友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

人類はなぜ移動を繰り返したのか

2016年06月08日 18時08分14秒 | Weblog

 高校の後輩といっても15歳も年下で、東北大工学部卒業の優秀な人なので、いわば近寄りがたい存在だが、とにかく酒に強かった。その男が首長となり、なかなかユニークな政策を行っている。首長交際費を何にいくら使ったか公開しているし、科学好きの彼らしくサイエンス講座なるものを開いている。6月5日の講座は、名古屋大学博物館講師の門脇誠二さんの、「アフリカで生まれた人類が日本人になるまで」というテーマだった。

 このタイトルの本なら持っていると思って書棚を見ると、私が持っていた本は同じ書名でも著者は国立科学博物館名誉研究員の溝口優司さんである。後輩の解説を読むと、講演の内容は全く同じことのようだった。ヒトは類人猿との共通の祖先から進化した。猿人→原人→旧人→新人と脱皮するように進化したと思っていたが、どうやらそうではなく、重なった時期があったらしい。旧人と新人が交雑した形跡もあるという。

 原人(北京・ジャワ)も、原人から進化した旧人(ネアンデルタール)も絶滅し、再度、アフリカで旧人から生まれた新人が世界各地に散らばったというのが定説のようだ。しかし、猿人から原人へと進化した間にもかなり移動したと思われるし、それらの原人が生き延びることがなぜ出来なかったのだろう。旧人と新人が交じり合ったように、原人と旧人にも同じことが起きていたのではないのだろうか。

 古代4大文明といわれるエジプト、メソポタミア、インダス、黄河の中で、黄河文明以外は旧約聖書に出てくるから交流があっただろうが、山岳と砂漠を越えなければ辿り着かない黄河文明はどのようにして生まれたのだろう。今、ヨーロッパへ中東から多くの難民が押し寄せているけれど、人類は常に「何か」を求めて移動してきた。その「何か」を知りたい。移動は生きていくための最後の手段だったのだろう。今も‥。

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バアバは絶対オレが守るから

2016年06月07日 17時28分35秒 | Weblog

 夫を亡くした彼女のところに孫からメールが来た。「ジイジが亡くなって悲しいのは分かるけど、いつまでも落ち込んでいちゃーダメだよ。家にばかりいないで、ちゃんと外に出て、いつものように笑顔で人と話してね。バアバは絶対オレが守るから。最も尊敬する笑顔が素敵なバアバへ」。孫は医大学生だと言う。

 遠くに住んでいるのに時々、「バアバ、今度遊びに行くね」とメールが来る。ふたりでお酒を飲んでおしゃべりして、4時間も5時間も一緒に過ごすと言う。夏休みには「友だちを連れて行くからね」とメールが来て、その友だちも一緒に彼女の家に泊まっていった。その時も、3人で遅くまでおしゃべりして飲んだと言う。

 さらに凄い孫だなと思ったのは、祖父の友だちの何人かが集まる恒例の行事に、「オレも参加していい?」と言って、年寄りばかりの集まりにわざわざ来たと言う。バンガローでのお泊り行事で、着いたらまず食事の準備をするのだが、孫は率先して料理をし、いつの間にか年寄りたちと旧知の仲のように親しかった。

 若者が進んで年寄りと仲良く出来るとは、親はどんな教育をしたのだろうと感心した。授業を休んで参加したので、次の機会に教授からひどく叱られた。「亡くなった祖父の友だちがどんな人たちなのか、祖父のことも知りたくて参加した」と説明すると教授は感心して、「授業よりも多く学ぶことがあっただろう。君はよい医者になる」と褒めてくれた。

 この孫は感心な男の子だが、この教授も立派な人だ。パソコンの画面ばかり見て患者を見ない医者が多いが、進んで年寄りと交わろうという孫は「よい医者になる」素質が充分ある。「バアバは絶対にオレが守る」と粋なセリフを吐くだけでなく、この孫は本当に大物なのかも知れない。私の孫娘は看護の道を選んだけど、こんな男の子と出会い、結婚とはならないか。

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沖縄の県議選と第3者の調査発表

2016年06月06日 18時58分47秒 | Weblog

 東京都の舛添知事の問題が大きく報道されているせいで、沖縄の県議選が小さな扱いになっている。昨日の投票で、沖縄県民は辺野古移設に反対する候補が過半数を占めた。アメリカ軍属の男が女性を殺害し遺棄した事件があったばかりなのに、今度は嘉手納基地所属の海軍兵が酒に酔った状態で交通事故を起こし、逮捕された。沖縄の人々がアメリカ軍の撤退を求めるのは当然だろう。

 けれども翁長知事が「辺野古への移設反対、沖縄から米軍撤去」をどんなに求めても、応じる姿勢は安倍政権にはない。日米同盟の強化を目指し、安保関連法案を押し通した安倍首相には、「強い国」になることが日本の平和を維持するとの信念がある。世界の平和をどのように創りだすかではなく、日本が「ナメられない」ことに関心がある。軍備の強化には金がかかるし、その企業は潤うからだ。

 アメリカの大統領選挙でも軍需産業から多額の資金がクリントン陣営に流れているとの報道がある。トランプが大統領になるとは思っていなかったそれらの企業は慌てているようだ。トランプが大統領になればそれなり政策は変わるだろうが、本気で海外のアメリカ駐留軍を撤退させることになれば、これはまたとないチャンスとも言える。大量破壊兵器が溢れている時代に戦争が起きればどんなことになるか、普通の人なら想像できる。

 「第3者の厳しい目」で精査された結果が今日の午後4時から、記者たちに発表された。ウチのカミさんが予言した通りの結果だった。つまり「違法ではないが不適切」である。普通に考えればこの結果しかない。政治資金を私的なものに使ったとしても罰則はないし、記載間違いと訂正すればすむ。記者が「虚偽記載ではないか」と質問した時、弁護士は「記載してあるのに虚偽記載とは言えない」と突っぱねた。

 舛添知事は「きわめて厳しい指摘を受けた」と言う。「道義的責任を感じて知事を辞めるつもりはないのか」と問われると、「生まれ変わった気持ちになって、都政にしっかり取り組んでいきたい」と答えた。何が何でも続投するつもりのようだ。カミさんが「なんてヌルイ質問ばかりなの?」と珍しく憤慨していた。

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居場所を求めて

2016年06月05日 19時18分57秒 | Weblog

 「小さい時から、近所の子たちとままごと遊びをするのが好きで、私がお母さんの役で女の子にお父さん役を押し付けていた」と彼は言う。化粧して下着をつけて、お母さんになり切っていたようだ。だから小学校へ上がると、男の子だからと黒のランドセルで通学したら、同級生からいじめられ手提げカバンで通学した。ところがある時、担任から「あなたは特殊のクラスに行きなさい」と言われた。

 学習は普通に出来るのに特殊の授業は苦痛以外のなにものでもなかった。母親に訴えて、「元のクラスに戻してもらったけれど、学校にはズ~と居場所がなかった」と彼は続ける。男の性であるが心は女、けれども自分のことを本当に理解してくれている女性に出会い結婚している。外見はたくましい男性だが、胸の辺りは大きく膨らんでいる。彼は今、性同一性障害で悩む人たちのための活動をしている。

 「自分の居場所のためですよ。あなたが行っている活動も自分の居場所づくりでしょう」と断言され、エッと思ったが、そうなのかも知れないと思い直した。人は誰でも、自分を認めて欲しいと思う。自分を理解してくれる友だちが必要なのだ。友だちでなくて恋人でもいいが、出来れば複数の人から理解されることを欲している。つながりがなければ生きていることが辛くなるからだ。多くの友だちがいてくれたから、私はこうして生きて来られたのだろう。

 生け花の先生が、こんな文章を寄せてくれた。「その植物が本来持っている、自然界での生まれ方または育ち方の出生を重んじる活け方です。その出生は似たものもあるし、異なったものもありますが、ある程度忠実に再現し、かつ美しく見えるように活けるのです。植物を細分化してみると、木もの、草もの、水もの、どちらにも属するものがあり、それらはそれぞれが、そのくくりの中で脈々と子孫を残しています。それを一瓶の姿に整える活け方です」。

 午前中は曇り空だったが、午後3時過ぎから陽が差してきた。強い風に煽られていたディイゴは可哀想だったけれど、今は青い空によく似合っている。居場所か、なるほどねえー。

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映画「架け橋 きこえなかった3・11」を見る

2016年06月04日 17時46分52秒 | Weblog

 開場時間に5分ほど遅れた。受付で多くの人が並んでいる。「椅子が足りないので、今準備しているのでしばらくお待ちください」と言う。椅子が運び込まれたが、「立ち見になってもいいですか?」と聞かれる。「椅子の必要な方から座っていただきます」と係りの人が言って回わる。演壇前にカーペットが敷かれ、「30人くらいは入れます」とも言われる。結局、1時間15分立ったままだった。

 いや、これほど盛況になるとは主催者も私も思わなかった。上野千鶴子さんに来ていただいて講演してもらう時と同じ部屋だ。主催者に入場者数を聞くと、「整理券を数えると300人は入っています」と言う。マックスで150人と言われているのにその倍もいることになる。7月3日、上野さんに来てもらうが250席までなら椅子を並べられるというわけだ。

 300人もの来場者があったのは映画『架け橋 きこえなかった3・11』とその監督の講演会である。映画は東北大震災に遭った耳の聞こえない人たちを追ったドキュメンタリーで、制作した監督自身も聾者の今村彩子さんだ。しかし映画に暗く重苦しさはない。聞こえなかったために亡くなった方もあるだろうが、宮城県聾者協会の会長の小泉さんの性格の明るさからか、前向きで行動的で心温かい。

 聾者が災害に遭った場合、何が大事なのか。実のところ障害のあるなしに関わらず一番大事なことは、ご近所との日頃からのつながりである。耳が聞こえなくても、目が見えなくても、身体が動かせなくても、つながりがあれば助けてくれる。それは健常者でも同じことだ。いざと言う時ほど、人の助けが必要なのだ。

 今村さんが映画を作りたいと思ったのは、お父さんの影響だと言う。家族4人でテレビを見ていても耳の聞こえない彼女は理解できない。落ち込んでいた時、お父さんが洋画を借りて来てくれた。映画を作れば耳の聞こえない人にも伝わる、それが彼女を映画作りに導いた。愛知教育大の卒業だが在学中にアメリカの大学に留学し、そこで映画製作を学んだ。今度、沖縄から北海道宗谷までを自身が自転車で走行し、そこで出会った人々とのドキュメンタリー映画が公開されると言う。

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行方不明の男の子、見つかってよかった

2016年06月03日 18時30分28秒 | Weblog

 北海道七飯町の林道で置き去りにされた小学2年の男の子は、10キロほど離れた自衛隊の施設にいるところを隊員に見つかり保護された。行方不明から約1週間になるが、この間は水しか飲んでいないようだ。どうしてここまでたどり着いたのか、この間何をしていたのか、なぜ出てきて助けを求めなかったのか、詳しいことは分からないが無事で何よりだ。

 父親の話では、公園で遊んでいた時に人や車に石を投げたので、しつけのために途中の林道で車から降ろしたらしい。それで5分ほどして引き返したが見当たらなくて、「山菜採りの途中ではぐれた」と警察に捜索を願った。しかし、山菜採りなのにそれを持っていないので聞き返され、「しつけのために降ろした」と言い直した。

 仕置きのつもりだったのが、逆に子どもからしっぺ返しされた結果となった。病院で面会した父親は息子に「ごめんな」と謝っている。怖がりだという男の子だが、日頃は厳しく叱ることのなかった父親から叱られたので、怖がりだからこそ両親の後を追わなかったのかも知れない。施設に留まっていたのも、出て行ったらもっと叱られると思ったのかも知れない。

 私の知っている夫婦も、子どもがあまりにも言うことを聞かないので、公園に置かれた大きな金網のゴミかごに入れ、「言うことを聞かないから捨てて行く」と言って立ち去ったという。子どもは小さくてかごから自力で出ることは出来ずただ泣くばかりだったので、様子を見ていて出て行き、「もう分かったの?」と声を掛けて外へ出したと言う。

 家族で、レストランで食事をしているのに、長女があまりにも目に余る行動をするので、「ひとりで帰りなさい」と叱ったことがあった。家まで20分くらいの距離だが、無事に帰ったか気になって仕方なかった。子どもは大人が考えること以上のことをやってしまう。今回も結果は無事だったからよいが、もし万が一のことにでもなれば悔やんでも悔やみ切れない。大人の方が先を見通しておかないと、ただ叱るだけではダメということだ。

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秘密のメモ書き

2016年06月02日 17時34分11秒 | Weblog

 等圧線が混み合っている訳でもないのに、なぜこんなに強い風が吹いているのだろう。午前中は昨日に比べればそれほどでもなかったから、買い求めたのに植えられなかった50本のサルビアを植えようと、ルーフバルコニーに出た。やはり寒い。ウィンドブレイカーを着込み、頭に帽子を被り、寒さ対策をしたはずだった。なのに、作業をしていると鼻水が落ちてくる。

 とにかく50本を植え、部屋も戻る。本当に寒かった。部屋でも1枚羽織るけれど、なぜか鼻水が止まらない。友だちから電話がかかってきたが、ひどいガラガラ声だ。「どうしたの?」とたずねると、「のど風邪にやられた」と言う。暑かったり寒かったりでうまくコントロール出来なくなっているのだ。「歳なのだから、注意しなくちゃー」と言ったものの、そうか自分も同じかと思った。

 ブログのネタのために、気に入った言葉をメモしておくのだが、不要になった紙をメモ用にしていたので、何が何だか分からなくなってしまった。「まずいと思ったのか、悪いと思ったのか」とか、「さしたる根拠もなく分かり合えることはないが、許し合うことは出来る」は、随分前に書いたものなのに、今の舛添知事にピッタリの言葉だ。「本当のことを知るより、優しいウソの方が愛がある」というのも舛添知事の言葉みたいだ。

 極めつけは「自分の罪は自分で背負っていく以外ない」だが、これも決して舛添知事のために書いたメモではない。これらの言葉はドラマで聞いたり、あるいは黙々と作業していた時に浮かんだものだ。中学・高校の頃は、日本文学は読まないと決めていたが、最近姜尚中さんの影響なのか、漱石を読まなくちゃーと思うようになった。恥ずかしいことだが、藤村の『破壊』も60歳過ぎてから読んだ。

 明治・大正の作家は教科書に載っているもので充分だと決めていた。「受験に出る」などと言われるとますます拒んでしまった。しかし今、日本人が求めてきたものとは何だろうと思うようになった。「生きながらえるのは苦行」。「我慢は愛情」。これもどこで使えそうな気がするがどうだろう。

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悪徳な政治家と車も携帯も持たない聖人

2016年06月01日 18時15分31秒 | Weblog

 業者から口利き料を受け取っている甘利前大臣は嫌疑不十分で不起訴となった。選挙で掲げた公約を守れなかった安倍内閣不信任案は否決された。公私の区別のつかない舛添知事の金の問題はあやふやのままだ。なるほど、これが日本の現状だ。今朝から台風並みの風が吹き荒れ、ルーフバルコニーのバラやサルビアが悲鳴を上げるように枝を震わせている。

 不謹慎なことを言うと、ビッキーさんのような妻のいる人に、あるいはその逆に夫のいる人に、恋することを非難したくない。人はいくつになっても恋するものだから、そこは上手にやって欲しい。けれど、政治の世界は全く別だと思う。言葉巧みに適当なことを言って、上手に泳ぐ人は信用しない方がいい。ブレーキの役目を果たすと言いながら、権力の座に留まることばかりの政党はみんなの支持を失うだろう。

 『ピースあいち語り部の会代表』の斎藤孝さんから、「私はゴルフ、麻雀、パチンコをしません。車も携帯も持たず、映画も見ません。テレビも定時のニュースと寄席番組程度です。パソコンは操りますが、インターネットはやりません。アナログ人間です。ものを書くことを覚えておいて、よかったと思っています」と手紙とともに句集や随筆集を送っていただいた。

 戦争体験の語り部をされているから80代ではないだろうか。俳句の仲間たちとだろうか、「今回は近場の桜を訪ねました。案外知られていない平和公園、瑞穂区弥富ケ丘町の桜並木、三河の桜淵講演などです。持参のワインを楽しみながら桜を愛でるのもいいものです」と『桜巡礼』に綴っている。そして、「句会、読書会、落語の会、美術展、クラシック・コンサート、芝居鑑賞などにも忙しい日々です」とある。

 「小学生の頃、『よく学び、よく遊び』と言われましたが、これは今でも実践しています」と言うのだから頭が下がる。私は凡庸で世俗的で欲深く、とうてい斎藤さんのような聖人にはなれないと手紙を読んで思った。

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