友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

イチロー選手の記録

2016年06月18日 17時24分28秒 | Weblog

 マリーンズのイチロー選手が4257安打を放ち、ピート・ローズのメジャー最多記録を抜いた。イチローは日米通算の記録なので、アメリカ人はむしろ大リーグ通算3000安打にあと21本と迫ったことに関心がある。それはアメリカ野球殿堂入りの目安とされているからで、これまでに3000安打を達成した選手は29人しかいない。順調にいけば7月中にも到達できると予想されている。

 試合後に会見したイチロー選手をテレビで見た。ピート・ローズの記録を超えたのに、はしゃぐ様子はなかった。むしろ「常に人に笑われてきた」と振り返った。小学生の時、素振りをしていると「プロ野球の選手になるのか」と笑われ、オリックスで7年間連続して首位打者となり、大リーグでの首位打者を目標に掲げた時も笑われた。「夢だと人に笑われたことを常に達成してきたという自負はある」と語った時、目には涙があった。悔し涙だ。

 次女はイチローと同じ歳、高校野球のファンだったからイチローのことは知っている。カミさんの友だちにはイチローの恩師もいる。隣町の出身だけにイチローは身近な存在なのだ。頑張り屋で負けん気が強いイチローだけに地元では賛否も分かれるが、凄い記録を打ち立てたことに変わりはない。打率を見てもイチローは日米通算だが3363試合で3割2分5厘、ローズは3562試合で3割3厘。シーズン最高の打率もイチローは3割7分2厘で、ローズは3割4分8厘。

 それでも大リーグで3000安打を達成しなければイエローは注目されない。日本でも白鵬がどんなに記録を塗り替えても評価しないのと同じだ。ヨソ者という意識が働くからだろう。これだけ世界が狭くなり、人の交流が進んでいるのに、まだ差別意識が人の中には残っている。スポーツの祭典と言われるオリンピックは、いろんな人種が混在しているのに今も国別対抗である。イチロー選手がこれからどんな風に活躍するのか、楽しみにしている。

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2歳の孫娘を連れて

2016年06月17日 17時53分40秒 | Weblog

 2歳の孫娘を連れて、バラ園が売りのカフェに行ってきた。ランチのオムレツが有名だったので、昼食時に少し遅れて出かけた。食事はゆっくりできたけれど、バラは少なかった。それならばと思い、江南市と稲沢市のアジサイ寺を欲張って回った。江南市に比べて稲沢市のアジサイ寺は面積も広く、数も種類も多かったから、次女は「回った順番がよかった」と言う。

 2歳の孫娘は水の流れていない水路に入ってご満悦だった。私たちはブルースカイという名のアジサイに驚嘆した。名前のごとく青がとってもきれいだった。それでもみんなが一番満足したのは、アジサイ寺近くで入ったカフェではなかっただろうか。ケーキもコーヒーも美味しかった。2歳の孫娘だけが、花より団子ではないことがよく分かった。いやむしろ2歳の孫娘にはケーキもジュースもアジサイよりも外へ出かけたことで満足だったのかも知れない。

 昨日は次女が、友だちとランチするので孫娘を預かることになった。「もし、ダメだったら連れて来てくれればいい」と言うので気楽に引き受けた。昼食の後、子どもたちが自由に遊べる施設があるので、そこへ連れて行った。看板を見ると「子育て支援ルーム」となっている。以前は、「キッズプレイルーム」であったように思いながら覗くと、知り合いが「どうぞ」と言う。子育て支援のNPOが運営しているところだった。

 部屋に入ると中は結構広い。2歳の孫娘はプラスチックの家が気に入ったみたいで、そこに果物やパンや飲み物を並べて、ままごと遊びを始めた。「ジイジ、おいで」と家の中に招き入れてくれる。単語の羅列でしかないが、それでも「女」になって世話をするから不思議だ。「ジイジはご本読んでいるね」とその場から逃げたけれど、3時間ほどそうやって遊んでいた。午後3時半ごろ、女の子が一人やって来て、一緒に遊んでくれた。段ボールで作った電車にも乗せてくれて、一生懸命で綱を引っ張ってくれた。

 せっかく遊んでくれたのに、2歳の孫娘が電車から降りようとした瞬間と女の子が綱を引いてくれた瞬間が重なって、孫娘は前のめりになって床に落ちた。女の子とそのお母さんとババが揃って、「わー、どうした?大丈夫?」と大声で叫んだので、ビックリして大泣きになった。額にこぶが出来た。女の子のお母さんは恐縮して、いつも持っていると言う薬をってくれた。今朝見るとすっかりこぶは無くなっている。あのお母さんのおかげだ。

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口のうまい政治家は要注意

2016年06月16日 17時41分27秒 | Weblog

 舛添知事の辞任は不可解だ。前日まで涙ながらに、「不信任案を出すなら9月議会にしてくれ」と頼んでいたのに、昨日の朝になって辞任する覚悟となるのは、その間に何かがあったと考えるのが普通だろう。「打ち首より切腹を選んだ」と言う人もいるけれど、あれだけお金に執着していた人が、自民・公明が不信任に同意するとしてもそれだけで辞任するとは考えにくい。

 不信任案が可決されたら議会を解散し、共に傷つく道を選んで抵抗することも出来たはずだ。どんな取引が行われたのかと考えるのは邪推とは言えない気がする。しかし、舛添知事の毎週金曜日の記者会見や議会での追及を、彼の子どもたちがテレビで見ていたら、父親に反発していた子どもでもきっとその姿を悲しく思ったことだろう。もし学校に通っている子どもがいたなら、学校へは行きたくないだろう。

 これ以上、子どもたちに悲しい思いをさせないため、辞任を決意したのかも知れない。親なら充分わかるけれど、子どもたちにどう償うのかとその方が気になる。2代続いて、都知事がカネの問題で辞任する。これは日本人が「カネと政治」の問題に真っ向から切り込まないからだ。政治資金や政党助成金について、メスを入れる政党が共産党しかいない。それが返って自民・公明を延命させることになっている。

 もう、話題は次の都知事候補である。私の知り合いにも前大阪市長の橋下徹氏の講演を聞きに行った人がいて、「ぜひ橋下氏に都知事になって欲しい」と言う。東京都民は受け入れないと思うが、もし橋下氏が当選するようなら、本当にどうしたのかと思う。政治家に一番必要なものは誠実である。誠意に欠け、パフォーマンスだけが得意な政治家は信用しない方がいい。当選する前は極めて批判的でかつ建設的な意見を述べていた人が、権力の座を射止めると豹変する。特に口のうまい政治家は要注意だ。

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専業主婦の悲哀

2016年06月15日 20時51分34秒 | Weblog

 東京都の舛添知事が辞任した。詳しいことは明日のニュースで知ることになるが、あれだけ騒いでいたのに一体何だったのかと思う結末になった。政治家と金の問題はいつも、沸き上がってきてもいつの間にか消えてしまう。これで舛添知事が辞任してしまえば、政治資金や政党助成金に何もメスが入らずにウヤムヤで終わってしまう。白黒はっきりさせないことは日本人の特性と言われてきたから仕方ないことかも知れないが‥。

 次女が「主婦の仕事はどんなにやっても決してほめてもらえないことがよく分かった」と言う。家事にしても子育てにしても、主婦であればやって当たり前で、そこで何かが起きれば、『何やってるんだ!』と言うことになる。他人から非難されなくても、自分自身がそう思ってしまう」と専業主婦の悲哀を語る。彼女は主婦として一生懸命で、常に120%頑張っている。それでも家事に手落ちがあったり、子どもが病気になったりする。

 「そんなことは当たり前で、別に専業主婦だからより責任があるわけではない」と友だちから指摘されても、「働いているお母さんに比べたら、家にいるわけだから、出来て当たり前でしょう」と自らに手厳しい。一生懸命に頑張るのはいいけれど、何かが起きる時は起きる、出来て当たり前とすべての責任を背負い込んでも、それはウツになるだけで実は何も解決しない。

 主婦業は決して褒めてもらえないと言うが、それでは外で働く男たちは褒めてもらえるのか、妻はいつもダンナを褒めているのか、と問うてみたい。「男は職場や社会で、評価されている」と次女は言う。男はその仕事で褒められることは確かにあるが、大方は文句を言われ、非難され、苦情を突き付けられることばかりだ。カミさんからも褒められることもなく、小言と不満ばかりを聞かされる。

 生きていて、いいことなんか思えば数少ない。それで相手に不満をぶつけてもただ深みにはまるばかりだ。ケネディではないけれど、相手に求めるよりも、自分はどれだけ与えているかを考えた方がいい。「求めるなら与えなさい」、これが真実な気がするが、白黒つけない方がいいのかな。

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頑張り屋さん来る

2016年06月14日 18時55分34秒 | Weblog

 大学4年生の孫娘がやって来て今晩は泊まっていくと言う。女ばかり4人、なかなか賑やかというか騒々しい。次女の2歳の娘の様子を見ていて、「ウンコするみたいだよ」と言う。「えっ、分かるの?」と次女が言えば、「そんな感じ」と答える。しばらくすると、「出たねえー」とお尻に鼻を寄せ、「やっぱり出てるよ」と次女に告げると、「ウンコ拭いてくれる」と言いつけられた。

 すると2歳の孫を呼び、手際よく始末をする。次女は「私以外でも平気でいられるのね」と自分の娘を褒める。カミさんは「凄いね。絶対、就職試験は合格するわよ」と、今度の土曜日が就職試験の孫娘を称える。長女と同じ看護の道を進む孫娘もいよいよ就職の時期にまでなった。孫娘のことはよくブログのネタにさせてもらったから、読んでいてくれた人は「頑張り屋さん」と彼女のことを言う。

 小さい時から水泳教室に通っていた彼女はコーチから、「努力は必ず報われる」と教えられてきたので、努力することに躊躇はない。しかし、どんなに努力しても報われないことがあることも経験から知っている。それでも感心するのは、楽天的で前向きなところだ。長女が、私と「うまくやるための術を身に付けてきた」と言うように、孫娘も「自分をださなければ、家庭内はうまく収まる」と思って生きてきたようだ。

 そんな彼女も大学4年生、来年は社会人となる。小児科の病院に勤めることを希望しているが、それは彼女の特性を活かせる場だと思う。彼女が小さい時、夜勤のために出かける母親の後ろ姿が見えなくなるまで泣き続けた。そんな弱虫だったのに、いつの間にか、笑顔ばかりを見せる子になった。決して暗い顔を見せたり、泣いたり、恨んだり、そんな姿を見せることがない。背伸びしている訳ではなく、それが彼女の本性となった。

 これからどんなことが起きるか分からないが、それでも決して音を上げないだろう。いつも楽天的に前向きに、笑顔で進んでいくだろう。祖父はそう願っている。

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孫を見てて思うこと

2016年06月13日 20時35分39秒 | Weblog

 自分の子育て中には気が付かなかったことが、孫を見ていて「そうなんだ」と思うことがある。我が家の子どもたちは、我がままで泣き叫んで困らせることはなかったから、「いい子」で育ってきた。その代り、長女は活発に動き回り、時々ハメをはずしてカミさんからお目玉をもらった。「そんなことくらい、いいじゃーないか」と私が言うので、カミさんの怒りは私に向かう。

 次女はその様子を見ているから要領はいいが、長女のような積極性はなく慎重で、泣きむしだった。我が家も、私の妹の家も、カミさんの弟の家も、子どもはみんな女の子。男の子がどんな風に大きくなるのか分からない。私は男でも、自分のことは子どもの頃は単なる思い出に過ぎないし、それも後から加えた思い出なのかも定かでもない。それに高校時代から頭の中は何も変わっていないようにも思える。

 大和塾が10年になる。7月3日の上野千鶴子さん、9月24日の姜尚中さんの市民講座で最後になる。10年と言えば生まれた子どもが小学校4年生になる。子どもの成長は著しいけれど、大人になるとなぜ鈍くなってしまうか。子どもの時は他人の言葉を素直に受け入れていたはずなのに、大人になろと吸収しなくなるのはなぜなのか、いや、子どもの頃だって「大人はうそつきだ」と思ったことがあったから、決して鵜呑みにしていたわけではない。

 2歳の孫娘も笑ったり泣いたりじっと見つめたり、いろんな表情をする。「こんなに小さい時から女は駆け引きをする」と長女のダンナは言うけれど、子どもはみんな生きていくために大人に向かって表現する。それをズル賢いとか駆け引きとか言われても、子どもにはどうすることも出来ない。「媚びを売る」のも生きていくための手段で、計算高いと言うなら、それはそう言った人自身の反映に過ぎない。子どもたちが可愛いのは可愛くなければ生きていけないからだ。

 大人が賢いのは、そうでなければ生きていけないからで、それは子どもと同じだ。それでも大人の賢さには、ズルもあるし思いやりもある。他人を気遣うことが出来るのは大人にしかない特権である。大和塾も10年になり大人らしい大人になれたのだろうか。自分では分からなくても、他人ならそれが分かる。他人から学べることも大人の特権だと思う。

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親しみやすいコンサート

2016年06月12日 17時47分27秒 | Weblog

 東京都小金井市で音楽活動をしていた女子大生がファンの男に刺され、やっと意識が回復したと報じられたばかりだが、今度はアメリカのフロリダ州オ-ランドで、若い女性歌手がファンの男に拳銃で撃たれて死亡し、犯人は自殺したという。熱烈なファンというのは殺したくなる狂気を秘めているのだろうか。

 今日の午後、混声合唱団の第5回記念コンサートがあった。音楽会といえば観客は静かに聴き入るのが常識だが、客席もステージも共に楽しむ、こういう形もいいなと思った。混声合唱団というものの、日頃は女性合唱「ラ・マンマ」と男声合唱「オヤジシンガーズ」に分かれて活動しているようだ。

 ここにも熱烈なファンがいて、歌い終わると「ブラボー」と大きな声が会場いっぱいに響いた。750席の会場もかなりの人で埋まっている。ゲスト出演の管弦楽団は40年の歴史のある「しにせ」らしいが、その代表が「そろそろ世代交代と思っていたが、今日の合唱団の皆さんを見て、まだまだやれると思った」とあいさつしたが、合唱団の平均年齢は相当なもののよう。

 合唱団が歌った曲も管弦楽団が演奏した曲もなじみのものが多くて、客席のやはり同年配の私たちには親しみやすかった。懐かしのミュージカルメドレーでは、6人の美しい女性が現れ、ダンスを披露した。客席のおばさまたちからは「細い足ねー」とささやく声がこぼれ、男性たちは熱い視線でステージに見入っていた。最後の曲、「椿姫」の中の『乾杯』では、文字通り最後に会場が一体となって「カンパイ」した。

 お別れは島崎藤村の『椰子の実』で、ステージも観客も一緒になって歌った。受付の時もそうだったが、会場から出てくる時も大勢の知り合いに会った。かしこまりすぎず、音楽を楽しむ。我が街の文化はレベルが高い。そんな気分にさせてもらった。

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2歳の孫は水遊びに夢中

2016年06月11日 16時30分57秒 | Weblog

  昨夜、仙台から次女が2歳の孫を連れてやってきた。鉢植えのサルビアや日日草、バラやアジサイを見て、孫に「キレイ」と言ってもらいたくて、早朝から掃除をして起きてくるのを待った。ルーフバルコニーで作業をしていると、まだ眠そうな表情で孫が出てきた。「おはよう」と声を掛けるが、返事もない。次女に「パパちゃんにおはようワ」と促されて、小さな声で「おはよう」と言う。

 それでも少し慣れてきて、次女がサルビアの花を指して、「何色?」と聞くと、「あか」と答える。「じゃー、葉っぱは何色?」と聞くと、「みどり」と言えた。「サルビアは匂いがないけど、バラは結構いい匂いがするから、ちょっと嗅がせてやって」と次女に言うと、次女がバラの花に近づいて嗅ぐしぐさをして見せる。孫もヨチヨチ歩いて花に鼻を近づける。「いい匂いがする?」と聞いてみるが反応はない。

 この後、私が花に水をやり始めると、ガラリと様子が変わった。水やりを代われというようなしぐさを次女に求めている。「水やりさせてもいいの?」と次女が聞くので、「やってくれるの?」と孫にホースを渡すと、ニヤリとしたように見えた。水やりが面白いのか、なかなかやめようとしない。「代わって!」と声をかけても、「もっと、もっと」と放さない。クルリと向きを変えた拍子に、ホースの水が自分の顔にかかった。それでも、声を上げることもなく、びしょぬれになりながらも続けている。

 2歳。このくらいの歳の子は花にはあまり関心がないのかも知れない。そう言えば3歳の孫娘が「毎日ダンゴムシを捕まえて家に持って来るから困っている」と友人が言っていた。動くものの方が子どもたちには興味があるのだろう。花や木に興味が湧くのはもっと先になるのかも知れない。見るもの触れるものに興味を抱くことで、一歩一歩人らしくなっていくのだろう。

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舛添知事の弁明を肴にする

2016年06月10日 15時20分06秒 | Weblog

 東京都の舛添知事が集中砲火を浴びている。「くだらない第三者とかいう弁護士の厳しい調査で逃げ切れると思ったのだろうが、最初に『ごめんなさい』と謝ればすんだのに、いくら頭がよくてもサル知恵だ」と先輩は言う。サル歳の私が「やっぱり最初が肝心ですかね」と聞くと、「そう、女のことでも、何でもそうだ。一度ウソをつくとさらにウソをつかなければ辻褄が合わないからどんどんウソをつく。バレたと分かったらすぐ、ごめんなさいだ」と言う。

 多くの女性を泣かせたと豪語する先輩だが、「私の人生は清廉潔白そのもの」とウソをつくので非常に分かりやすい。これほど世間から「せこい」「人として失格」など、「厳しい言葉」を投げつけられながら、舛添知事はよく耐えていられると感心する。昔の武士なら、腹を切って、世間の非難に報いるだろう。私は孫娘の誕生日会で、長女から「パパは死ねと言った」と非難されたことがいまだに納得できないでいる。

 もし、本当にそんなことを言ったのなら、「人として失格」だから、「腹を切って」詫びなければならない。「腹を切る」ことは出来ないが、少なくとも長生きする価値はないし意味もない。真相が知りたいと思うけれど、逆に何事もなかったかのように、黙っている方が賢明なのかと思う時もある。「己の罪は己が背負っていく以外にない」のだから。「舛添知事はどうするつもりなのか」と他人事ながら気になる

 先輩が「舛添自身は続投を願っているが、自民・公明がどう動くかだね。少なくともオリンピックと知事選挙が重ならないように、9月議会までは首はつながるだろう。6月1日を過ぎたから半期分のボーナスは受け取れるし、9月議会で辞めてもかなりの退職金だからね。女を連れてホテルに泊まり政務調査費で支払った県議や、視察先のソウルで女を世話せよと頼んだ市長とか、最近ろくな奴がいないね」としゃべりまくる。なるほどと私たち後輩はうなずく。今晩もまた先輩の話が聞ける。

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孫たちが「いとこ会」

2016年06月09日 17時33分03秒 | Weblog

 「明日、荷物送るけど、時間帯はいつがいい?」と仙台に居る次女から電話があった。次女が「パパちゃんだよ」と言うと、可愛い声で「・・ちゃん」と2歳の孫娘が言う。「じゃー、よろしくね」と次女が言えば、そばで真似している。ラインで画面を見ながらなら会話をしたことがあるが、見えない相手とでも話が出来るようになったのかと感心した。長女が学会で仙台に行ったので、帰りに一緒になってこちらへ来るという。

 姉妹は仲がいい。次女は姉を絶対的に信頼している。長女も妹のめんどうをよくみてきた。次女たちは10日間滞在するが、その間に我が家で「いとこ会」をするという。3人の孫が集まって泊まるというだけのことだが、言い出したのは小学校に入学したばかりの長女のところの下の娘だ。次女の娘を見て、「いとこ」と言っていたが、人のつながりが分かるようになってきたのだ。

 「ママちゃんのところへお泊りにおいで」とカミさんが誘っても「ウン」と言えなかった子が、いとこが来るなら泊まると言うのだから大きな進歩のように思ったが、大学4年の上の孫も一緒という条件付きだった。まだ、女3人で会話が出来る年齢ではないが、きっとそのうちそんな「いとこ会」が出来るようになるのだろう。私も母の妹の息子にはよく遊んでもらったし、父の妹の息子や娘たちが実家である母屋に来ると一緒に遊んだ。

 母の妹の息子は60年安保の時、東京にいた大学生で、「東京においで。世の中は変わるよ」とその興奮を私に熱く語った。子どもの頃はよく会っていた「いとこ」たちも、いつの間にか会うことも無くなり、年賀状のやり取りすらできていない人もいる。孫たちがもう少し大きくなったら、母親である娘たちの同じ頃の写真を見せてやろうと思う。「君たちのママはこんなに可愛かったのだよ」と。

 娘たちはふたりとも「パパとママが寂しがるから」と、子どもの頃からのアルバムを全て我が家に残して行った。アルバムを開くことはなかったが、今度の「いとこ会」はよい機会だろう。孫たちがどんな反応をするか、ちょっと楽しみだ。さて、カミさんたちがゴルフからそろそろ帰って来る。反省会に私も呼ばれているので‥。

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