友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

相手を思う気持ちと自分を見つめる目

2017年09月17日 17時34分44秒 | Weblog

  昼食の後、眠くなるのは歳のせいなのか習慣なのか、必ずといっていいほど頭が活動しなくなる。最近は昼食の前でも睡魔に襲われる。夜間、眠れていない訳ではなく、7時間以上は眠っている。夜中にトイレに起きると眠れないと言う友だちもいるが、私はすぐ眠りにつくことができる。こんなに眠ることは健康に良くないという医者もいるが、緊張感がなくなってきたからで、このまま逝けるならありがたいことだ。

 大型台風が来ると言われながら、同じところに留まっているので、九州地方でまたしても被害が発生している。先ほど、わが市でも緊急放送があり、「午後4時、市内のすべての小学校の体育館に避難場所を開設しました。避難される方は、薬、水…」と広報していた。この地域ではまだ大雨が降っているわけではなく、上流域でも大雨の警報はないが、念のためという配慮だろう。ならば、どうして学校の門を開けておかないのだろう。

 中日新聞の14日の朝刊のマンガ『ぴよちゃん』に、こんな話が描かれていた。母親が息子夫婦の家に駆け込んできて、「しばらく泊めてちょうだい」と言う。びっくりしている息子夫婦に母親は「お父さんに長い間、だまされていたの!」と泣き出す。そこへ父親が飛び込んできて、「息子夫婦まで巻き込むな」と怒鳴る。母親は「あなたが悪いんでしょう!」と言い返す。「たまにはこしあんを作ってくれって、いっただけじゃーないか」。「私の作るつぶあんをおいしいって食べてたくせに、こしあん派だったとはね」。

 長いこと夫婦を続けているとよくある話だ。黙って食べ続けていたら「つぶあん派」と勝手に決めつけられる。趣向だけでなく、生活習慣や考えも、こういう人だと判別される。それはお互い様のことが多いのに、なかなか当人たちは気が付かない。昨夜、テレビで福山雅治さんが主演した『そして父になる』を観た。産院で子どもを取り換えられた2組の夫婦の物語だ。福山さんは大企業のエリートで、働くことが生きがいの父親だが、取り違えられた息子によって父親に目覚めていく。

 「母親なら、どうして違うとわからなかったのだ」と妻に不信感を抱いていたこと、取り違えられていたと知り、「やっぱり」と息子に競争心や向上心がないことを納得する、そんな男の身勝手を責められる思いのドラマだった。相手を思う心配りと、自分に引き寄せて考える習慣こそが求められている。


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