白石一文さんの小説『ほかならぬ人へ』と『かけがえのない人へ』は、奇妙な男と女の物語だ。「ほかならない」は、それ以外のものでは決してないとか、まさしくそのとおりであるという意味。「かけがえのない」は、いざという時に代わりとなるものがないということから、この上なく大切なという意味である。2つの言葉は似ているようだけれど異なっている。それを白石一文さんは上手に書き分けていると思う。
『ほかならぬ人へ』は男性が主人公で、一目で好きになった女性と結婚するが、その女性は他に好きな人がいて結局は出て行ってしまう。男性は名家の生まれでサラリーマンとしては頑張っている方だから、生活の安定だけを考えればこの上なく条件はよいはずだ。それに男性は、しばらく時間を置けばきっと帰って来ると思っている。女性は慕っていた男が離婚したことを知り、その男のことが忘れられなくて家を出た。しかも男の離婚した前妻に刺されて病院に運び込まれてもいる。
女性が好きな男は見た目がいいかも知れないが、生活力に富んでいるとも思えないし、子どもを抱えているから一緒になっても苦労は目に見えている。それでも男と女が好きになるのは理屈ではないという訳だ。『かけがえのない人へ』の方は女性が主人公で、エリートサラリーマンとの結婚が決まっているが、野獣のような男とのセックスが長く続いている。いよいよ明日は結婚式という夜、女性は家を抜け出して男に会いに行くが、既に男は引っ越してしまっていた。
女性は「結婚はキャリア」と言い切る。だからと言って誰でも言い訳ではなく、一定の条件を満たせばそれでいいと考えてきたのに、結婚式の前の夜に男のところへ出かけていったのは、男が「かけがえのない」人だったのだろうか。小説はそこで終っているけれど、女性は結婚し平々凡々と暮らしていくのだろうと予想できる。
こういうことを言う女性もいる。「夫は大切な人、子どもは命」。専業主婦で子どもはひとりだから彼女の気持ちも分かる。夫は生活費を稼いでくる大切な人だけれど、子どもはふたりの愛の結晶である。夫も子どももかけがえのない人なのだ。けれども子どもはいつしか巣立っていくものにほかならない。「夫はこの上なく大切な人で、私の命なの」と彼女はきっと言うだろう。
明日から仙台の次女のところへ出かける。7ヶ月の赤ん坊に会うためだ。そのため、明日から9日までブログを休みます。
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