友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

キスシーン

2008年08月21日 22時22分44秒 | Weblog
 吹く風がめっきり秋らしくなった。日も短くなった。あんなに暑い日々が続いていたのに、季節は少しずつ変わっていく。人もやはり変わっていく。夕方のマンションの玄関ホールで、高校生の男女が座り込んで話していた。話していたというよりもふざけ合っていたというべきかも知れない。小学生の時からよく知っている女の子だ。私が彼女たちの姿を見てから既に1時間以上経つ。先ほど孫娘がプールから帰ってきて、ニヤニヤしながら私に「見ちゃった」と小声で告げた。

 「あのさ、二人がさ、キスしていたよ」と孫娘が言う。「えつ、まだ高校1年生だろ!」と私が驚くと、「中学生でもキスした子だっているよ。時代が違うよ!」とたしなめられる。「パパちゃんなんか、結婚するまで女の子の手も握らなかったのにな!」と言うと、「その方がおかしいのよ!」と言われてしまう。子どもの頃、映画館で立ち見の男女がキスしているのを偶然見てしまったことがあったけれど、洋画ではキスシーンはあっても実際に見ることはこの時しかなかった。

 キスがしたくなかったわけではない。好きな人に触れていたいという気持ちは強くあったけれど、実行に移すことは出来なかった。結婚前の男女の関係は、手も握らないことが普通だと思い込んでいた。思い込むというよりも、社会的にそのような規制が働いていたのだと思う。私たちの世代の男女でも、早くからこの規制に背いた行為をしていた者もいたけれど、美意識というようなものが私を支配していた。映画は観ていたし、小説も読んでいたから、何も男女の愛の形が結婚に縛られることはないと、頭では理解していたし、自分の考えでもあったが、またまた古い美意識に支配されていたのだ。

 でも最近は、確かに公の場でもキスしている男女の姿を見かける。公園のようななぜかロマンチックな場所だけに限らず、プラットホームや電車の中でも見かける。それだけ日本も西洋化したという証かもしれない。これは私が下種な人間だからだろうが、よくキスだけで我慢できるなと思ってしまう。

 多分、私は若い人たちのキスシーンにやき餅を焼いているのだろう。子どもたちが中学生か高校生になった時、毎晩のように友だちと長電話をしていた。その時、なぜか無性に腹が立ったけれど、なぜ腹が立つのだろうと考えてみると、結局は自分たちが出来なかったことをしていることへの嫉妬だと気付いた。年寄りが「今の若い者は」と言うのは、年寄りの嫉妬の現れなのだ。
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通知表

2008年08月20日 22時17分53秒 | Weblog
 昨日のような突然の激しい風と雨がウソのように穏やかな一日だった。カミさんは朝早くからゴルフに出かけ、私はゆったりと一日を過ごした。お昼は孫娘と二人で食事をし、彼女が好きなテレビドラマの録画を一緒に見た。テレビを見ているうちに私は眠たくなってきて、新書版の小説を持って横になり、読んでいるうちに眠ってしまった。

 目を覚まして、これまで怠けていた押入れの掃除を行った。その押入れの中に孫娘の母親とその妹である次女の通知表があった。孫娘は「見たい!」と言う。彼女がどんな反応をするのかという思いもあったので、「見てもいいよ」と言った。通知表を見ていた孫娘は「ママって頭いいじゃん」と言う。姉妹の違いと似ている点もしっかりと分析していた。

 その見方も単純に成績を比較するだけでなく、その時の児童・生徒数や評価の仕方も考えながら言うのには驚いた。「学年順位が悪くても、生徒数が多ければ変わらないから、テストの成績だけを見たら、やっぱりママの方がいいわ」と、自分の母親を得意気に評価して言う。なるほど、彼女の母親は小学校の担任教師が記すように、「よいものをたくさん持っているので、もう少し勉強すれば成績は上がる」というような子どもだった。

 母親であるカミさんは気が気でなかったから、「勉強しなさい!」と叱咤激励したようだ。中学に入ってからの方がよく勉強するようになったとカミさんは長女を評価している。私は、机に向かうといつの間にかよだれをたらして眠っている場面しか見たことがない。子育てではいつもカミさんと意見が合わなかった。カミさんが言うように、私は「勉強なんかしなくてもいい。それよりも自分の好きなことを見つけなさい」と言っていたから、「子どもが勉強しなかったのはあなたのせいなのよ」というカミさんの言い分は間違いないとも思う。

 孫娘は通知表を見て、母親を誇りに思い、叔母への敬意を表した。孫娘の純情な気持ちがありがたかった。人間の本当によいところは、そんな純情なところだと思う。そういう人々に出会えて私は幸せである。
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鉢植えの木々をどうするか

2008年08月19日 23時06分49秒 | Weblog
 私の住むマンションは既に30年経ている。この間に外壁塗装、配水管の取替え、エレベータのリニューアル、ドアの取替えなどを確実に行なってきた。古いマンションにもかかわらず珍しいくらいキレイで、人気があるから中古の相場も高い。中古を買い求めて自分の思うようにリフォームすれば新品同様のマンションになる。

 今年また、マンションの外壁塗装が始まった。私の住む棟は来年になる予定だ。そこで、問題となるのが我が家の植木鉢だ。大きなものは直径が50センチ、高さも45センチある。その鉢は、高さ1メートルくらいのデイゴの鉢が1つ、椿の鉢が2つ、金木犀の鉢が1つ、杉の鉢が1つの計5つある。その次の大きさの鉢は、バラが1つ、ランタナが2つの計3つある。そしてその次のものはと数えだせば切りが無いほどの鉢がある。おそらく13号鉢以上のものが50鉢はあるだろう。それより小さいものも数多い。

 これらの鉢植えの樹木をどうするかである。草花は1年草がほとんどだから、抜き取り、土は袋に入れて処分すれば、時間さえあれば何とかなる。となると、木々が育っている鉢をどうするかにかかっている。「工事がどのように進められるのか、わからないから何とも言えないけれど、最終的には大きな鉢の木々はマンションの自治会にもらっていただくのがいいのではないか。庭を管理している緑花クラブに差し上げ、庭に植えてもらうのが一番いいと思う。もちろん、欲しい方があればもらっていただいてもいい」。

 私はこれらの木々がゴミになってしまうのは、何とも寂しい気がするが、人手に渡るのはそれほど苦にならない。するとカミさんは「あなたのそういうところが嫌い!」と怒り出した。「計画もなくどんどん買ってきて、困ったからもう捨てるという、そういう考え方はおかしいのよ」と指摘する。多分彼女からすれば、いつも先の見通しのないままに好き勝手なことをして、最後はみんな無くしてしまう、そんな私の身勝手さに腹が立つのだ。

 投資したお金だって馬鹿にならないのに、じゃあいいやと人にあげてしまう、あるいは捨ててしまう、そんなことを平気で行なう金銭感覚が理解できないというわけだ。私は、確かに毎年花を楽しむためにそれなりのお金は投資したけれど、眺めることで充分楽しんだと思っている。だからゴミのように扱われるのは寂しいが、人にもらってもらえるなら、あるいはマンションの庭を飾ることになるのなら、それで充分満足である。

 それでもカミさんの言うように、衝動的で無計画で先の見通しのない私の趣向は困ったもので、彼女の悩みの種であろうことは私も理解できる。しかし、じゃー直せるのかとなると、やはり出来ない。自分ながら困った男だなと思う。
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母に捧げるラストバラード

2008年08月18日 23時01分49秒 | Weblog
 御園座の観劇券をいただいた。武田鉄矢主演の『母に捧げるラストバラード』である。結論から言えば、よく泣きよく笑わせてもらった。芝居の後で武田が「母はあんなふうでした」と言うから、よほど面白い人だったのだろう。いつも前向きで、くよくよすることはなく、ドーンと肝っ玉が据わっている人だったのだろう。おそらく武田の母親も私の母親と同じ、明治の終わり頃に生まれ、大正、昭和と生き抜いてきたのだろう。同時代の人というのはなんとなく似たところがあるように思う。

 武田鉄矢は1949年生まれだから、私よりも5歳年下の団塊世代だ。舞台は昭和35年の福岡で、武田家の家族構成が面白おかしく紹介されるところから始まる。5人の子どもたちの一番下が本当は生みたくなかった鉄矢である。物まねがうまくお調子者の彼が、芸能界で名を上げるようになり、鉄矢の母は「5人も産んどきゃーひとりくらいは当たる者もあるわ」と言っているから、自慢の息子には違いない。

 昭和35年は、「60年安保」の年でもある。武田が言うようにあんなに貧しかったのかな?と思う。私は高校1年生だが、日本はもうかなりの勢いで経済復興に向かっていた。確かにまだ、豊かさを実感できるものではなかったが、貧しいと思うほどではなかったような気がする。食べ物は充分にあったし、テレビもラジオもあった。電気釜もあったのではないか。我が家はまだ朝食はご飯と味噌汁であったように思うけれど、姉の家や友だちの家でもパンに目玉焼きにハムにミルクだった。急速に西洋化していく時代だった。

 私も武田と同じように、1週間に2回は映画館へひとりで映画を見に行っていた。書店を回っては好きな本、ほとんどが新書版の小説だったけれど、自分の小遣いで買い求めることが出来た。終戦を迎え、日本は新しい国に生まれ変わる、漠然とそのように思い込んでいた。けれども自分の周りを見ても、祖父は家長制度がそのまま残っているような人であったし、政治家を見ても、戦前からそのまま居ついているような人ばかりで、戦争への反省は見られなかった。日本は新しい国に生まれ変わることは幻想だったのか、次第にそんな思いが強くなっていった。

 『母に捧げるラストバラード』を見て、国が変わるというよりも、一生懸命に生きる人がいることが国が変わっていくことなのではないかと思った。貧乏の中にありながら、一生懸命に前向きに生きていくことが、人の和の大切さが、やがては社会の仕組みを変えていくものかもしれない。

 武田鉄矢の母は実に面白いことを言う。母の語録集は膨大なものなのだろうが、私が芝居の中で覚えているのは、「夫婦はあきないだ。足したり引いたり割ったり掛けたりしながら、収まるもんや」とか「お父ちゃんが死んでから夫婦仲がよくなった」とか、笑わせておいて、なるほどと思わせてくれる。休憩を含めて4時間は長いと思ったけれど、終わってみればアッという間だった。

 『母に捧げるラストバラード』は、8月24日まで御園座で上演されている。
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北京女子マラソン

2008年08月17日 22時12分15秒 | Weblog
 北京オリンピックの女子マラソンが行なわれた。オリンピック2連覇の期待を背負い、最も注目されていた野口みずきさんは、左足太ももの肉離れのため直前に出場できなくなった。補欠の人も体調不良だったかで棄権していたから、結局は残る土佐礼子さんと中村友梨香さんに期待が集中した。その土佐さんは外反母趾に痛みがあったのに、これをかばって走り続け、とうとう途中棄権せざるを得なくなった。残された中村さんはよく奮闘したが13位に留まった。

 スポーツ選手というのは、もちろん身体の勝負なのだからなのだろうが、壊れる寸前まで本当によく頑張ると思う。野口さんにしても、彼女は小さいから人一倍に鍛えたに違いない。日本人だからそうなのかと思うけれど、スポーツ選手はどこの国の人も、とにかく身体を鍛え上げる。鍛え上げなければ優勝はないからだろう。私のような怠け者は身体を壊してまで鍛える必要があるのかと思ってしまうけれど、確かにお互いの身体による勝負なのだから、鍛え上げた方が有利に決まっている。

 だから個人が頑張るのはよくわかるけれど、こういう時に、メダルの数をとらえて「国の威信にかかわる」などと言う人がいる。それが私には理解できない。メダルが1個だろうと10個だろうといいじゃないか。国策として、もっと優秀なスポーツ選手を生み出すようにしろ、とまで言う人は頭がおかしいのではないかとさえ思う。政治というのはそんなことに力を注ぐべきではない。明日の食事が出来ない人をどのように助けるか、それが政治の目的であるべきだ。

 スポーツに全てをかけている人には誠に申し訳ないけれど、スポーツはたかがスポーツで、スポーツがなくなると人は生きていけないというものではない。戦争や地球の温暖化といった問題は、人のつまりは人類の問題であるけれど、100メートル走で9秒7の壁を破ったところでそれが人類にどんな効果をもたらすのか、私には全く理解できない。一人の女性が119連勝したこと事態は確かにビックリするようなことだけれど、そしてそのことで努力は必ず報われると多くの人々に勇気を与えてくれるだろう。それを否定したり非難したりする気はないけれど、それでもスポーツはたかがスポーツではないかと思ってしまう。

 思ってしまうというよりも、勝敗にそんなにこだわらない方がよいと私は思う。勝ちがあれば負けがある。スポーツはその人がそこに全てを出仕切るから見ている人を感動させる。勝負の結果が大事ではなく、どれだけ頑張ったかが大事なのだから、勝敗にこだわることはないというのが私の考えだ。ましてや、「国の威信」などとスポーツを国単位で考えることに賛成できない。

 みんな頑張れ!それでいいと思う。
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終戦記念日に思う

2008年08月16日 20時50分03秒 | Weblog
 8月15日は終戦記念日。朝日新聞と中日新聞で、どんな風に扱われているか興味があった。結果は想像していたとおりで、朝日新聞の扱いは小さなものだった。朝日新聞は大きく変わった。昔のような強い反戦主張は無くなった。常識的な新聞というよりも無力な新聞になりつつある。新聞としての常識では、今日では中日新聞の方が上を行っている。「戦争」とはどういうものなのか、知らせていこうとする姿勢がある。朝日新聞にもう少し奮起してもらいたいが、上層部が変わらないとダメなのかなと私は悲観的だ。

 その朝日新聞の書籍の広告欄に『軍隊のない国家』(日本評論社、1995円)が掲載されていた。「世界には軍隊のない国家が27カ国ある!全ての国を訪れ、調査・観察。国家とは、軍隊とは何かを考える異色の旅行記」とある。中米のコスタリカが軍隊を持たない国家であることは知っていたが、世界に27カ国もあるとは知らなかった。

 日本は憲法で「国権の発動たる戦争と、武力のよる威嚇または武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。この目的を達成するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない」と定めているのに、自衛隊という世界でも上位にある軍隊を持っている。日本は「軍隊のない国家」なのだろうか?

 友だちがブログで「終戦記念日」に触れていた。戦後生まれである彼は「残念ながら、戦争の悲惨さや戦後の食糧難は体験していないので、とやかく言う資格はないかもしれない。が、語り継がれてきたことを若い世代につたない言葉かもしれないが伝承することはできる。」と言う。「戦争。これに進む議論の経過には必ず国益があるようである。膨大な国益があろうとも戦争に至る準備の費用、戦費、後始末の費用、それに優秀な若者の喪失は、長い目で見れば大きな損失である。勇ましい意見は、議論に勝ちやすい。冷静な判断と長いスパンでの思考が今必要ではなかろうか」と。

 私も終戦時は1歳で、戦後の食糧難の覚えもない。終戦を14歳で迎えた人の体験談は戦争の現実を物語っていた。空襲で防空壕へ避難した時だ、まだ押さない子どもを連れた若い夫人がその壕へ走ってきたところ、中にいた軍人は残酷にも入るのを阻止したそうだ。国民を守るための軍隊が、国民を死の世界へ追いやる光景は忘れられないと言う。イザとなればそんなものなのか、愕然としたそうだ。フィリピンで医者をしていた日本人が、日本軍に殺された。戦闘の中で、疲弊した心は荷役の中国人青年をスパイだと銃剣で刺し殺す。沖縄戦では子どもは泣くからと軍人から殺せと命令される。

 けれども、戦争を計画し作戦を立てる人々はいつも戦地からかけ離れた安全な場所にいる。東条英機の終戦間際の日記が新聞に掲載されていたが、戦争責任者としてできるだけ多くの国民の命を救いたいという気持ちは全く見当たらない。まだ、戦えると思っているのだから滑稽そのものだが、こういう人を指導者に選んだ人たちもまた、責任があるだろう。

 中国と日本の大学生の討論で、中国の学生が「日本人はよく軍部の独走などといった逃げ口上を用いるが、我々から見れば日本は日本、別物ではない」「戦前と戦後の日本の体制は連続しているのではないか」と言うのは、よくわかる。私たちはもっと厳しく現実を見なければならないと思う。先の友だちが言うように「オリンピックにかき消されないために!」。
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墓など無用だ

2008年08月15日 22時29分24秒 | Weblog
 姉から電話があって、「墓のことはどう考えている?」と言う。姉に子どもは一人しかなく、しかも女の子で嫁いでいる。その嫁ぎ先の義父が「わしの仏壇に(姉の位牌を)置いてあげてもいいよと言ってくれるけど、そんな肩身の狭い思いはしたくないから、どこかに墓を買おうと思うけど、あんたはどう思う?」と言うのだ。「姉さんの好きなようにしたらいいのじゃあないの」と私は答える。

 姉は「死んで行き先のない、野垂れ死にのような死に方はしたくない、きちんと死んでからの行き先がなければイヤ」と言う。それならそれで、「行き先があるようにすればいいじゃないか」と、私は答える。

 姉が誰でも受け入れるという無宗派の墓を買ったとしても、一体誰がその墓を管理し続けてくれると思っているのだろう。姪っ子には男の子が3人いるが、長男は彼の家の墓を守るかもしれない。いや、3人の男の子の誰かが先祖代々の墓を守るかもしれない。でもその次は誰が保障できるのだろう。

 私はよく知らないが、日本の大衆の墓はそんなに古いものではないと思っている。私の家の墓も祖父が戦争で亡くなった父の弟つまり叔父のために立てたものだ。その隣の先祖代々の銘のあるものだって、おそらくその時に立てたものだろう。ご近所の墓を見てもそんなに古いものはない。一番奥にある藩主の先祖の墓もそんなに古いものではないが、仮に江戸時代から続いてあったとしても、それは身分の高い人たちの墓だったからだろう。

 姉が言うように、死んで行き場がないのはみすぼらしいと思うのであれば、それなりの墓を立てておくことを否定する気はない。「あんたはどうするの?」と姉が聞くから、私が「子どもたちにお願いしているのは、火葬場で骨は拾ってこないということ。拾えばその骨をどうするかで悩むけれど、拾ってこなければ、墓の心配も仏壇の心配もない。姉さんだって、信仰もないのによくお墓の心配をするね」と皮肉を言うと、「相談した相手が悪かったわ。それでもあんたもいつかそういう時が来るよ」と言う。

 姉の言うようにみんなが墓を立てたなら、この地球上は墓だらけになってしまうだろう。私は数学に弱いから計算できないが、人類がこの世に生まれ、今では60億人に膨れ上がっているが、その最初の人類は何人だったのだろうか。死んだ人たちがみんな墓を立てたなら、これまでに何基の墓が必要だったのだろう。今、存在する墓がそんなに多くないのは、墓参りをするのがその子どもと孫までで、孫の時代のその次は確実に無いからだろう。

 そんな不確かなものに固執することは馬鹿げている。そもそも仏教では墓をそのように大事なものと考えてきただろうか。私の知るキリスト教でも墓を立てなさいと神は言っているのだろうか。先祖をないがしろにしてはならないことは自明の理だ。なぜなら今日の自分があるのは、先祖があるからだ。私たち人間はそうやって生きてきた。いや人間だけでなく、生き物は全て先祖から受け継いだものだ。今を生き、そして未来へとつなげていく、それは命であり生き方であり文化である。それが人間の本質だ。

 墓なんか無くても、自分が確かに存在したことの方がはるかに大きな意味があると私は思っている。
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父たちの生きかた

2008年08月14日 21時01分34秒 | Weblog
 カミさんの実家へ行き、仏壇にお参りする。義父も義母も亡くなった。義父は警察官だったが、自分の家に竈を作り、陶芸に打ち込んでいた。大正3年生まれで、軍隊に召集されたのは、30歳近くになってからだと聞いた。戦地に派遣される前に終戦を迎え、警察に戻った。戦後の警察組織は大きく変わり、義父は地方回りを選んだ。

 義父は、始めから警察官になりたかったわけではなく、先生になりたかったと言っていた。家が貧しく上の学校へ進むことは困難だったそうで、小学校を出るとすぐに呉服屋の丁稚となった。義父はとにかく「上」に登りたかったようだ。しかし、身体を壊し、警察官になった。そんな話を聞いたことがあるが、私の方から質問したわけではないし、何度かの話を総合すると、そうだったのではないだろうかというに過ぎない。

 戦後の警察官の仕事では、ヤミ屋の取締りでよくお酒を飲まされたと言っていた。取り締まりに手心を加えて欲しいというものだ。そのうちに警察組織もだんだん整ってきて、泥棒を捕まえた実績よりも、何もしなくても学歴の高い者の方が出世していく。中央にいても結局冷や飯を食べることになると読んだから、義父は地方回りの道を選んだのだと思う。そこで、たまたま陶芸に出会い、その魅力に惹かれていったのではないかと、私は推測している。

 たまたま出会った陶芸が再び義父に「上」を目指す力を与えたのではないだろうか。私が知る限りでは、随分といい作品を作り、師匠の上をいく勢いだった。一度、作品展を開いたけれど、素人の私が見ても凝った作品だなと思うものが結構あった。もう少し私が真剣に、作品展を次々と開催するように考えてあげればよかったのに、その時はまだどうしてよいのかわからなかった。たぶん、もっと長生きしてくれるだろうと勝手に思い込んでいた。今になって誠に申し訳ないことをしてしまったと思っている。

 義父が願っていた「上」へ、そういう意味で近づいていると感じられる位置にいながら、そうさせてあげられなかったことを悔やんでいる。家族のためとか、もちろんそういうこともあるのだろうが、自分はこんなものではない、もっと「上」の世界に行かなくてはならない、いや、自分が生きてきた価値はこうなのだと義父が胸を張って言えるようにしてあげたかった。

 私の父も、カミさんの父も、昔の人は努力して自分の世界を切り開こうとしていた。オリンピックでもそうだけれど、「上」に行くためにはもちろんその人の才能が一番求められる。けれども、いくら才能があってもタイミングがある。巡り合わせがあるのだ。逆に、巡り合わせがよくても、才能がなければ花は開かない。それでも、育てている花たちを見ていると、巡り合わせが一番の条件のように思う。
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夏休みの生活スタイル

2008年08月13日 22時27分40秒 | Weblog
 やっと夏休みの生活スタイルになった。朝起きて、花に水をやり、コーヒーを飲みながら新聞を読み、テレビで高校野球を観戦する。今日のお昼からは、孫娘を連れて昼食にオムライスハウスに行き、それから買い物をして、再びのテレビ観戦だったが、ウトウトしながらの観戦だったので、実はあまりよく見ていなかった。夕方には友だちが夏祭りの慰労会の案内状を作ってほしいというので、パソコンに向かった。

 それでも、のんびりとした夏休みの生活スタイルだ。長女のところにまだいる子猫の世話を孫娘がやっている。カミさんは「こちらの家には子猫を連れてこないで!」と言っていたが、「一人でお世話するのも大変だから、一緒にやってあげる」と言って、我が家に子猫を連れてこさせた。小動物は人間の赤ちゃんと同じで可愛いものだ。子猫があちこちと這いずり回ると自然と目がそちらにいき、なんだかますます可愛くなってしまう。あんなに嫌っていたカミさんも子猫が寄ってくるのを拒まない。

 子猫たちが私のからだに近寄ってくる。それを見たカミさんが、「ホントに小動物と子どもとお年寄りには好かれるのね!」とイヤミを言う。昔からそうなので自分では気にしていなかったが、私自身に敵意が無いからだと思うけれど、動物も子どももなぜか懐いてくれた。お年寄りに好かれるのはよくわからないが、動物と同じで相手をいやだと思わないから、そのことが相手に伝わるのかもしれない。

 子猫は3匹いるのだが、よく見ているとそれぞれに動きが違う。同じ生まれでありながら、大きさも違ってきたし、したがって動きも違う。好奇心の旺盛な一番大きな子猫は、私がミルクをやった時はそんなによく飲む方ではなかったのに、今では一番よく飲む。動きは2番目で、甘えん坊で、おとなしい子猫は今ではミルクをよく飲み、動きも活発になってきた。心配なのは、私の時はよくミルクを飲んでいた小柄な子猫が、今はあまりミルクを飲まず、運動量も少ないことだ。

 孫娘はこれらの子猫をよく観察していて、「最近、この子はミルクを飲まないのね!」と、私と同じ意見だった。「猫は臭いでわかるのかな?」と言うから、「動物はだいたい臭いでは母親とか父親とかを覚えていくみたいだよ。だからこの臭いの人はミルクをくれる人だとか、危害を加えないとかを覚えていくのだろうね」と話すと、「へえー、えらいもんだね」と感心する。それだけでも、子猫を預かった価値はあったような気がした。

 孫娘の母親は、なぜかこのところ疲れきっている。仕事が大変なのかもしれないし、それにもまして私生活の悩みが大きいのかもしれない。長女を見ていると、私自身のようでもあり、カミさんに似ていると思う時もある。二人の間の子どもなのだから当然のことなのに、やはりもう一人の人格だと、これもまた当然のことに感心している。
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犯人探し

2008年08月12日 21時28分06秒 | Weblog
 まだまだ暑い日が続いている。今、私の一番の関心は、毎朝鉢に水をやる時にある。今朝も3つの鉢のサルビアが土の上1センチか2センチくらいのところで切り倒されている。完全に成長したサルビアではなく、まだこれから大きくなる途中の、どちらか言えば若いサルビアが見事に切り倒されている。「切り倒された」と表現した方が的確だと思えるほど、見事にバサリとやられている。

 風で折れたものではない。おそらく虫が噛み切ったものだ。私の関心は虫が噛み切ったならば、その虫はどこにいるかということだ。噛み切られたサルビアは引き抜き、新しいサルビアを植えてみた。しばらくは何事もないのに、何日かすると同じ鉢のサルビアがやはり噛み切られている。一緒に並べてある他の鉢はそういうことがないのだから、結論はその鉢の中に犯人が潜んでいるというわけだ。土を全部出して調べれば見つけられるのだろうが、表面の土を少しばかり耕してみても何も出てこない。

 それに、不思議だなと思うことは、噛み切ったサルビアの上の部分を、まるで人が植えたかのように、切った部分を土の中にまで引き入れている。その土の部分を調べてみても何もいない。相手はサルビアを管理している私をあざ笑うように、私が植え替え、これで乗り切ったかと思う頃を見計らって、噛み切ってくる。まるでゲームのようだ。噛み切ったサルビアを食べている様子がないのも不思議だ。いったい何がいるのか、何のために噛み切るのか、その現場を見極めたいと思うけれど、どうやら犯人の方が私よりも上だ。

 何年か前のことだが、サルビアではなく日々草を育てていた。この時も同じように日々草が噛み切られたことがあった。いったい何が日々草の茎を噛み切るのかと思って観察を続けた。犯人はダンゴムシだった。しかし、今回はダンゴムシはいない。だから不思議だ。

 自然界というのは人間の智恵を超えている。そんなことを感じているが、それにしてもまだまだ暑い日が続いている。人間の存在は小さいが、人間は人間がいなくては生きていけない。
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