友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

そろそろチューリップが咲きます

2007年04月10日 23時26分12秒 | Weblog
 チューリップがまもなく咲きそろいそうだ。
 今年はずいぶん早くから芽が出たのに、それからなかなか大きくなってくれなかった。結局例年どおりか、やや遅めになってしまった。今度の土曜日・日曜日辺りが我が家のチューリップも満開を迎えることになりそうだ。

 私がチューリップに魅せられたのは、地域新聞を作っていた時だ。一緒に働いてくれていた女性が「チューリップが満開になったから見に来ませんか」と誘われ、みんなで出かけていった。畑一面にチューリップが咲きそろいそれは見事だった。我が家のルーフガーデンでもやってみようと思い立ち、鉢を一つずつ買い足していくうちに写真のようになった。

 秋に土を入れ替え、球根を植えつける。この作業が大変で、2週間くらいかかってしまう。鉢はおおよそ50個はある。カミさんにぶつぶつ文句を言われながら、知らぬ間に今日は1個、今日は2個と増やしていった。土の入れ替えは、腐葉土・バーク堆肥・牛糞や鶏糞・赤玉土が4袋で1千円という安売りを狙って買うので、知らぬ間にとはいかない。車で買い求めたものを台車で部屋まで運び込むので「また!」という顔をされてしまう。

 それでも最近はカミさんも作業を手伝ってくれる。私が土の入れ替えをして、球根を植え込む作業を終わると彼女の出番である。1鉢に10球が私の希望だが、カミさんは「9球でたくさんよ」と言うことを聞いてくれない。球根はガーデン全体なら600球は植え込む。今年は咲く時期が不揃いのような気がするが、お暇があればぜひ見に来ていただきたい。花作りは誰かが見に来てくださると思うからやる気がでる。見てもらいたいのである。

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選挙の結果は

2007年04月09日 19時41分25秒 | Weblog
 選挙の結果はよくなかった。
 東京都知事選挙では開票前から、石原氏が当選と出た。ビックリである。今朝の新聞を見れば浅野氏に110万票の大差をつけている。石原氏のような怪物と戦うためには、それらしい人の方が適している。民主党が初めから菅氏を前面に押し出していたなら、ひょっとしたらもっと票はあったかもしれない。あるいは党外からなら、筑紫氏ではなくてフジテレビ「とくダネ」の小倉氏を担ぎ出していれば、民主党が勝てたかもしれない。

 浅野氏の敗因は前にも書いたが、彼が選挙を知っている官僚だったことだ。民主党から要請された時は考え込むポーズで世間を引きつけようとし、何かと小手先の策が多すぎた。極めつけはオリンピック誘致問題で、自分の態度を示さなかった。それがいつの間にかオリンピック反対になっていた。要するに世間が期待する人物像ではなかった。

 政令指定都市での市議選挙や県議選挙で、民主党は大いに面目を保ったのかもしれない。私の知る人たちも何人かは当選した。しかし、無党派で戦った人たちは当選できなかった。世間は、政治の腐敗や不信に憤りや腹立ちを感じているが、だからといってその怒りを受け止めてくれるものが見えてこないのだと思う。私自身は無党派・市民派こそがその役割を担うと考えているが、そういう存在感を示し得ていない。民主党はますます自民党寄りの政党となっていくだろうから、その時もう一度政界の再編が来るだろう。

 政党が政策集団であるなら、それぞれが党のスタンスをはっきり見せるべきだ。まず、世界平和の実現に向けてどのように取り組むのか、そこに至る過程の国家としての国の在り方を語るべきだ。その点で一致した人たちで政党を創るべきで、既成の政党によりすがっているうちは今と少しも変らないだろう。若い人たちが私たち年寄りよりも保守的という皮肉な現実だが、これもまた私たちの世代が生み出したものだ。子は必ず親よりも新しい時代を生きているのだから、彼らの保守性こそが新しい時代の鍵なのかもしれない。私はちょっと耐えられないが。
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普通高校は大学予備校なの

2007年04月08日 19時04分29秒 | Weblog
 昼間は晴れていて暖かかった。
 午前9時半に家を出て投票を済ませ、かつての同僚が入所している介護施設へ見舞いに行ってきた。同僚といっても同じ学校に勤めたことがあるというだけで、私が親しくお付き合いをしていたわけではない。むしろ同じ教科だった私の友人が見舞うのに同伴したというほうが良いのかもしれない。私と友人は大学を出たばかりの同期の新人だったが、その入所している先生はおそらく当時は40代で、ベテランの女性教師だった。

 私の同期は7人だったので、私たちは自分たちを7人の侍と自負していた。実際に勤め始めて何年かすると、決して7人が同じ方向を向いていないことがわかったが、それでも仲良しであることには変わりなかった。あの頃は労働組合が強い頃だったから、教員になるということはそのまま日教組の組合員になることで、何の躊躇もなかった。しかし、しばらくして、組合に入れない若い助手の人たちとの交流を図ろうと、組合の青年部とは異なる遊ぶことだけを目的とした青年会を立ち上げ、ハイキングなどにも出かけた。

 職員会議では、新人は沈黙を守るのが普通のようだったけれど、何しろ7人もいることをいいことにして、生活指導部の指導に反対したり、教頭の学校運営に異議を唱えたりした。職員が全員参加する親睦会の席で、生活指導部長が私の席に来て、年下の若造のところへ酒を注ぎに来たのは初めてだと言いながら、自説の教育論を話してきた。話すというよりはまあ脅しであった。それでも学校全体は古きよき伝統が色濃く残っていたので、おおらかで自由な雰囲気が漂っていた。卒業式に私たち新人の7人が舞台に立って歌ったこともあったし、そんなことが許されてもいた。

 しかし、次第に学校は窮屈になっていった。私は途中で退職してしまったので、その後の学校の事情は知らないが、今も教壇に立っている彼の話には驚嘆するばかりだ。私が高校生となって疑問に思ったのは、普通高校は大学の予備校なのかということだった。本校から東大に何名入ったとか、この問題はどこの大学で出たとか、ここが入試のポイントだとか、そんなことを学ぶための学校なのかと思うといやになった。新聞部で「普通高校は予備校か」をテーマにして議論を巻き起こしたかったが、2度目かの論説が校長の逆鱗に触れ、他校との交流が禁止された。また、校長室に呼び出され厳重注意を言い渡された。そこで学友からカンパを集め、自分たちの新聞を発行したこともあった。

 あれから半世紀近く経たが、むしろ普通高校は完全に大学の予備校と化している。先生たちはテストを統一して行っているので、同じところを同じように教えている。各先生の個性などはないし、学校も生徒も保護者もそれを必要としていないのだ。先生は大学入試に向けたティーチングマシーンだ。人生がどうの、愛することは何か、社会はどうあるべきか、そんなことは話す必要がないばかりか、自分を語る教師は異端者扱いだそうだ。よくそんな学校で勤めていられるものだ。私はやはり落伍者だなと思った。
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無党派市民派の首長・議員を

2007年04月07日 21時04分48秒 | Weblog
 いよいよ明日は県議会議員選挙の投票日である。
 私は1995年(平成7年)に首長選挙に立候補して以来4回の選挙を戦ってきたが、ずっと無党派・市民派として政党とは線を引いてきた。それは今日の事務所経費の問題一つを見てもわかるように、既成政党の腐敗と堕落は極めていると思うからだ。

 この地区でも今回、無党派で県議選挙に立候補している人がいる。私としてはぜひ、この人に当選していただき、政治のあり方を地方から変えていってもらいたいと思う。彼とはこれまでもいろいろ議論したことがあるが、政治のスタンスは全く違い、一致する部分は少なかった。たとえば彼は自治体は20万人くらいがベストだと言い、私はもっと小さい方がいいと言う。いろんな分野で話し合えばさらに意見の違いが出てくると思う。それでも応援しようと思ったのは、真面目に議論できる人だからである。

 議員になると、国会議員を初め各地方議員まで、議員の仕事は行政への口利きだと思ってしまう。実際、いろんな人がいろんなことを頼みに来る。国会議員の秘書をしていた時もそれは仕事だと割り切ってやっていたが、片隅で疑問が残った。役所も議員が圧力をかけてくるのは当然と思っている。どこで譲歩し、どこで借りまたは貸しをつくるかである。特定の地域や特定の団体や挙句には特定の業者の利益を代弁し、行政へ働きかけることが「できる議員」だと思い込んでいる。こういう議員が何期も続けていくと、政治を食い物にする利権屋となる。

 市民は自分たちのために税金は使われると信じているから、税金を納める。ところが利権政治が暗躍するところでは、特定の業者や地域や政治家のために、正当な理由をつけて税金が使われる。高い金額の設定や使途のわからない補助金や業者からのリベートとなって税金は霧散していく。こんな政治は政治ではない。こんな政治を食い物にする連中は政治の舞台から追放しなくてはならない。

 「愛知は豊かで安定している。それなのになぜ変えようとするのか」と主張する候補者たちがいる。政治は何のためなのか、社会から落ちそうな人がいるのに切り捨ててよいのか、どういう社会、どのような地域づくりを進めるのか、豊かな社会ならばその豊かさが公平に分配されなくてはならないし、安定だけを求めたなら下積みの人に日は当たらない。分かち合える社会にするためには絶えず検証する必要がある。

 明日の投票で、東京都知事をはじめとする政治の流れが決まる。どうなるのか楽しみであるが、また絶望的な事態にならないかと心配でもある。
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人生を決めるのは時間

2007年04月06日 23時57分24秒 | Weblog
 時間が人生を決めると以前書いた。
 勉強でよい成績を上げようと思うなら、人よりも多く勉強すればよい。多く勉強するというのは簡単なことで、人が2時間勉強するところを3時間勉強するということである。そんなことで成績が上がるのかと信じられない人がいるだろうが、本当である。人より1時間多く勉強すると、1年で365時間も多く勉強することになる。これは普通に勉強する人では追いつけない時間である。1日24時間ぶっ通しで勉強しても15日間もかかるわけだから、つまりそんなことは絶対にできないというわけだ。毎日コツコツ勉強する人に、一夜漬け人間は勝てないことの証明である。

 考えてみれば、良い成績を上げた人、素晴らしい演奏のできる人、とにかく名を上げた人は人よりも2倍も3倍も努力している。勉強でいうなら時間を費やしているのだ。いや何もしていませんよ、などと謙虚なことを言う人がいるが、実は本人は何もしていないつもりでも他から見れば、人の2倍3倍の努力を払っている。ところが本人は楽しんでやっているので、「何もしていない」という言葉となるのだろう。

 それでも、同じ時間を注ぎ込んでいるのに差が生まれるではないか、と反論される人もいるだろう。確かに人よりも多くの時間を同じように、厳密に言うなら同じように2時間なり3時間多く注ぎ込んでいるのに、この人の間に差が生まれてくる。この差が生まれるのは勉強の方法、練習の方法によるようだ。勉強でも練習でも、その方法がその人に合っていれば必ずその人は他の人よりも秀でることができる。

 勉強にしろ芸能にしろ、人よりも秀でる人は必ずより多くの時間を費やしている。つまりは努力しているのだ。天才は努力が99%というわけである。天才がいかにも天分と見られるのは、天才は努力を努力と自ら思わないし、人もそのように見ないからだ。何も努力しないで人は決して天才にはなれない。

 ところが、人には素質というものがある。私は勉強で成績を上げたければ人より多くの時間を注ぎ込めば必ず上げるとわかったができなかった。時間を注げば上げるとわかっているのにできなかった。人には努力できることとできないこと、夢中になれることとなれないことがあるようだ。つまり、素質というか能力というものが人にはあるのだ。秀でた人というのは、時間を費やせば成績が上がるとわかるだけでなく、実際に時間を費やす能力のある人なのだ。私は理屈はわかったが、いざとなると努力を払う能力というか素質がなかった。還暦を過ぎてそのことがよくわかった。孔子流に言うなら、還暦を過ぎて知るというわけである。
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桜、さくら

2007年04月05日 22時59分43秒 | Weblog
 桜が満開である。
 満開なのにかなり寒いから、花はもう少し長持ちするかも知れない。日本人は桜が好きだ。桜が人々に愛されるようになったのは江戸時代からのようだ。平安貴族は梅を愛でた。確かに梅には香りがあり、花も小さくて可愛らしい。華美でも豪華でもない清楚なたたずまいが貴族たちに受けたようだ。桜はその反対で、樹も大きくたくさんの花を咲かせ、なお風に舞い散る姿は華やかな死に際ともいえるので、武士たちに受けたといわれている。

 桜前線とともに東北を北へと旅したことがある。東京から大阪までの太平洋側では、桜といえば宴会で、どうしてこんなに人は集まって酒を飲むのかと思うほど、ここかしこの桜の下で酒盛りをしている。確か、秀吉が桜の下で宴会を開いている絵があったように思うから、かなり昔から桜の下は宴会向きだったのかも知れない。しかし、東北では人出が少ないせいか静かだった。江戸時代には町民がこぞって桜見物に出かけ、宴会を開くようになったようだ。貧乏長屋の連中が、酒の代わりにお茶を、卵巻きの代わりにたくあんを持って桜の下で宴会をする落語もある。

 私の生まれた町は城下町で、お城の跡は公園になっていて、たくさんの桜があった。毎年春には桜祭りが催され、写生大会が行われた。小学校に入学したばかりの写生大会で描いた私の絵が気に入った担任は、「この子に本格的に絵を習わせたら」と母親に話した。母は私が天才なのだと勘違いしてしまい、後に大学の教授となる町で評判の先生のところへ連れて行った。先生の家は城跡公園のすぐそばにあり、私の家は公園の北側にあったので小学校1年生でも通うに苦ではなかった。しかし、小学校2年の時に転校し、遠くなったがそれでもしばらくは通った。この先生も奥さんも、当時では見たことのない生活ぶりで、いかにも「芸術家」らしかった。先生からも奥さんからもとても可愛がっていただいたのに、4年生か5年生になって、子供会の行事が入るようになっていつの間にか止めてしまった。

 今日は孫娘の中学校の入学式だった。カミさんが孫娘に「今晩はカラオケに行こう」と約束していたので、みんなで出かけた。最後に孫娘が、小6の担任が卒業式の後、教室で子どもたちにギターの弾き語りで歌を歌ってくれたという「さくら」を歌った。私は初めて聴く歌だったけれど、担任がどうしてこの歌を歌ったのか歌詞を見てよくわかった。「世界に一つだけの花」と同じように、いろいろな花があるけれど、その一つひとつが素晴らしいように、咲く花もあれば咲かないうちに散ってしまう花もあるが、それはそれでよいのだよと言っているようだった。なかなかいい先生じゃーないかとつくづく思った。
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言葉の

2007年04月04日 22時44分00秒 | Weblog
 昨日のことだった。
 孫娘の様態もよくなりつつあるようで、彼女は「今日から塾とプールに行く」と言う。それでもジジババとしては心配だから、体温を測らせたところ、37.1度ある。「止めておきなさい」と言うが、「これ以上休んだら置いていかれてしまう」とムキになって言う。「じゃー塾だけにしておきなさい」と言い、塾へは車で連れて行く。

 夕方、孫娘の母親である長女から「プールに行っている?」という電話がある。「熱があったからプールへは行っていない。それでも塾へは行きたいと言うから連れて行った」と答える。「何度だったの?」とちょっと怪訝そうな雰囲気。「37.1度あったけど」と言うと「そんなの平熱!ちょっと代わって」と孫娘を呼び出す。

 長女の言い方には時々トゲがある。孫娘は私たちジジババが預かっているのだから、私たちとしてはどうしても安全策となってしまう。それが長女は不満かも知れないが、ジジババにとっては当然のことだ。孫娘のことを考えれば、無理をして様態を悪くしない方が良いのだから、「ゴメンナサイ。迷惑かけるわね。でもちょっと、甘すぎるかもしれないわね」とでも軽く言ってくれれば、私たちとしても甘かったことを素直に認められる。

 人は事態が、自分が思い描いたものと違ってしまうと、咄嗟にはなかなか受け入れられないものだ。相手がどういう思いでそれをしたのかを考え、それから自分が何を言えばよいか、この順序が欠落してしまうのだ。長女の場合はこれが顕著に現れる。自分の思いが強ければ強いほど、そうではない事態になると激しい怒りが顔に出てくる。言葉に表れる。

 孫娘が手を洗って拭くタオルをババは気にして、「自分のタオルを使いなさいね」と言ったようだ。その言い方がくどかったのか、孫娘は「わかっとるわ」とか、言ったようだ。それでババは逆上して「そんな言い方はないでしょう」と注意をしたという。孫娘は「そんなことは言っていない」と言うが、まあ似たような言い方であったであろう。そこで長女は娘に向かって、「いい、ママチャンやパパチャンから叱られるようなことがあるというのは、たとえ100分の1であっても、あったことには違いはないのだから、あんたはお世話になっているママチャンやパパチャンの言うことをチャンと聞かなくてはいけないの。わかったね」と注意をしている。

 孫娘はまだ子どもだから、いずれは自分の言葉に気をつけるようになるだろう。問題は長女自身が自分の言葉遣いや態度に反省が見られないということだ。長女に言わせれば、「自分は職場ではとても気を遣って話をしているし、少なくとも上司の皆さんはそのように私を評価してくれている」そうだ。多分それは間違いではないと思う。けれでも、同僚や年下の人たちに対して、つい羽目をはずした言い方をしていないだろうかと心配する。

 実は私自身が場を盛り上げようと思って言った言葉なのに、「時々きついイヤミを言うわね」と言われた経験があるからだ。長女と私はよく似たところがあって、お互いに相容れないが、人のことをとても大切に思い、とても気にしているのに、時々ズバッとイヤな気分にさせてしまうようなことを言ってしまう。最近では言葉が怖くなって、いつも言葉には気をつけ、言葉を選んで話すように心がけている。
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愛は強制できない

2007年04月03日 18時08分31秒 | Weblog
 県議会選挙が折り返し点を迎えました。
 私は国と地方との中間にある「県」は、調整機能を果たす機関でよいと思っています。「県」が持つ権限を縮小し、議会は20人くらいの議員にすれば、地域エゴや口利き議員がなくなるのではとも思っています。要するに地方自治体の市町村こそが自治の役割を果たすように、仕組みを変えてみたらと思っているのです。しかし、それは私の個人的な考えであり、今のところそんなことをいう人はいません。議員とは口利きをする人と皆さんが考えている限り、利権の甘い蜜に群がる議員を根絶することはできないでしょう。

 そんなことを話していたらどんどん広がって、安倍内閣の低落振りが話題となりました。小泉さんが人気だったのは「自民党をぶっ壊す」と言ったからです。自民党政権の中で生まれた政治家の腐敗、官僚の汚職、企業家の無軌道など、うんざりしていたから多くの国民が拍手を送りました。小泉さんはただ自民党政権を延命させるだけのパフォーマンス総理に過ぎなかったのに、反自民の人たちまでもが浮かれてしまったのです。しかし、終わってみれば何も変らないばかりか、小泉さんの「改革」の仮面の下にあった新国家主義の塊のような安部総理の誕生でした。

 新国家主義的な言論の急先鋒となっているジャーナリストの桜井よし子さんは、慰安婦問題や沖縄の集団自決について「戦争の負の部分を強調すべきではない」といった発言をしています。戦争に正と負があるという彼女の考えが私には理解できません。いかなる戦争も人殺しであって、正当な戦争など存在しないからです。4月1日の中日新聞の7頁は面白いと思いました。ここは読者からの投書と社説の頁で、投書欄に慰安婦問題で「他国の機嫌を取るために、わが国の名誉を損なってはいけません」と29歳の男性の意見がありました。この青年も桜井さんも、二度と戦争をしない世界をどのように作り上げていくかの視点を持っていないばかりか、先の戦争への反省も欠落してしまっています。

 投書の隣は社説で「“愛”は強制できるか」と題した論文が記載されていました。「所属する地域、国家に誇りや愛着を感じるのは自然の感情です。他人がそれをとやかく言うべきではありません。逆に『誇りを持て』『愛せよ』と強いるべきものでもありません」「内心の問題は多数決になじまず、民主的手続きを経ても強制できません。誰もがお互いの思想、信仰などに寛容でなければならないのです」と述べています。愛する気持ちは心の中に湧き上がってくるもので、愛しなさいと強制してはいけないのです。人の心を公権力が強制する時はいつも危険な時代です。
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今が最高、明日はもっと最高

2007年04月02日 18時24分35秒 | Weblog
 今日は朝から曇り空です。
 雨雲がかかっているのではなく、中国大陸から飛んできている黄砂が空を覆っているのです。写真も撮ってみましたがわかりますか?

 孫娘が2度目のインフルエンザに罹り、私は一日中彼女とお付き合いです。水泳の大好きな彼女は、春休みに入って毎朝6時30分に早朝練習に出かけ、夕方5時にも練習に出かけていました。金曜日の夜、プールのコーチから電話がかかり、38.5度の熱があると言うのです。翌日病院へ連れて行くと、インフルエンザA型ということでした。前回はタミフルで熱は急降下したのですが、今回はタミフルが使用できないということで、完治するまで時間がかかりそうです。

 運の悪いことに、日曜日は彼女が通っているピアノ教室の発表会でした。演奏する時間の少し前に会場に到着し、弾き終わったら帰っていきました。ピアノ演奏は熱のためか、変に力が入らず、まずまずだったと思います。ジジババ馬鹿な私たちは、ステーキとケーキを買って、ステーキは私が料理し「ご苦労様でした」とねぎらいました。孫娘は「おいしい!」と全部たいらげてくれました。私たちはステーキにはワインが一番と、結局また酒盛りをしてしまいました。

 そういえば、小学校の音楽集会で合唱のピアノ伴奏者を決めるオーディションの時も熱が出たことがあります。「運が悪い子」とカミさんは嘆きますが、この時、自分から先生に「もう一度チャンスをください」と申し出たそうです。不運が人を鍛えてくれると思えば、こんなにありがたい授業が受けられたのですから、嘆くよりも感謝すべきだと思います。

 彼女と一日中過ごし、選抜高校野球の準決勝の2試合を見ることができました。「野球は筋書きのないドラマ」と格好いいことを言ったのは長嶋茂雄さんですが、プロ野球を見るかぎりではそんな感動的な試合にはなかなか出会いません。しかし、高校野球は1試合1試合が真剣勝負のせいか、正しくドラマを見るようです。1球の配球、1つの動作が勝敗を決める時があります。投手の気力、打者の気力、捕球する選手の気力、この差が勝敗を決めているように思います。

 ここ一番という時、人はどれほど力を発揮できるか、それが人生の決め手かもしれません。それでも、ここ一番などと覚えのないままに淡々と生きている人もいますし、ここ一番ばかりの連続の人もいます。不運と思うことがあれば、それは幸運な授業と受け止め、まだまだこれから先に素敵なことが待っていると考えようと思います。今は最高、明日はもっと最高!
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夜桜の宴は盛会でした

2007年04月01日 12時40分40秒 | Weblog
 4月1日はエープリルフールである。
 そのためというわけではないが、今朝、パソコンを開いて「アレ、やっぱり昨夜はできなかったか」と思った。昨日は友人たちと毎年行っている「夜桜の宴」で、家に戻ってパソコンの前に座ったのは11時30分くらいだったか?
 「夜桜の宴」はいつもなら午後5時から初めて9時半くらい終わるのだが、昨日は天候が心配だったので、1時間繰り上げた。この決定は正解で、8時半にお開きにして家路につく頃からパラパラと降ってきた。帰宅してまた、ご苦労さん会をというので二次会となった。やはり酔っ払っていたので、結局打ち込めたのか覚えがなかった。
 宴に出かける前、下記のような文章を打ち込んでおいたので、ほんの少し付け加えればいいと思っていた。ところが、相変わらず写真の取り込みがうまくできないうちに12時が過ぎてしまい、結局あきらめて眠ってしまったようだ。そんなわけで、昨日の文章を掲載することにした。

今晩は夜桜の宴です。
ところがどうも天候は思わしくありません。午後5時開始を30分早めることにしました。今朝6時に家を出て、現地に行って場所取りをしてきましたが、いつもなら大勢の人がいるのに今日は他には誰もいませんでした。桜もわずかに咲き始めた程度です。
「なあーに、昼間の温度が上がればかなり咲きますよ」と何事も良い方に考える友人が元気付けてくれますが、太陽は未だに顔を出しません。それは仕方ないとして、どうぞ最後まで、雨だけは降らせないでくださいと祈りました。3時には買い物部隊が戻ってくるはずです。私は今朝に採取したブロッコリーを塩茹でし、バーベキュー用に長ネギを掃除して切り揃えておきました。

 「夜桜の宴」そのものは、いつものように楽しいものだった。参加者の中に今年が喜寿でしかも金婚式を迎える方があり、秋には一泊で温泉に行きお祝いしようなど、何かにつけて杯を上げたがる私たちのクセが出て、どんどんと楽しい構想は膨らんでいった。焼肉も長ネギも豚汁も焼きそばも、おいしかった。私もホルモン焼きを手伝って思ったが、こんな時、ずっと火のそばでひたすら料理をしてくださる人には本当に感謝したい。飲む人、食べる人、話す人、作る人、片付ける人、いろんな人がいて楽しい。
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