吹く風がめっきり秋らしくなった。日も短くなった。あんなに暑い日々が続いていたのに、季節は少しずつ変わっていく。人もやはり変わっていく。夕方のマンションの玄関ホールで、高校生の男女が座り込んで話していた。話していたというよりもふざけ合っていたというべきかも知れない。小学生の時からよく知っている女の子だ。私が彼女たちの姿を見てから既に1時間以上経つ。先ほど孫娘がプールから帰ってきて、ニヤニヤしながら私に「見ちゃった」と小声で告げた。
「あのさ、二人がさ、キスしていたよ」と孫娘が言う。「えつ、まだ高校1年生だろ!」と私が驚くと、「中学生でもキスした子だっているよ。時代が違うよ!」とたしなめられる。「パパちゃんなんか、結婚するまで女の子の手も握らなかったのにな!」と言うと、「その方がおかしいのよ!」と言われてしまう。子どもの頃、映画館で立ち見の男女がキスしているのを偶然見てしまったことがあったけれど、洋画ではキスシーンはあっても実際に見ることはこの時しかなかった。
キスがしたくなかったわけではない。好きな人に触れていたいという気持ちは強くあったけれど、実行に移すことは出来なかった。結婚前の男女の関係は、手も握らないことが普通だと思い込んでいた。思い込むというよりも、社会的にそのような規制が働いていたのだと思う。私たちの世代の男女でも、早くからこの規制に背いた行為をしていた者もいたけれど、美意識というようなものが私を支配していた。映画は観ていたし、小説も読んでいたから、何も男女の愛の形が結婚に縛られることはないと、頭では理解していたし、自分の考えでもあったが、またまた古い美意識に支配されていたのだ。
でも最近は、確かに公の場でもキスしている男女の姿を見かける。公園のようななぜかロマンチックな場所だけに限らず、プラットホームや電車の中でも見かける。それだけ日本も西洋化したという証かもしれない。これは私が下種な人間だからだろうが、よくキスだけで我慢できるなと思ってしまう。
多分、私は若い人たちのキスシーンにやき餅を焼いているのだろう。子どもたちが中学生か高校生になった時、毎晩のように友だちと長電話をしていた。その時、なぜか無性に腹が立ったけれど、なぜ腹が立つのだろうと考えてみると、結局は自分たちが出来なかったことをしていることへの嫉妬だと気付いた。年寄りが「今の若い者は」と言うのは、年寄りの嫉妬の現れなのだ。
「あのさ、二人がさ、キスしていたよ」と孫娘が言う。「えつ、まだ高校1年生だろ!」と私が驚くと、「中学生でもキスした子だっているよ。時代が違うよ!」とたしなめられる。「パパちゃんなんか、結婚するまで女の子の手も握らなかったのにな!」と言うと、「その方がおかしいのよ!」と言われてしまう。子どもの頃、映画館で立ち見の男女がキスしているのを偶然見てしまったことがあったけれど、洋画ではキスシーンはあっても実際に見ることはこの時しかなかった。
キスがしたくなかったわけではない。好きな人に触れていたいという気持ちは強くあったけれど、実行に移すことは出来なかった。結婚前の男女の関係は、手も握らないことが普通だと思い込んでいた。思い込むというよりも、社会的にそのような規制が働いていたのだと思う。私たちの世代の男女でも、早くからこの規制に背いた行為をしていた者もいたけれど、美意識というようなものが私を支配していた。映画は観ていたし、小説も読んでいたから、何も男女の愛の形が結婚に縛られることはないと、頭では理解していたし、自分の考えでもあったが、またまた古い美意識に支配されていたのだ。
でも最近は、確かに公の場でもキスしている男女の姿を見かける。公園のようななぜかロマンチックな場所だけに限らず、プラットホームや電車の中でも見かける。それだけ日本も西洋化したという証かもしれない。これは私が下種な人間だからだろうが、よくキスだけで我慢できるなと思ってしまう。
多分、私は若い人たちのキスシーンにやき餅を焼いているのだろう。子どもたちが中学生か高校生になった時、毎晩のように友だちと長電話をしていた。その時、なぜか無性に腹が立ったけれど、なぜ腹が立つのだろうと考えてみると、結局は自分たちが出来なかったことをしていることへの嫉妬だと気付いた。年寄りが「今の若い者は」と言うのは、年寄りの嫉妬の現れなのだ。