今年は早くから寒くなったように思っていたけれど、今日も暖かかった。私が住むマンションの桜の葉もいつもならもうすっかり赤くなっているはずなのに、なかなか鮮やかな紅葉が見られないなと思っていた。ところがやはり、季節は確実に変わっていく。今朝は桜の並木の下は赤い絨毯になっていた。そんな落ち葉の中で顔のように見える1枚を見つけた。
何百枚なのか何千枚なのか、数えることもできない無数の落ち葉だけれど、どれひとつとして同じものがない。見上げるとまだたくさんの葉が枝にある。『葉っぱのフレディ』に書いてある通りだ。それぞれがそれぞれの道を歩んでいる。代わることなどできないのだ。それぞれが抱く夢も違うし、価値観も喜びも悲しみも違う。一緒にする必要はないし、同じようにしなければならないこともない。
どんなに努力しても、どんなに愛していても、一緒になれないことはあるし、また分かれなくてはならないこともある。努力することに価値があるのか、合わせることに意義があるのか、それでも結局いつかは分かれたり死んでいったりするのだから、何が良くて何が悪いなどと軽々しくは言えない。そうなれば、孤独であっても自分が大事と思うことをやっていくしかないだろう。
先月、何とか水が出た井戸掘りだったが、あの水量ではどうしても納得できず、今日、もう一度挑戦した。4回目の挑戦である。深さも6.5メートルからさらに掘り進めて7メートルを超えた。けれども水脈らしき層に当たらない。初めの目論見では、午前中に先回掘ったところから何とか50センチか、できれば1メートル掘り下げる。そうすれば、どこかで水脈に当たるだろう。午後は水を汲み上げる管を降ろし、それで4日間の苦労が実を結ぶなどと思い巡らしていた。
しかし、ダメだった。どんなに努力しても成功しないことはある。誠意を持って挑めばそんなことは超えられるなどと現実は甘くはない。合性がいいとか悪いとか言うけれど、やっぱりそういうことってあると思った。一生懸命にやることが大切なのか、見極める力を持つことが大切なのか。いずれにしても、結果についてはクヨクヨするのはやめよう。努力することが大事だと思えばそうするだろうし、見極めることが大事だと思えばそのために力を尽くすだろう。
中学3年の孫娘のお腹痛いも治ったようである。もうすぐ5ヶ月になるその下の孫もますます目鼻がハッキリし、表情も豊かになってきた。「年金暮らしはでしゃばっちゃーいかん。若い人たちに任せておけばいい」と口癖のように言う人がいる。するとつかさず、「だから黙って井戸掘りするのがいい」とか、「休耕田でドジョウなんぞを養殖するのはどうね」とか、「年取って耕作できない農地がふえているから、これからは農業がいい」とか、どうでもいいことを言い合いながら老人たちの夢が膨らんでいく。
努力が報われないために、落ち込んでしまわないように、こんな馬鹿話が続いていくのだ。
何百枚なのか何千枚なのか、数えることもできない無数の落ち葉だけれど、どれひとつとして同じものがない。見上げるとまだたくさんの葉が枝にある。『葉っぱのフレディ』に書いてある通りだ。それぞれがそれぞれの道を歩んでいる。代わることなどできないのだ。それぞれが抱く夢も違うし、価値観も喜びも悲しみも違う。一緒にする必要はないし、同じようにしなければならないこともない。
どんなに努力しても、どんなに愛していても、一緒になれないことはあるし、また分かれなくてはならないこともある。努力することに価値があるのか、合わせることに意義があるのか、それでも結局いつかは分かれたり死んでいったりするのだから、何が良くて何が悪いなどと軽々しくは言えない。そうなれば、孤独であっても自分が大事と思うことをやっていくしかないだろう。
先月、何とか水が出た井戸掘りだったが、あの水量ではどうしても納得できず、今日、もう一度挑戦した。4回目の挑戦である。深さも6.5メートルからさらに掘り進めて7メートルを超えた。けれども水脈らしき層に当たらない。初めの目論見では、午前中に先回掘ったところから何とか50センチか、できれば1メートル掘り下げる。そうすれば、どこかで水脈に当たるだろう。午後は水を汲み上げる管を降ろし、それで4日間の苦労が実を結ぶなどと思い巡らしていた。
しかし、ダメだった。どんなに努力しても成功しないことはある。誠意を持って挑めばそんなことは超えられるなどと現実は甘くはない。合性がいいとか悪いとか言うけれど、やっぱりそういうことってあると思った。一生懸命にやることが大切なのか、見極める力を持つことが大切なのか。いずれにしても、結果についてはクヨクヨするのはやめよう。努力することが大事だと思えばそうするだろうし、見極めることが大事だと思えばそのために力を尽くすだろう。
中学3年の孫娘のお腹痛いも治ったようである。もうすぐ5ヶ月になるその下の孫もますます目鼻がハッキリし、表情も豊かになってきた。「年金暮らしはでしゃばっちゃーいかん。若い人たちに任せておけばいい」と口癖のように言う人がいる。するとつかさず、「だから黙って井戸掘りするのがいい」とか、「休耕田でドジョウなんぞを養殖するのはどうね」とか、「年取って耕作できない農地がふえているから、これからは農業がいい」とか、どうでもいいことを言い合いながら老人たちの夢が膨らんでいく。
努力が報われないために、落ち込んでしまわないように、こんな馬鹿話が続いていくのだ。
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