友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

「人生は分らないものですよ」

2009年12月03日 19時53分59秒 | Weblog
 今朝、電話があって近くの喫茶店で会った。私よりも8つ年上の人だ。耳が遠いので最近人に会うのが億劫になってしまったと言う。この人が高校を卒業した昭和30年は、今年のような就職難どころではなかったと言う。今は選り好みをしなければ働くところはあるけれど、昭和30年は働く場所がなかった。商業高校へ通っていたけれど、卒業の間際でも就職先が決まっていたのは3割ほどで、もっと悪い2割ちょっとのクラスもあったと話す。

 その先が面白かった。就職できなかった者の中には仕方なく、同系のできたばかりの大学へ進んだ者もいた。一期生である。大学を出て、講師となり、最後にはその大学の教授となった。「人生は分らないものですよ」と笑う。「子どもの頃、元気で多少やんちゃな方が大人になってからは頑張っていますね」と付け加える。私の中学校の同級生を思い出しても、確かにそんなことが言えそうだ。

 昨日、車に乗り合わせた人も私よりも5つ年上で、やはり地元の人だった。60歳で定年を迎え、仲間内で集まってワイワイとやっていた時、「せっかくここまで働いてきたのだから、オレは自分にご褒美をやるつもりだ」と誰かが言った。海外旅行に行くとか、百万円以上するロレックス時計を買うとか、そんなことで盛り上がったそうだ。やはり、地元の人たちだから、土地があり不動産収入があり、その上年金が入ってくる。食べるものも野菜は売るほどある。なるほど、私のようなヨソ者とは格が違う。「それで、何を買ったのですか?」と聞くと、「7百50万円のマジェスタ」といとも簡単に答える。

 物で幸せが計れるわけではないけれど、土地のある人とない人ではその差は大きい。土地のない人はその地代だけでも何千万円と支払っている。ローンで購入しているから、実際に支払った金額はもっと多いだろう。それでも、若い時はそんなことは何も考えず、自分や自分の周りの人々の幸せを目指して働いてきた。いやもっと正直に言えば、幸せなんてものはほとんど考えることもなく働いてきたのではないだろうか。

 「生き様」という言葉は嫌いだと中学・高校からの友だちは言うけれど、「生き様」は「生き方」でもないし「人生」でもない。「死に様」が「死に方」ではなく、「死ぬ時のあるがまま」であるように、「生きているまま」あるいは「生きているありのまま」だと私は思っている。こういう生き方をしようとか、こういう価値観を大事にしようとか、人はいろいろ思うけれど、なかなか思うようには生きられない。他人から見たら不完全でふしだらで情けない私の「ありのまま」を表すにはよい言葉だと思う。

 さて来年はクラス会の開催の年である。人の体重は違っても、人生の重さに違いはない。クラス会に出る度に、凄いなと驚かされる。自分の甘さが恥ずかしくなる。それでも幹事をやらなければならないので実はつらい。しかしまあ、これも人生だと思う。
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