友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

舛添知事の弁明を肴にする

2016年06月10日 15時20分06秒 | Weblog

 東京都の舛添知事が集中砲火を浴びている。「くだらない第三者とかいう弁護士の厳しい調査で逃げ切れると思ったのだろうが、最初に『ごめんなさい』と謝ればすんだのに、いくら頭がよくてもサル知恵だ」と先輩は言う。サル歳の私が「やっぱり最初が肝心ですかね」と聞くと、「そう、女のことでも、何でもそうだ。一度ウソをつくとさらにウソをつかなければ辻褄が合わないからどんどんウソをつく。バレたと分かったらすぐ、ごめんなさいだ」と言う。

 多くの女性を泣かせたと豪語する先輩だが、「私の人生は清廉潔白そのもの」とウソをつくので非常に分かりやすい。これほど世間から「せこい」「人として失格」など、「厳しい言葉」を投げつけられながら、舛添知事はよく耐えていられると感心する。昔の武士なら、腹を切って、世間の非難に報いるだろう。私は孫娘の誕生日会で、長女から「パパは死ねと言った」と非難されたことがいまだに納得できないでいる。

 もし、本当にそんなことを言ったのなら、「人として失格」だから、「腹を切って」詫びなければならない。「腹を切る」ことは出来ないが、少なくとも長生きする価値はないし意味もない。真相が知りたいと思うけれど、逆に何事もなかったかのように、黙っている方が賢明なのかと思う時もある。「己の罪は己が背負っていく以外にない」のだから。「舛添知事はどうするつもりなのか」と他人事ながら気になる

 先輩が「舛添自身は続投を願っているが、自民・公明がどう動くかだね。少なくともオリンピックと知事選挙が重ならないように、9月議会までは首はつながるだろう。6月1日を過ぎたから半期分のボーナスは受け取れるし、9月議会で辞めてもかなりの退職金だからね。女を連れてホテルに泊まり政務調査費で支払った県議や、視察先のソウルで女を世話せよと頼んだ市長とか、最近ろくな奴がいないね」としゃべりまくる。なるほどと私たち後輩はうなずく。今晩もまた先輩の話が聞ける。

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