友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

『臍』 『勃起』 『地鳴』

2016年06月30日 18時28分48秒 | Weblog

 「この冊子の名前を何にしよう」と2時間も議論した。昭和40年(1965)の3月、私たちの大学は3年になると別の場所に行かなければならなかった。1年と2年だけのわずかな学生であったが、学生自治会があり、いくつかのクラブもあった。2年の時に自治会執行部を民青から奪った。何をやったのか覚えていないが、3年になる時に新入生に向けて冊子を作った。

 書棚を整理していたらその時の冊子が出てきた。A5判46ページの小さな冊子だが、表紙はなかなか印象的なデザインで、中は小さな文字がびっしり詰まり読み応えのあるものになっている。20歳の青二才が随分と気負って書いている。冊子の題名が決まったいきさつを私は編集後記に次のように書いている。

 「選抜の結果次の3つ、即ち『臍』『勃起』『地鳴』がよいことになった。『臍』はぼくらにとって、核心、人間といった連想を呼び起こす。それはまさに人間らしく生きたいと欲する、歴史の主体者たらんと欲する、ぼくらの願いを象徴する。『勃起』はぼくらの体の中にむくむくと湧き起る力、それは単なる感傷や正義などではなく、ズ太くたくましい力を象徴する。ぼくらは不感症を拒否する。インポな男どもを軽蔑する。現実を変革する主体者たる青年が勃起しなかったら、世界は死んでしまうだろう。『地鳴』、真に自由なる世界を目指すぼくらの運動は、今はかくも小さいが、しかしそれは天地を揺るがす大変動の前兆、言わば地鳴の時なのだ。この3つの中で最も高く買われたのは『勃起』であった。しかしぼくらは変革すべき現実と妥協してしまった。『勃起』が性用語として受けとられるという一般的風潮に妥協したのだ。『臍』は残念にも薬の宣伝につながるというヘリクツのため打ち消され、『地鳴』が残ったのである」。

 社会人になった時、映画を一緒に作った友だちが冊子に書いた文のタイトル『反抗でもよい』が象徴的だ。あるいは彼が書いた詩『地獄からの君に』が、あの時の私たちの気分を表している。「あしたからもバラ色ではない 地獄から這いだしたつもりの君 しかし君の 殺人と自殺の歴史 それは殺人者と自殺者の君が つくりかえるもの 地獄の系譜は寛容さをたくわえ 延々とつづき ここでもやわらかに君を侵す 脱出への唯一の手がかりは 殺人者と自殺者の君でしかない」。

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