友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

酒を酌み交わす

2007年04月14日 23時33分14秒 | Weblog
 先日、退院した友人を見舞いに行ってきた。
 中学・高校と仲が良かった友人が何人かいるが、中でも高校卒業の後、家庭教師を終えてから一緒に居酒屋へ出かけていた仲間が4人いる。3人は大学に入学していたが、1人は浪人中だった。この浪人が毎夜のごとく現われ、居酒屋へと通っていた。私たちが学生だったからか、店の女の子たちは注文もしていないビールや料理をせっせと運んできてくれた。9時半過ぎに店に行き、閉店になるまでいたので、終わりがけには「残り物だけでどうぞ」と言って差し入れてくれた。きっとよく食べる客だったのだろう。未成年なのだから酒はダメなはずだが、誰も咎める人はいなかった。

 そういえば、会社に入れば新入社員の歓迎会があり、大学に入れば新入生の歓迎会がある。どちらも新人はしこたま飲まされるのが普通だ。最近の大学では、コンパで死者が出たこともあって、一気飲みに注意するように指導されているという。社会全体が18歳になったならば社会人とみなしているから、未成年の飲酒・禁煙の法は実質的には反故にされている。浪人中の男は店の女の子の一人に入れ込み、閉店後は彼女のアパートまでみんなで送っていったこともある。たしか、四国から出てきたばかりで16歳だった。

 大学2年の時に、材木屋だった我が家は破産し、兄夫婦は離婚、妹は上の姉のところで厄介になり、私は大学の先生の家で書生となった。先生の子どもの家庭教師をするとともに、車の運転や家事の手伝いをした。各人がそれぞれ忙しくなったこともあり、4人で居酒屋へ行くことはなくなった。大学を卒業してからは、ますます交流はなくなったが、4人のうちのひとり(退院した友人)の結婚式では司会をさせてもらった。彼の奥さんとなった人は、高校3年生の時、彼の口から好きだと聞いた女性で、彼の高校の後輩である。私は中学・高校とキリスト教会に通っていて、中学3年の時にはクラスの男子の半数を教会に連れて行っていた。その教会で二人は知り合ったのだ。

 退院したと聞いたので、電話すると友人が出た。喉の手術をしたので聞き取りにくい。「元気か」と聞くと「元気だ。身体の芯は毎日アルコールで消毒している」と言う。「ナニ!酒が飲めるのか」と言えば「おお、人生の消毒をしようや」と言う。そしてハガキが来て「24時間電話の前で待っていますから、早めにTEL下さい。←本気!!」とあった。私は一緒の酒を飲んで、彼の嫌いな昔話をしようと思った。浪人した友人を誘い、二人で酒とワインとつまみを用意して出かけた。5時半くらいに着いて飲み始め、11時半くらいまで飲んでいたのではないかと思う。いくら飲んでも彼は正気だった。私も負けずに正気だったはずなのに、彼の家を出る時から、直立できないくらいフラフラだった。どうやって家に帰ったのかも定かではない。

 酒を持って見舞いに行くと言うと、カミさんは「退院したばかりの人にお酒なんか飲ませていいの」と心配したが、私は彼ができるならば早く決着をつけたいと思っていると感じた。私は彼の望みに応えてやりたいと思った。「あなたは本当に冷たい人ね」とカミさんは言う。確かに私は冷酷な人間かも知れない。本当に彼がこの世との早い決着を望んでいるのかわからないが、私にはそう感じたし、友だちだから願いに応えてやりたいのだ。私は「高瀬舟」の下手人ほどの度胸はないが、せめて酒を飲み交わすことくらいならばできる。

 彼はいつもニヒルでダンディーだった。ダンディーというよりも自分のスタイルにこだわっていた。ちょっとひねくれて見せていたが、とても優しかった。いつも人のことを気にしながら、「どうして人のことを気にしなくてはならないのか」と言っていた。願わくば、文学者のように髭をたくわえているだけでなく、自分の半生を文章にでもしてもらいたい。そしてこれからもお互いに死ぬまで、何度も酒を酌み交わす人生でありたいと思う。
コメント
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