友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

シュールリアリスム展

2007年04月24日 22時04分39秒 | Weblog
 岡崎市美術博物館の『シュールリアリスム展』を観て来た。
 友人がブログで、岡崎市美術博物館で開催中の『シュールリアリスム展』を見て、素晴らしい企画だと書いていた。私は卒論でシュールリアリスムについて書いている。これは絶対に見逃せないと思い、出かけた。岡崎市美術博物館は東名高速・岡崎インターの北にある丘陵地にある。グランドや散策コースもある大きな岡崎中央総合公園の中でもひときわ目立つ建物だ。

 友人が書いていたように、美術博物館の中にはちょっとしゃれたレストランもある。少し遅い昼食をこのレストランでいただき、階下の展示場に向かった。市立美術館の企画展である。そこそこのものはあっても国立や県立の美術館の展示には及ばないだろうと思っていた。それでもよいから観たいと思ってやってきたのだが、作品の数も多く、展示の仕方も充分に工夫されていた。どうやら、この岡崎美術博物館にはシュールリアリスムを代表する作家の一人、サルバドール・ダリが好きで研究している学芸員がいるようだ。

 私がダリの絵を最初に見たのは小学校の高学年の時だ。兄が購読していたアメリカの週刊雑誌『LIFE』に載っていたもので、「内乱の予感」だったと思う。よくこんな絵が描けるものだと感心した。自分が美術を専攻することになって、シュールリアリスムは自分の求める方向となった。シュールリアリスムは「革命」を意図していた。それは丁度、ロシア革命、フロイトの心理学、科学や医学の発達、産業の急展開、そしてアフリカやアジアの未開発文明の紹介といったヨーロッパ社会を背景にしていた。

 フロイトの影響を受けたシュールリアリスムの指導者、アンドレ・ブルトンは「理性からの解放」を謳っている。そうなのだ。シュールリアリスムはダダが既成観念からの解放を目指したのを受けて、理性からの解放を目指した。人間社会における人間の解放をめざしたのだ。しかし、人間は残念ながら自分が存在するために作り出した理性から解放されることはなかった。人間が理性をなくせば、人間そのものでなくなってしまう。私の学生の時、「理性は偽善だ」と主張したけれど、人間の本質は理性にあると今は思っている。

 何はともあれ、岡崎美術博物館の環境はいい。今度来る時はもっと早く家を出て、一日をここで過ごす、そんな計画で来たいと思う。
 さて、そこでもう一度ケイタイで送った写真を掲載してみよう。
 
コメント (2)
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