先輩と話していて、みんなそれぞれに苦労していることを知った。結婚して50年も60年も経つと、恋愛結婚でも見合い結婚でも、置かれている状況は変わらないようだ。子どもが家にいた頃は、それでも子どものことで会話があったのに、巣立ってしまうと次第に、「会話が成り立たなくなった」と言う。
互いが関心のあるものも大きく違っていて、会話がかみ合わないばかりか、時には意見の相違が顕著で、これはマズイと打ち切って事を荒立てないように努めている。今更離婚など出来ないし、離婚すれば互いに生活に困ることは必至である。「これまで通り、空気のような存在であり続ける」と言う。
先輩は毎朝30分、犬とカミさんと一緒に散歩している。「アッ、花が咲いている」とか、「今日の空はキレイだね」とか、何でも無いことばかりの会話をしている。ところが家に帰ると、カミさんは家事で忙しいのに、先輩はエアコンの効いた部屋で読書。時々カミさんから「あなたはいいわね、三食昼寝付きで」と嫌味を言われるそうだ。
「庭の草取りとか、花の手入れを一緒にされたらいいんじゃーないですか」とアドバイスすると、「ゴミ出しや、新聞を取って来てるけど」と言うので、「それじゃー、何もやっていないのと一緒ですよ」と話す。「ウチのヤツが何を考えているのか、分からん」と言うが、会話が無ければ益々そうなってしまうだろう。
私の中学からの友だちは先日、ブログに「夫婦とはどんな状況になっても、相手を見放さないで、いつも断然な唯一の味方だと思うようになった」と書いていた。そんな自分にばかり都合の良い、「唯一の味方」は彼の願望でしかない気がする。「君はカミさんの唯一の味方を努めているか」と言いたくなるが、それはまた、私自身への問いでもある。
今日はデートの日だが、長野県立美術館は定休日だったので、明日、JRで行くことにする。どんな旅になるのか、ちょっと心配だが、カミさんは盛んにスマホで行き方を調べている。明日のブログは休みます。
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