「無党派市民派・自治体議員と市民のネットワーク」の仲間の皆さんが「議員年金の廃止」に取り組んでいる。すでに、私が議員だった頃にもう議員年金は破綻すると見込まれていた。3期12年、議員を務めると支給される制度だけれど、1期や2期で辞めていく人はごく稀だ。だから、該当者は増える一方だから当然にも破綻する。それが平成の大合併で議員数は減り、古参議員が職を離れることになったので、事態はいっそう加速した。
議員らは、「議員報酬から大金が差し引かれている」と言うけれど、年金には税金が注ぎ込まれている。これだけ財政が緊迫あるいは破綻している時に、その責任の一端を負うべき議員が、議員年金への公費負担をさらに増額させると主張するのは恥ずかしいことだ。議員は会社員とは異なり、年金はなじまない。人には自己責任を問いながら自分には甘すぎる。ぜひ全国各地から「議員年金の廃止」運動が展開されるようになって欲しいと思う。
ところが、名古屋市議会は「議員年金の廃止」には反対だという。河村市長の議会改革案は、議員定数や報酬を半分に、党議拘束の撤廃、議員年金の廃止など、議員にとってはいやなことばかりかも知れないが、一般市民から見れば当たり前の改革案に過ぎない。河村市長のやり方は独善的だと言うのであれば、やり方は悪いけれども提案している中身はいいと言うことなのか。そう思ってみたけれど、中身についても反対しているようだ。それならば、堂々と中身で議論してもらいたい。提案されている一つひとつにきちんと応えていくことが議員のあるべき姿だろう。
喫茶店で古い知り合いに捕まってしまった。「来年の市長選挙には出ないのかね」とまた聞かれ、「誠に申し訳ありません」と謝った。その人は合併後のわが市の様子をいろいろと話し、不満やら不平やらを述べ、「また、ぜひ、会いましょう」と言う。雑談はいいけれど選挙の話なら勘弁して欲しい。そう思っているとマスターまでも「残念だなー、もう一度考え直してみたら」と言う。「いや、もう歳ですよ」と言って笑ってごまかした。
今の私には河村市長のようなファイトがない。これから、わが市を変えていくためには、自分のことしか考えられない議員と戦うエネルギーや自己保身ばかりの職員を奮い立たせるエネルギーが必要だが、今の私にはない。自己満足の詩や文章、そして絵などを書きなぐっているのが今の自分には合っている。15年か20年、ちょっと先を生きてきてしまった。
地域のことは地域で決める地域委員会や政治のボランティア化を、私たちが提案していたのはそれくらい前のことだった。今、ようやくそんな時代がやってきたけれど、やり遂げるには私は年寄りすぎている。自分がいなければできないなどとまで思えるほどの自信家でもない。いや、心配しなくても必ず誰かそういう人が出てくるものだ。
議員らは、「議員報酬から大金が差し引かれている」と言うけれど、年金には税金が注ぎ込まれている。これだけ財政が緊迫あるいは破綻している時に、その責任の一端を負うべき議員が、議員年金への公費負担をさらに増額させると主張するのは恥ずかしいことだ。議員は会社員とは異なり、年金はなじまない。人には自己責任を問いながら自分には甘すぎる。ぜひ全国各地から「議員年金の廃止」運動が展開されるようになって欲しいと思う。
ところが、名古屋市議会は「議員年金の廃止」には反対だという。河村市長の議会改革案は、議員定数や報酬を半分に、党議拘束の撤廃、議員年金の廃止など、議員にとってはいやなことばかりかも知れないが、一般市民から見れば当たり前の改革案に過ぎない。河村市長のやり方は独善的だと言うのであれば、やり方は悪いけれども提案している中身はいいと言うことなのか。そう思ってみたけれど、中身についても反対しているようだ。それならば、堂々と中身で議論してもらいたい。提案されている一つひとつにきちんと応えていくことが議員のあるべき姿だろう。
喫茶店で古い知り合いに捕まってしまった。「来年の市長選挙には出ないのかね」とまた聞かれ、「誠に申し訳ありません」と謝った。その人は合併後のわが市の様子をいろいろと話し、不満やら不平やらを述べ、「また、ぜひ、会いましょう」と言う。雑談はいいけれど選挙の話なら勘弁して欲しい。そう思っているとマスターまでも「残念だなー、もう一度考え直してみたら」と言う。「いや、もう歳ですよ」と言って笑ってごまかした。
今の私には河村市長のようなファイトがない。これから、わが市を変えていくためには、自分のことしか考えられない議員と戦うエネルギーや自己保身ばかりの職員を奮い立たせるエネルギーが必要だが、今の私にはない。自己満足の詩や文章、そして絵などを書きなぐっているのが今の自分には合っている。15年か20年、ちょっと先を生きてきてしまった。
地域のことは地域で決める地域委員会や政治のボランティア化を、私たちが提案していたのはそれくらい前のことだった。今、ようやくそんな時代がやってきたけれど、やり遂げるには私は年寄りすぎている。自分がいなければできないなどとまで思えるほどの自信家でもない。いや、心配しなくても必ず誰かそういう人が出てくるものだ。
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