳になる前で、ハイハイが嬉しくて仕方ない様子だったので、思わず撮った私のお気に入りだ。その子も中3になり、今年の正月に来た時は、ボーイフレンドとデートした話をしていた。
私たちが中学生の頃とは、大違いで驚いた。私も好きな子はいたが、ふたりだけで出かけたり、話をする、そんなことに憧れてはいたが、実際にデートすることは無かった。しかし、中学からの友だちのブログを読んでいると、彼は高校生の時に初恋の人と一緒に下校している。
彼のブログには、小・中・高時代に好きになった女の子がよく登場して来る。大学時代も社会人になってからも、リタイヤ生活になった今も、好きになった女性が多く現れ、昔から「恋多き男」だったと痛感する。なのに、肉体関係になった女性はひとりもいないと言うから、どこか煮え切らないところがあるのだろう。
そんな彼が、「私の理性はもうそろそろ卒業だと雄叫びを挙げているのに、若くて素敵な女性と話しをする機会が得られると、わけもなく媚びて、その女性と一緒にいたいと思うし、偶然を装ってでも、ちょっとだけ、体の一部に触ってみたい気になったりする」。
「だが、辛うじて理性がまさって実際の行動には移すことはあり得ない。金も地位もない薄汚いオヤジがたとえ偶然を装ったちょっかいを出したところで、相手にもされないことは百も承知しているからである。不思議なことだが、どんなに理性がそうした煩悩から卒業ですよと雄叫びを挙げていても、まだ諦めきれない自分がいる」と書いている。
マンションの先輩が言うように、「最後の恋」に身を焦がせばいい。ただし、カミさんには決して悟られてはならない。真剣な気持ちが伝われば、相手の女性も真剣になってくれるだろう。いつも一歩手前で引いてしまうから、成就しなかったのだから、茶化さずに臨んだらいい。
どんなに足掻いても、私たちの先は知れている。「煩悩があるのが自然」なのだから、運命を受け入れるしかない。高齢者になるというのは、こんなにも悲しいことなのだ。ところで、小説書いていますか、楽しみにしていますよ。
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